「 夜間救急 」

 その日も夕方1時間ほど夫の会社のチラシを
近所にポスティングした私たち母子4人は、
「暑い中、きょうもみんなよくがんばったね」
などと言いつつ、夜のテレビを見ていた。
 私はめずらしく風呂上りにビールを飲み、
酔っ払って畳の上でごろごろしていた。

 そのとき、いきなり、
「パチ――――――ン」
と、何かが破れる音がした。
 台所と居間の間の敷居のところで
3歳の四男が目を見開いて倒れている。
 びっくりしたような顔でしばらく固まっていたが、
やがて、
「あたまいたいーーーっ!!」
と、私の方に駆け寄ってきた。
 やれやれ、と、私は起き上がって四男の頭をなでると、
手にべったりと鮮血がついた。
 小5の長男が
「あ゛あ゛〜〜〜〜〜〜〜〜!!」
とのけぞって叫ぶ。
 よく見ると、髪の毛は血でびしょびしょに濡れ、
真っ赤な血が真っ白な首筋に向かってどうどうと流れていた。
「うわーーーーーー」
小3の次男が大泣きし始め、
小1の三男は、床にうずくまっている。

「ちょっと、じいに電話してうちに来てもらって!」
 私は子供に言い、
救急セットから洗浄綿を出して何度も傷口を拭いたが、
拭いても拭いても血はあふれ出てきて、
結局圧迫して止血してよく見てみたら、
右の耳の上が3センチほどパッカリ割れていて、
傷は案外深かった。

「縫わないとダメだ」
と思い、救急病院へ運ぶことを考えた。
「つよしー、死なないでよー!」
「どうしようどうしよう!!」
という子供たちの絶叫の中で、私は数年前のことを思い出していた。

 三男がまだ1歳になったばかりの頃、
夜中に激しい喘息発作を起こし、呼吸困難で危なかったとき、
どこの救急病院に電話しても、
何だかんだと理由をつけて断られ、
朝まで結局どこにも運べなかったことを―――。

インフルエンザが大流行していた年、 
 長男がインフルエンザをこじらせて肺炎を起こし、
脱水症状を起こして明らかに危険な状態なのに、
「よその医者から回されて来たくせに紹介状ないの?」
とか、
「そういうの仁義に欠けるから、診たくないんだよね」
などと医者に言われ、
寒い廊下で散々待たされた上に、
風邪薬ひとつ出されて追い出された。
 翌日、同じ病院の外来に、
これまた数時間待たされて診察を受けると、
非常に危険な状態だ、ということで即入院になった。
 聞けば、昨夜の当直医はアルバイトで、
入院させる権限がなかったというのだ。

 他にも何度もそういう体験をしてきたので、
私は大げさとは思いつつ、救急車を呼んでしまった。

 酔った母親に担ぎこまれた幼児。
 救急隊員は、言葉少なに私の方をちらちらと盗み見る。
 虐待を疑っているようだった。

 救急隊員は、救急病院に電話して受け入れを要請したが、
病院は何かしら理由をつけて断ってきたらしい。
 次の病院に電話をし、やっと受け入れてもらった。

 普通、救急車が来れば、もう安心だと思いがちだが、
これは大きな間違いで、
大多数の医者や救急救命士が乗っていない救急車は、
発車する前に数分、あるいは十数分かけて
まず受けて入れてくれる病院探しから始めるのだ。
 一発で受け入れてくれることは少なく、
何件かをたらいまわしにされることも少なくない。

 今回もやっぱり一軒目は断られたが、
2件目は嫌々承諾したようだった。
 かくして、四男は近所の救急病院に運ばれ、
のっそり出て来た若い医者に私が頭を下げると、
「どうしたのよ、普通、こんなんで救急車呼ばないんだよ」
と、冷ややかに言われた。
 その後は丁寧に縫合もしてくれたし、
レントゲンも撮り、骨の異常のないことを確認し、
脳への影響を明日外来で調べてもらうことなど話してくれたが、
第一声の叱責のことばを吐く医者の冷たい表情が
頭から離れなかった。

 注射も歯医者も決して泣かない、
負けず嫌いの四男なので、
麻酔の注射を何回刺されてもびくともしなかったし、
縫っている最中もまったく暴れなかった。
 しかし、縫っているときにだんだんうとうとしてきたことに
私も医者も看護婦もあせり、
何度も声を掛けて目を開けさせた。

 眠いのか、意識が混濁してきているのか、
とにかく、一瞬緊張が走った。

 縫い終わって抱き起こすと、
目を覚まして表情が出て来たので、
一同ほっとし、四男のあまりの我慢強さに感心した医者も、
最後にはニコニコ笑って丁寧に説明をしてくれた。

 なんてキツイ医者なんだ、と思ったが、
外科の彼は、もっと重い患者を日々相手にしているだけに、
「縫うくらいで済む軽い傷」で救急車を呼ぶ「馬鹿親」を
叱咤したのだろう。
 軽い患者に救急車が借り出されている間に、
命に関わる病状の患者が運べなかったときのことを仮定して
怒っていたのだろう。

 最初は、
「酒臭くて髪振り乱した馬鹿母(虐待の疑い有り)」
としか見てもらえなかった私も、
四男ときちんと話しているところを見てもらって、
帰る頃には、一人前に扱ってもらえた。

  帰り道、四男をおぶって真っ暗な夜道を歩きながら、
何だか、心細くて泣きたくなった。

 夫は仕事でいつもいないのは頭ではわかっているし、
普段は何とも思っていないのだけれど、
いつもいつもひとりで小さい子供らをぞろぞろ連れて
夜間救急に飛び込み、その帰り道は、いつも、泣きたくなった。

 曜日によっては、小児科医は市内の病院のどこもいない日もあるし、
患者が子供だというと、症状も聞かずに断るところも多い。
 
 日本は豊かだと言われているが、いつもいない父親たち、
夜中に具合が悪くなると放置されてしまう子供たち、
そういう現状が厳然とある。

 心細さは私個人の問題だけではないような気がしてきた。


                    (了)
(子だくさん) 2003.8.5 あかじそ作