「 片付かない部屋 」 | |
片付けられない時がある。 ものを、しまうべきところに戻すことができなくなる。 そんなときは、きまって精神的にこんがらがっているときだ。 最近テレビでよくやっている「ゴミ屋敷」は、 部屋に数トンものゴミをため込むなど極端な例だが、 そこまでいかなくても、 整理して片付けるべきものが、 どんどん床に山積みされてきて、 そのまま居間の隅に放置されてしまうことがある。 「片付けなければ」 「散らかっていて気持ち悪い」 と、いつも思ってはいる。 しかし、体が全然動かない。 他の事はできても、片付けだけができなくなる。 「ゴミ屋敷」の住人もそうなのだが、 大抵そういうときは、 気持ちがドツボにはまっていて、 自分ひとりでその泥沼から這い出すことができなくなっている。 希望を失っていて、 片付ける力がわいてこない。 ものを整理分類し、あるべきところに収納し、 部屋を飾ったりすることは、 人生の希望を失っている者にとっては 一番難しいことかもしれない。 裏を返せば、物事を整理分類して さくさくと問題を片付けていくことが苦手な人ほど、 読み古された雑誌のように問題が、 心に山積みされていき、片付け不能になって、 わけがわからなくなり、 生きる希望を失ってしまうのかもしれない。 私には躁鬱傾向がある。 しかし、散らかし放題・食べ盛りの子供たちが大勢いるため、 鬱々としているときでも、生きていくために 日々、掃除洗濯炊事をがんばらざるを得ない。 それでもじわじわと散らかっていく部屋。 ひたすら考え事だけしていたいときでも、 何かにケツを蹴っ飛ばされながら 炎天下に6組の布団を干したり取り込んだり こんがらがる布団カバーをかぶせたりしている。 汗が噴き出して、一日に何度シャワーを浴びても 爽やかになる暇がない。 サボればいくらでもサボれる主婦稼業だが、 サボれないタチだから、まいってしまう。 自分で自分の首を絞めて、 しまいには、突然ブチッと気持ちがアウトしてしまい、 何にもできなくなってしまう。 で、部屋がえらいことになっていく。 そして、散らかるだけ散らかると、 几帳面な自分が「キーッ」となり、 片っ端から掃除していくうち、 ふと気づくと躁状態になっていて、 部屋の大々的な模様替えをしてしまう。 何もそこまで徹底的にやらなくても、 というほど、家具を全面的に移動してしまう。 片付け終わると、まるで違う家のようになっていて、 汗をぬぐいながら、ガハハガハハと仰け反って笑う。 誰にも把握できない不定期なサイクルで、 部屋が散らかったりピカピカになったりする。 極端なのだ。 三年寝太郎なのだ。 片付けばさっぱりした気分になるのだから、 日々、少しづつやっていればいいものを、 生まれながらに「メンテナンス能力ゼロ」のため、 努力してもなかなか変われない。 社会に出て金を稼ぐためには、 営業能力だの計算能力だの体力だの気力だの才能だのが 必要とされるが、 メンテナンス能力の不能者は、非常につらい。 その日その日の心の垢を ササッとその日のうちにひと拭きしてしまえばいいものを、 そのままにしてしまっているから何か月分もの垢がこびりついて 強力な洗剤でゴシゴシこすらなければならなくなる。 いわゆる「ストレス」を溜める、というやつだ。 「ストレスの発散をしなければ」 という脅迫観念を持つことも、新しいストレスになっていく、 という哀しき性質。 さて、ぐずぐずといつまでも愚痴っていても仕方ないので、 ここで解決策を練ろう。 ★散らかった部屋が嫌なのに、片付けられない場合の対策。 @ものを持たない。 (散らかるもの自体が無ければ散らからない) A片付けるのが好きな人になる。 (片付けたら自分に報酬をやる、などして、自分を手なづける) B散らかった部屋でも平気で暮らせる人になる。 (片付けなければ、という強迫観念を捨てる。不感症になる) C人一倍稼いで、片付けは業者に全面委託する。 (雇用も増えて景気回復に良さそう) Dもっと稼いでホテル暮らしをする。 (乾燥に弱い人には不向き) 同様に、 ★混乱した精神状態が嫌なのに、善処できない場合の対策。 @何も考えない (ただただ生きるべし) A「趣味」を持ち、はまりまくる。 (日々のストレスなんてどうでもよくなるくらい何かに夢中になる) B混乱したまま暮らす。 (そのかわり、まわりに八つ当たりはしてはいけない) C嫌なことはしない。 (好きなことだけやっていればストレスも溜まらない。 仕事が嫌なら、稼ぎは減っても向いてる仕事をする) D病院に行って医者に薬をもらう。 (あるいはカウンセリングも有効) とりあえず私は、 万人に好かれようとするのはやめようと思う。 (了) |
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(話の駄菓子屋) 2003.9.2 あかじそ作 |