俺の新生活テーマ★新生活


結婚した。
40歳の新婚生活が始まった。
18歳で上京してから、22年ぶりに、誰かと一緒に暮らす事になる。
この22年間、俺は、好きな物を食べ、好きな事をして暮らしてきた。
そんな気ままな暮らしも、しばらくは我慢せねばならない。
朝5時に起き、嫌いな煮物も食べ、休日はパートナーと過ごし 、
機嫌が悪くても、そこそこ愛想よく振る舞わなくてはならない。
おまけに、数年後には、食事介助に、夜中のトイレ、入浴介助も待っている。
そう。俺は、老人――もとい、「年上のひと」と結婚したのだ。
40歳の俺は、40歳年上のひとと結婚した。

信用金庫の外回りで、この家に出入りするようになったのは、
3年くらい前だった。
ウダツの上がらない俺を、見るに見かねて、少しづつ、
定期預金を積んでくれた。
毎月、毎月、50万、100万、と、ゲンナマを奥から出して来ては、
まるで孫に小遣いでも遣るように、俺の手に握らせた。
半年前、風邪をこじらせて動けなくなっているところを、
集金に来た俺が発見し、大口顧客を失いたくない一心で、看病したのだ。

「結婚してください」

プロポーズは向こうからだった。

「身寄りは、あるにはあるけれど、もう、縁は切れています。
遺産は、好きに使っていいから、私が往くまで、ここにいて下さい」

不思議と、みじめさを感じさせない、その態度は、むしろ、堂々たるものだった。
「ついて行きたい」と思えるほどに頼もしく、力強かった。

「こちらこそ、よろしくお願いします」

俺は、咄嗟にそう答えていた。
少なくとも、その一瞬だけは、魔法にかかったように、
本当に、一緒にいたいと思って答えていた。

(なぜ、こんな老人と・・・・・・?!)

次の瞬間、俺は、ハッと我に返って、戸惑った。
このひとは、80歳なのだ。しかも・・・・・・。
しかも―――男ではないか!

小柄で、こざっぱりとした、上品な紳士だった。
父親のような、母親のような、中性的な雰囲気で、いつも静かに、
俺を見ていた。
でも、なんで、結婚なんて―――。
「一緒に住んでいる後見人」でいいじゃないか・・・・・・。

俺は、慌てて、聞き返した。
「結婚――ですか?」

彼は、にっこりと微笑んで、
「はい。内縁、ですが」

この人は「ホモ老人」だったのか・・・・・・。
そして、俺は、このホモ老人を抱くのか?
俺は、動揺していた。
なぜ、俺は<YES>と答えた?

彼は、正座して固まっている俺の正前に座り直した。
「断っても、いいんですよ」
「いいえ!」
俺は、なぜか断固として求婚を受ける旨を主張してしまった。
なぜなんだ―――?
俺は、俺の心が読めなかった。

俺は、頭を抱えてしまった。
何やってんだ、俺は!

―――結局、そのまま、俺は、ここに泊まり、ここから出社して、
ずるずると彼の世話になっていた。
俺は、ホモ爺さんの専属ホストとして雇われたのだ。
悪くない。三食風呂付き、身のまわりの細々した世話もしてもらい、
小遣いは、使い放題。
たまに、彼に手を貸してやったりすれば、大喜びなのだ。
楽勝だ。楽勝の、はずなのだ。

「息子です」
近所の人に、彼は、俺をそう紹介した。
そうなのだ。
養子なのだ。そういう事なら、よくある話だ。

俺は、「財産目当て」と割りきる事にした。
しかし、割りきった途端に、割りきれない何かが、俺の胸を騒がせるのだ。

「後悔しているんじゃ、ないですか」
ある朝、朝食の箸が止まっていた俺に、彼は、声を掛けた。
「後悔ではないです」
俺は、胸が詰まって、食事がすすまなかった。

と、彼は、ゆっくりそばに来て、悩んでいる俺の頭を、自分の胸に抱いた。
彼の両手が、俺の頭をやさしく包み、ゆっくりと唇が近付いてきた。
俺は、目を閉じて、身を任せてしまった。
うっとりと、彼の腕に抱かれ、頭の中を真っ白にしてしまった。
もう、何が何だかわからないけれど、真っ白なのだった。
そして、俺の中にずっと引っ掛かっていた物が、スッと溶けていくのが、わかった。

こうなる事を望んでいたのだ。
財産目当てなどでは、断じて、ないのであった。
俺は、彼を求めていたのだ。

その日、俺は、会社に「風邪で休む」と電話した後、
彼と一緒に区役所に行った。
二人で、養子縁組の手続きをして、手をつないで帰った。

「孝行息子さんで、幸せですねえ」
と、見知らぬおばあさんに声を掛けられ、二人で顔を見合わせて笑った。
そして、どちらからともなく、キスをした。
おばあさんは、凍りつき、後ずさった。
俺たちは、声を出して笑い、つないだ手を揺らしながら歩き出した。

愉快だった。
幸せだ。

俺の新生活は、幸福そのものだ。

(おわり)