しげぞさん キリ番特典 24300  お題「夕方の河原」
「河原のヒーロー」

 もう30年くらい前になるだろうか。
当時小学校低学年だった私と、幼児だった弟は、
母に連れられて立川の町はずれを歩いていた。
 立川は、東京でもどちらかと言うと山梨寄りで、
つまり、山あり川あり、ちょっと街もあり、というところだった。
 そこは、父の育った町で、私たち家族も、
私が3歳までは祖父母たちと一緒にこの立川に住んでいたのだ。
 この頃はもう、父の仕事の関係で
神奈川の相模原と言うところに住んでいたが、
この日は夏休みで、母に連れられて私たち子供は、
久しぶりに祖父母に会いに来たのだった。

 「ここはちっとも変わらないね」
と、母が日陰の山道から左側の斜面を見下ろした。
 左のはるか下の方には、多摩川の広い河原があった。
 カンカン照りの夏真っ盛りだったので、
遠い川の水面が音もなくキラキラと光っている。
 それが久しぶりに会った祖父母の笑顔と頭の中で重なり、
私たち兄弟の心は静かにほてっていた。
 
 歩いていくうち、景色が山から街へと移ると、
母はホッとしたように大きくため息をつき、
「ソーダ水でも飲んでく?」
と、私たちの顔を覗き込んだ。
 「うんうんうん!」
暑くて喉がカラカラだった私たちはぴょんぴょん飛んで喜び、
茶色くくすんだ古い喫茶店のドアを開けた。
 からんころん、からんころん、と
何個ものドアベルが店じゅうに響く。
 炎天下の熱と光の氾濫の中から、
急に洞窟にでも入ったような暗さと涼しさで、
私たちは声を揃えて
「ひゃ〜気持ちい〜」
と言った。

 「あ〜、やっぱり街がいいわ!」
母はびっくりするほど大きな声を上げ、
カウンターの奥のおばさんに
「ソーダ水3つくださーい!」
とご機嫌で言った。

 母は葛飾のごみごみした下町で育って大手町に勤め、
浅草や銀座で遊んできた人なので、
父の田舎が退屈で仕方なかったのだと後で聞いた。
 ダシひとつ取れなかった街の不良娘が
男尊女卑の大家族に三男の嫁として入り、
随分いじめられたこともあったのだという。

 しかし、その頃の母は、
そんなことをちっとも口にしなかった。
 さっきまで不自然な笑顔で兄嫁と話していた母が、
今は、急にご機嫌になり、
心底浮かれた調子でべらべらしゃべりだして、
テーブルに運ばれてきたばかりのソーダ水を一気飲みしたのを、
私たちは唖然として見ていた。
 
 「おなか空かない? ミックスサンドでも食べようか」
と、母は次々にいろいろと注文し、
結局随分長く喫茶店で飲み食いしていた。
 
 店を出ると、やはりむんとした暑さではあったが、
日は少しオレンジ色になっていた。
 私たちは駅のほうに向かおうと歩き出すと、
なんと道の向こうから当時流行っていたロボットヒーローが歩いてきた。
 この暑いのに真っ赤なロボットの着ぐるみを着た人は
ロボット風にピコピコカクカクと歩いているのだが、
そのパントマイムはまるでインチキで、なっちゃいなかった。
 ラジカセのボリュームを最大にして
♪レ〜〜〜ッド、バロ〜〜〜ン、
♪レ〜〜〜ッド、バロ〜〜〜ン、
♪レ〜〜〜ッド、バロ〜〜〜ン、
とっんっで、ゆっけ〜〜〜♪
とテーマ曲を流しながら
一緒に歩いている疲れた感じのおじさんは、
声を枯らしながら
「午後4時より河原にてレッドバロンショーが始まります〜う!」
と、叫んでいた。

 当時、ロボットヒーローものに夢中だった弟は興奮し、
「かわら行く! ぜったい行く!」
と、母の腕にぶら下がった。
 しかし、母と私は、
えらく小柄なレッドバロンと、
その横でラジカセを背負い、
台車(何やらダンボールを満載している)を押すおじさんの
「二人組」をまじまじと見て、声を揃えて
「行かない!」
と言った。
 すると、普段おとなしい弟がひっくり返って泣き狂い、
「レッドバロンショー行く〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!!!」
と暴れた。
 仕方なく私たちは河原に行くことになり、
さっき来た道をレッドバロンとおじさんの後について
のろのろと河原に向かって歩いた。
 河原に下りると、そこには一枚の白い模造紙が敷いてあり、
四隅は風に飛ばされないように大きな石が置いてあった。
 へたくそな字で書かれた【レッドバロンショー】という紙が
物悲しく風に揺れていた。

 私たち3人の他に、数人の幼児がそこにいた。
 おじさんは、私たちに振り返り、
「それではこれよりレッドバロンショーを始めます〜う」
と言った。
 そして、おもむろにしゃがみこむと、
背負ったラジカセをデコボコの河原の石の上に降ろし、
カセットを取り出し、だま〜〜〜ってテープを巻き戻し始めた。
 その間、あたりはシーンと静まり、
川の流れるサラサラサラという音だけが聞こえていた。
 始めは数秒おきにポーズを付けていたレッドバロンも、
間が持たなくなったのか、
ポーズをする振りをして汗を拭ったりしていた。
 が、ロボの腕でロボの額を拭ったところで、
「中の人」の汗は拭えるはずもなく、
彼は、その自分の愚行に、傍で見ていてもわかるほど動揺し、
その紅い肢体を落ち着きなく揺らしていた。

 かくして、おじさんはテープを巻き戻し終わり、
淡々とテープを再生させた。
 静かな河原に不自然な大音量の前奏が鳴り響き、
レッドバロンは気を取り直してロボット歩きを始めた。
♪レ〜〜〜ッド、でカクカク歩き、
♪バロ〜〜〜ン、で両腕を上げ、
また、♪レ〜〜〜ッド、でカクカク歩き、
♪バロ〜〜〜ン、で両腕を上げる。
 そんな調子で広い河原のほんの1メートル四方ほどの場所で
行ったり来たりの往復を繰り返し、
テーマ曲一曲が流れ終わった。
 またテープのザーーーーー、という雑音と
気まずい空気が戻ってきた。
 おじさんは、慌てず騒がず落ち着いて、
「はい、ではレッドバロングッズの特別販売会を始めます〜う」
と言った。
 私と母は、おじさんがさっきからガラガラ押していた
台車に載っていた山積みのダンボールを見た。
(やっぱね・・・・・・)
 
 箱の中にはレッドバロングッズどころか、
おそろしく時代遅れなキャラクターグッズ
(しかもみんな似ても似付かぬ偽物やバッタ物ばかり)が入っていた。

「帰ろ!」
母は毅然として私と弟の手を引き、レッドバロンに背を向けた。
ロボにたかっていてた子供たちも、
「お金ないもーん」と言って、三々五々散っていった。

 その場に残されたレッドバロンとおじさんは、
静かに私たちの後姿を見送ると、
ぽつねんとふたり、広い河原にたたずんでいた。
 夕日が川面に写り、すべてが紅く染まって、
おじさんとレッドバロンを、紅く、静かに風景へと溶け込ませた。
  
 悲しき紅き者たち。

 私は何度も振り返った。
 レッドバロンとおじさんも、こちらを見ていた。





大人になってからそのことを思い出し、
ふと、彼らは夫婦だったのではないかと気が付いた。
 甲斐性なしで根性なしで悲しいくらい人がいい、
レッドバロンとおじさん夫妻。


 まるで今の私ら夫婦みたいだ。
 あの日、最後に見つめあったのは、
果たして本当にレッドバロンだったのだろうか?
 あれは将来の自分の姿ではなかったのか?

 それは、切ない真夏の思い出だ。


                          (了)
(こんなヤツがいた) 2003.7.14 あかじそ作