「 まじかよ! 《ハニベ巌窟院》レポート 」

 夫の故郷、石川県金沢市に帰省した際、
夫の弟――地元金沢で活躍するパンクバンドのドラマー――が、
「ぜひ甥っ子たちに見せたいところがある」
と言い、半ば強引に我々を連れて行ったところがある。

 《ハニベ巌窟院》である。
 それは、石川県小松市にある洞窟の中に、
とある地元出身の彫塑家が、
国家の安泰や戦没者の冥福を祈りながら、
たくさんの仏像を作っては設置しまくっている、
というところらしい。
 北陸では知らない人はいないだろう、
というほどの有名なところらしいが、
そこを案内をしようとする夫の弟は、
なぜかむふふ、と含み笑いをし、
夫は苦笑しながら「マジであそこ行くのか」
と言った。
 それがどういうことなのか―――。
 私たち母子は後で知ることになる。

 夫の弟は、うちの息子たちから
「ヤンおじちゃん」と呼ばれ、
中村獅童似の、ちょっとシュッとした青年だ。
 真っ赤な長髪を後ろで一本に縛り、
あごひげをもさもさと生やして、
「おお、お前ら、来たんか!」
と、息子たち4人をにこやかに迎えた。
 無数の銀のトゲトゲのアクセサリーを、
肌の一部のようにごく自然に身に付け、
全身タイトな黒づくめのスタイルだった。
 
 この前見たときはモヒカン刈りだったし、
その前は、金髪だった。
 会うたびいつも違う怪しさで
私たちを楽しませてくれる彼は、
雨ザアザアのこのお盆休みに、
甥っ子たちをどう楽しませようとしているのだろうか。


 金沢市内から車でしばらく走り、
《ハニベ巌窟院》に到着。
 駐車場で車から降りると、すごい雨だった。
 その無数の雨粒の向こうに、
いきなり巨大な大仏の頭(15メートルあるらしい)が
地べたにドカッと置かれているのが見えた。
 おそろしくインチキくさい大仏だ。

 ああ、なんだか、嫌な予感がしたきた。

 その「巨大な顔」の左肩あたりに「受付」が見えた。
 タバコ屋みたいな小屋の小さな窓から、
さっきからこちらをねっとりと見つめている
受付のおばちゃん。
 我々は傘を持っていかなかったので、
みんなで走って受付のひさしのところまで駆け出していくと、
「いち、に、さん、し・・・・・・7人様ですね」
と言って、おばちゃんは物凄く練れた動きで
黄色いスクール傘をたくさん出してきた。
 大人ひとり800円、子供ひとり500円の「拝観料」。
 我々夫婦とヤンおじちゃん、そして、子供4人、
ということで、サクッと4400円ほど払わされた。
 
 (4400円か・・・・・・。その分楽しませてくれるんだろうな)

 私はちょっと懐疑的になり、
うそ臭い大仏の顔の裏側に回って、
ペシッ、と軽くひっぱたいてみた。
 
 おばちゃんが貸してくれた黄色い傘を開くと、
そこにはでっかく「ハニベ」と書かれていた。
 みんなでその傘を差して、ぞろぞろ山道を登っていくと、
「ちょっと上手な素人」が作ったような
不動明王やら阿弥陀如来などが並んでいた。
 
 私はここへ来てはじめて、
普通の神社仏閣に祭れている仏像が、
いかに崇高で、
高い技術が用いられているものか知った。
 
 何の迷いも無く自然に手を合わせられる仏像は、
もう、それだけで素晴らしいものなのだ。
 それらに何らかの魂がこもっているとしたら、
ここに「飾られている」仏像たちには、
「個人的な主義主張」のようなものが宿っていて、
手を合わせる気にはとうていなれず、
「ふーん」
としか言いようがなかった。

 少し歩くと、急ごしらえの水子地蔵が置いてあり、
取ってつけたような風車が飾り付けてあった。
 しかしそこには生々しいたくさんの供え物があり、
こんなインチキでも(おっと失敬)
信じていればその人は救われ、
その人の中では本物のありがたいお地蔵さんなのだな、
と思ったりもした。

 さて、さらに急な山道を登ると、
いよいよ本番の大きな洞窟が現れた。
 入り口付近には、
正統派、という感じの「上手な」仏像などが飾られていたが、
途中から何だか様子が違ってきた。
 明らかに作風が突然違う。
 
 聞けば、ここから先は、
ここを作った彫塑家の息子が
「二代目」として引き継いで作った作品が
並んでいるのだという。

 ちゃぶ台を囲む赤鬼、青鬼。
 人の血を飲み、目玉を喰らい、和んでいる鬼の食卓。

 そして、その奥になぜか
「セクハラ地獄」とタイトルを付けられた彫り物が飾ってある。
 横山ノックと思われる後姿の男が、女の腰を抱いている、
ど素人作品が・・・・・・。

 そこから先はもう、
「ゼネコン地獄」「幼児虐待地獄」「毒入りカレー地獄」
 「腐敗した警察地獄」「ミッチーサッチー地獄」
などの作品が延々と続いた。
 
 が、そのどれも素直に「ほほう」とは言えない
「ビミョ〜」な技術力で、
とにかく私たちは暗い洞窟の中で
ただひたすら「困る」しかないのだった。

 一地方都市の一おじさんが、
今の日本や世界の世相を嘆き、
強烈な皮肉を込めたつもりで作った、
おびただしい数の作品は、
はじめ、ただ我々を困惑させるだけだったが、
何百何千何万という数見せられているうちに、
苦笑を通り越し、切なさを覚え、哀しさに打ちひしがれ、
出口にたどり着く頃には、
何か大きな悟りをもたらしてくれるのだった。

 初代の意思を
歪曲理解してしまった二代目の作品群は、
ある意味、初代に果たしえなかったことを
成し遂げていたりして・・・・・・。

 
 はっきり言って、
「なんちゃって仏像」大展覧会会場なのだが、
それなりに「経営」も「創作意欲」も
健全に回っているのだから、
世の中おかしなものだ。
 理路整然と、まじめに、
ノイローゼになるほど
真剣に頑張っても回らないものもあれば、
好きなことだけやってて回ってしまうものもある。

 私はここでしみじみと悟った。
「もっと楽に、テキトーに生きよう」と。
 
 ちなみに、
この施設から出る(脱出?)するためには、
もうひとつ、
これまた非常にうさん臭い売店を通らなければならなかった。
 インチキグッズの数々を、
若くてきれいなお姉さんが売っていた。

 (あっ! これはもしかして「家業」!)

 私はハッとした。

 夫が作り、妻が受け付けをして、娘が売り子、みたいな?!

 私たちは、借りた傘を出口付近の巨大な壷に返却し、
土砂降りの中、車にまた乗り込んだ。

 ああ、この心地よい疲れは一体・・・・・・?

 ああ、 4400円―――。
 元は取った気がする。
 面白かった。
くやしいくらい突き抜けてる世界だった。

 負けた!



                 (了)
(しその草いきれ) 2003.8.26 あかじそ作