子だくさん 「そっくり」
輸送船の新潟入港を拒否された北朝鮮が、
自国のニュース番組で
「日本が国を挙げて私らの国に対して攻撃的になっている!」
「私たちは純真でいい人たちなのに、
何でこんなにもひどい仕打ちをしてくるんだ!」
「俺らを怒らすと、マジでヤッチャウよ」
といったようなことを相変わらず言っていた。
過剰反応で過敏で、
そして、自分の中で
ひとり勝手にドロドロドロドロ憎しみを煮詰め、
変なタイミングで大爆発。
何か反論されると逆ギレだ。
これって・・・・・・
どこかで見た反応だ・・・・・・
そうだ!
あれだっ!
「3組の○○くんにいじめられました!」
「うちの子はなんっっっにも悪いことしていないのに!」
「先生が対応してくれないのなら、教員委員会へ訴えます!」
あれだ、あれ!
この手の母親(いや、最近は父親もそうらしい)は、
暇なのか何なのか、
とにかく、自分の子がやられたやられた、
と、被害者意識がはなはだしいのだ。
いや、本当に訴えるべき事件があれば、
もちろん担任にでも校長にでも教育委員会にでも
訴えれるべきだとは思う。
ただ、実際訴えられる内容のほとんどは、
被害妄想の過剰反応であることが多い。
こんなことがあった。
当時小1の次男のクラスメイトの母親から、
「お宅の子のプールバッグを、うちの子が持って帰って来まして」
と、物凄く低い声で電話がかかってきた。
私は、その状況がよく飲み込めず、
「明日、お宅のお子さんに学校に持たせてもらっていいですか?」
と言うと、受話器からびびびびびーっと超音波が流れ、
歯を食いしばった彼女の声で、
「家まで取りに来ていただけないんですかっ!!!!!」
と言われてしまった。
ここへ来て、私は相手が激怒していることにようやく気づき、
相手の住むマンションに乳幼児ふたりを抱えて飛んでいった。
出てきた母親は、上半身をふんぞり返らせて、
頭を下げる私を無言で見下ろしていた。
「で・・・・・・うちのが何かしましたでしょうか・・・・・・」
恐る恐る聞くと、
同じクラスの○○君という子が、彼女の子供に
「これを洗って来い」
と強引に渡したのだという。
「ええええっ!
うちの子もそう言ったんでしょうか?!」
と聞くと、
「ただ見てたそうですけどっ!」
と、低い、ひくーーーーーーーーーーい声で言う。
「それはそれは何ともはや・・・・・・」
私がおろおろしていると、相手の母親は、
「その○○君に関してはいい噂を聞きませんけどね。
うちのはおとなしくてやられっぱなしになっちゃうんで。
お宅のお子さんは、学校ではいつもその子と
どっちが一番かどうかで喧嘩ばかりしているそうですね。
今回は何もしなかったようですけど、
どうなんでしょうね、お宅のお子さんもね」
私は、人通りの激しいマンションの入り口で、
ちびふたりを抱え、大勢の人たちの前で叱られていた。
夕焼けが真っ赤で、
たぶん、私の目もマッカッカだっただろう。
翌日、彼女の子供と遊ぶ約束をした、
と次男が言うので、私は
ひーーーーーーーーーーーーー、と悲鳴を上げてしまった。
聞くと、その子も、その子のお母さんも、
次男を家に招きたいと言っている、と言うのだという。
(次男をどうしようというのだ)
そのお誘いは、決して断れるような雰囲気ではなかったらしい。
しかし、次男は自慢のおもちゃを自分のリュックに詰め込み、
嬉々としてそのマンションへと向かったのだった。
次男が出かけてから初めて、
手土産(100円程度の菓子が相場らしい)
を持たせるのを忘れたことに気づいた。
ひーーーーーーーーーーーー。
夕方5時になり、私は次男を迎えに行った。
震える指先でドアのチャイムを押すと、
あの恐ろしい母親が、薄ら笑いを浮かべながら出てきた。
「お母さん迎えにいらしたわよー」
と、彼女が奥の部屋に声を掛けると、
ふたりの小さな少年が無邪気な笑顔で駆けてきた。
次男と彼女の子供だ。
「どうもありがとうございました。△△君、また遊んでねー」
と、私が言うと、その子は、にこにこして
「うんっ!」
と言う。
その一部始終をつめた〜〜〜い笑顔で見ていた彼女は、
「お宅の子、まあ、いい子じゃないですか」
と言った。
調べたのだ。
うちの子がどんな子か、自宅に招いて調査したのだ。
わが子を拉致監禁から救出したようだった。
私はぼろぼろの気分で次男と並んで帰ってきたのだが、
隣で歩く次男は、鼻歌交じりでご機嫌だ。
「ああ、楽しかった。△△君とお友達になっちゃった」
何にも知らないにこにこの次男が、何だか不憫だ。
それにしても彼女の子供は、
うちの子とおんなじで小さくて可愛かった。
どの子もこの子も、みんないい子じゃないか。
年端もいかないうちから
「あの子はこんな子」「この子は悪い子」
などと規定するのはやめようじゃないか。
北朝鮮に住む多くの国民が、
その支配者に運命を捻じ曲げられてしまうように、
たくさんの子供たちが愛する親によって
環境や性格を捻じ曲げられてしまっている事実を、
みんな気づいているんだろうか。
私は、次男の肩を抱き、もう一方の手で5歳児を、
背中に1歳児を背負って、
夏の夕焼けの中を歩いて帰った。
家の近くまで来ると、
玄関先で待っていた小3の長男が走って私たちを出迎えた。
「お子さんが多いから大変ですね。目が行き届かないでしょう」
最後に背中に浴びせられた彼女のことばを思い出したが、
腹は立たなかった。
そして、傷つきもしなかった。
「何もかも全部管理しようとするなんて・・・・・・
きっとめちゃめちゃ不安なんだね」
ひとりごとを言う私の顔を、4つの小さな顔が見上げた。
「みんな、幸せかい?」
私が聞くと、
「しあわせーっ!」
と、子供らはみんな、声を合わせて言った。
続いて次男がもう一声上げた。
「明日も△△君ち行く〜〜〜っ!」
私の心は一気に不幸せになった。
(了)
(子だくさん)2003.6.10.あかじそ作