しげぞさんキリ番特典 お題「武道」

小さなお話 「心技体」

 俺は、先月定年退職したのをきっかけに、
何か運動を始めることにした。
 思えば今まで、
健康維持のために随分いろいろなことに手を出してきた。
 ジョギングにスイミングにウォーキング、
太極拳にテニスに草野球。
 どれも続いたためしがない。
 
 体は丈夫な方だ。
 学生時代は体操部の選手をしていた。
 しかし、大人になって体を動かそうと思うと、
億劫でしかたがない。
 休みの日に運動をすると、
当日は何でもないのに、翌日、翌々日に疲れがどっと出る。
 仕事にならない。
 気分転換のつもりの運動が、返ってストレスの種になる。

 だから、今までずっと気にしていた運動不足は、
「老後の楽しみ」に回してしまって、
連日呑みまくって不養生してきた。
 そして、さて定年だ、運動だ、と思ったら、
何だかまた億劫になってきてしまった。
 しかし、目下血圧・血糖値の高さは、
日常生活に支障をきたしている。
 運動は、もはや楽しみやたしなみではなく、
「義務」へと、俺の中で姿を変えて俺を責め立ててくる。
 そして、妻からは「どこでもいいから外出を」と言われて、
ふてくされながら近所のスポーツジムへとやってきたわけだ。

 くわえタバコで俺は人の出入りを眺めていた。
 出入りしている老若男女はみな、
カラフルなスポーツウェアの上下を着て、
飛び跳ねるように階段をぴょんぴょん跳ねて歩いている。
 肩からは異常に大きなスポーツバッグを提げて、
無表情で忙しそうに走り回っている。
 かと思うと、知り合い同士で
「お疲れ様です!」
「来週もがんばりましょうねっ!」
などど、飛び抜けた明るさで挨拶を交し合っている。

 俺は完全に気おされて、
受付の前でおどおどしていると、
感じのいい受付嬢が俺を見つけて声を掛けてきた。

「ご入会の手続きですね。どのコースにいたしますか?」
 そのうら若きお嬢さんに促されて、
俺はカウンターまで早足で進んだ。
 ちっともおどおどなんてしていない、という顔をして
涼しい顔でコースの説明が書いてある表を指で追った。

「これ」

―――[生活の中の武道]―――

 俺は、何にも考えずにそれを指差した。
 本当に何も考えていなかったのだ。
 たまたま俺の指を置いたところに、その文字が書いてあった。

「生活の中の武道、ですね? はい、お手続きいたします」

 通帳や通帳印をごそごそと取り出して、必要書類を作り、
――もしものことがあっても決して貴ジムの責任を問いません――
という書面にも署名する。
 
「それではさっそくあさっての木曜日、
午前10時からスタートになります。
動きやすい服装で、
5分前に3番スタジオに入っていてくださいね」

 動き始めてしまった。
 俺の俺らしくないスポーツ生活が。

 だいたい、[生活の中の武道]ってなんだ?
 あほらしい。
 俺のようなチンタラした生き方のヤツが、
何の道を問おうというのだ。
 まったく俺らしくない選択だった。
 あの受付嬢にかっこつけて。何やってるんだ、俺は。

 しかし、その憂鬱な時間は、
あっという間に俺におとずれてしまった。
 俺は、聞いたこともない地味なメーカーの、
さえないジャージを着て、
心もとなく3番スタジオの端でたたずんでいた。
 いやだいやだと思いながらも15分も前に入ってしまって、
前の回のエアロビクスの見学までしてしまった。
 太った中年女性たちに
「このエロじじい」
という視線を向けられながら待つ15分間はきつかった。
 だれがそんな肉の躍動を見たがるか!
 言ってやりたかったが、言えなかった。

 スタジオには、5、6人の中年男女が集まってきた。
 そして、めいめい感じ良く挨拶を交し合うと、
それぞれ床のあちこちに正座をし、目を閉じて、
講師を待っているようだった。

 少し遅れて、物凄くよぼよぼのじいさんが入ってきた。
「じいさん、無理すんなよ」
と声を掛けようとすると、みんな一斉に立ち上がり、
そのじいさんに向かって深々と敬礼したのだ。
 先生らしい。
 
 あぶなく武道家の大先生をじいさん呼ばわりするところだった。

 じいさん―――いや、先生は・・・・・・
いや、やっぱりどう見てもじいさんは、
みなに向かって淡々と一礼すると、目で「座りなさい」と合図し、
それに促されて、みな元の通り床に正座した。
 俺も隅の方で正座していると、じいさんは俺をちらっと見て、
「今日からの方、もっとお近くに」
と言った。
 その声は、驚くほどびんびんと張りがあり、
小声なのに、腹に響くような感じだった。
 さすが、武道の達人は違うな、と感服し、
うすら笑いで首をかしげながらそそくさと先生の前へと進んだ。

 そして、2時間―――。
 先生は、淡々と語り続けた。
 そして、時々立っては、くねくねと怪しい動きをして見せ、
我々も一緒に怪しくくねくね動いた。
 先生曰く、
「基本は、心技体です」。
 
 先生の話では、とにかく、「生きる」ということ自体が
道を問い続けることだ、ということらしい。
 この武道は哲学だ、と。 
 心の中で物事をこねくり回しても道は開けず、
技に走っても上滑りしてしまい、
やみくもに体を動かすだけではただの暴れん坊だ、と。
 
 心を動かし、そして動じず、
技を用いて技に走らず、
体を動かし、ときにぴたりと動きを止め、
そして道を問うのだ、と。

 人生もまた、
心を動かしたり、動かさないようにしたり、
技を以ってうまく物事を切り抜ける一方で、
ハカリゴトをせずまっすぐに進んだり、
体を動かして血をめぐらせ、
ぶれた体をじっと止めよ、と。

 さすれば道は開けよう、と。
 
 一体何なんだ、と思いながら、
それでもじいさんの説得力に押されて、
みなと一緒にしおらしく聞いていたし、くねくね動いてもみた。

 今までの俺の生活は、
競い合う人に揉まれてなりふりかまわず、
ストレスをストレスと認めたくないぱかりに
ふかしてきた何万本ものタバコの煙で曇っていたんじゃないか?
 それが、たったの2時間で―――あのインチキな動きと説教で、
なぜかクリアーに晴れ渡っていくのだった。

 家に帰り、俺は昼間から風呂に入った。
 なぜか少年の頃のようにせいせいとした気分だった。
 俺は、長年のサラリーマン暮らしで、
「技」だけ駆使して生きてきたのだろう。
 人間関係や仕事上の付き合いも、
家族とのつかず離れずの距離感も、
「まず金ありき」で、損をしない「勝ち組志向」も、
みんな技に走った賜物だった。
 
 ここ何十年、俺は運動不足だけでなく、心不足だった。
 いつもいつも「勝ち組」だったが、頭ばかりが満腹で、
心はいつもカラカラだった。
 毎日毎晩繰り返される日常の些細な仕事の数々は、
先生に言わせれば「形(カタ)」の鍛錬であり、
実践で役立つ基本の心構えを作ってくれている。
 暮らしの中には何も無駄な部分は無く、
一見無駄だと思われることも、
実は必要な修練の一端なのだという。
 そのことを俺はこの年ではじめて気づかされ、
情けなさと恥ずかしさとで消え入りたいほどだった。
 今まで野放図に生きてきた恥知らずな
「勝ち組気分」の自分を、ざふざぶと洗い直し、
出会った人たちともう一回出会い直したい思いに駆られた。

 俺は、風呂に入り、今までの汚れた汗を流して、
自分の構えを作り直したいと思った。
 ふと思いき、熱めの湯船にぐぐっと潜りながら、
「これからは俺の心技体をそれぞれ通わせてみよう」
と考えた。

 息を止め、ざぶんと熱い湯に潜ると、
 ―――湯の中で、プツッと何かの腺が切れた。
 俺は、真っ昼間の湯に、ぐらっと浮いた。
 何かがわかりかけてきたとたんに、俺の人生は終わった。
 ああ、俺の心技体は―――。

――もしものことがあっても決して貴ジムの責任を問いません――

 俺の頭に最後に浮かんだことばだった。



                      (了)



             (小さなお話)2003.5.13.あかじそ作