小さなお話 「解毒(げどく)」

 僕が放課後ブラスバンドの練習から帰るとき、
その力が突然芽生えた。
 「毒」が見えるのだ。
 
 それが「毒」だと気づくまでには、
2週間くらいかかったが、
もしかしたらもっと違うものかもしれない。
 中学生の僕がまだ知らないような、
何かもっと違う物質とか「気」のようなものなのかもしれない。
 
 帰り道、すれ違った担任教師の脳天から、
そのグレーのもやもやした煙が上がっているのを見て、
僕は思わず
「先生、頭から煙が!」
と叫ぶと、先生は僕を睨み付けて舌打ちし、
心底イライラした様子で返事もせずに行ってしまった。

 その後、帰り道ですれ違う人の数人から
もやもやと煙が上がっているのを見た。
 ある人はサラリーマン、
またある人は、小さい子供を連れた母親、
そしてまたある人は、無言で並んで歩く中年夫婦だった。

 なぜそれらが毒だと気づいたかと言うと、
グレーの煙を出しながら歩いている人たちがみな、
イライラしていたり異常に無表情だったりしていたからだ。
 それまで普通にしていた高校生数人が、
喧嘩を始めた瞬間に
物凄い量の煙を立ち上らせたのにはかなり驚いたが、
よく見ると、ほとんどの人たちが
いつもうっすらと煙をまとっているのだ。
 みんな、イライラしているようだ。
 そういう風には見えないようでも、
やっぱりみんなだいぶ毒が溜まっているみたいだ。
 
 自分の出している煙にむせて、
病気になっている人も見た。
 家族や職場の人たちが出す煙に侵されて、
心を病んでいる人たちも多かった。
 
 日に日に僕は、毒に対する感受性が鋭くなっていくようだった。

 どこもかしこも、人のいるところはすべて
もうもうと煙っているのが見えた。
 イライラと焦りと不安と悲しみと、
淋しさと怒りと苦しみと絶望と、
不信感とやるせなさと孤独で満ち満ちているのがわかった。
 
 タバコの煙と同じで、何のストレスもなかった僕でも、
みんなの吐く煙で心を毒されていくのがわかった。
 街や病院や学校も、家の中や部屋の中にも、
その息苦しい煙は充満していて、息ができないほどだった。
 人里離れた場所でしか、自然な呼吸ができない。

 僕は不思議に思った。
 みんな、どうしてこんなに苦しい煙の中で、
普通に暮らしていけるのだろう、と。
 自分でも気づかぬうちに病気になって、
命を縮めたり人生を苦しくしているというのになぜ、
この毒を出し続け、吸い続けるのだろう。

 みんなが一斉に毒を出すのをやめれば、
結局は自分が過ごしやすい気持ちいい暮らしができるのに。
 
 それにしても、僕はどうして毒が見るようになったのだろう。
 何か特別な使命でも与えられているのだろうか。
 しかし、僕には何も思いつかなかった。
 どうすればいいのか。
 何をすれば、世界中の空気が澄んでいくのか。

 咳をしながら街を歩いていると、
急に呼吸が楽になったのでまわりを見回すと、
そこは映画館の出入り口で、
出てくる人たちの体からはみな、煙が出ていなかった。
 
 (この人たちは、解毒されている!)

 気をつけて見てみると、無意識か意識的になのか、
何らかの形で気晴らしをし、
解毒をしている人たちの顔はみな、
実に晴れがましく、健康的に見える。
 
 「気分転換」などという安いことばは大嫌いだが、
知らぬうちに心と体に溜まった毒を、
きちんと解毒するのは健康を維持するのに
必要なことなのかもしれない。
 今、この世の中には、
みんなの心が真っ白になってしまうような、
すごい解毒が必要なのだ。
 
 そう思ったら矢も盾もたまらず、
僕は、自分のトロンボーンをケースから取り出し、
今ブラスバンドで練習中の曲を何度も吹きまくった。
 吹かずにはいられなかった。


 それから20年後、世界中の解毒をすることになる
僕のトロンボーンの音色は、
放課後の音楽室にいつまでも響いていた。


                (了)



            
(小さなお話)2003.5.27.あかじそ作