「 警察沙汰 」

 夕方、妻が子供たち4人を連れて帰宅すると、
きれいに片付けたはずの流し台の上に
飲み干したトマトジュースの缶が置いてあった。
 出かける前には確かそれは無かったように思った妻は、
最近近所にピッキング犯が横行していることを思い出し、
真っ先に泥棒を疑った。

 だがしかし、
通帳もパソコンも
封筒に入った現金も無事だった。
 
 ところでなぜ、ヤツは飲んだ缶を
わざわざ台所に置いていったのだろう。
 何も取らずに、ただ「侵入した」という
メッセージのみを残していくという行為。
 物取り以外の何か違う目的を持つ、
もっと気味の悪い賊なのかもしれない。
 
 警察に通報しよう。

 おっとその前に、
一応、夫のしわざではないか確かめておく必要がある。 
 妻は、夫の勤め先に電話を掛けた。

「夕方家に帰ってきた?」
「いや」
「飲み干したトマトジュースの缶があったから」
「いや、夕方は帰ってない」
「ええっ? あんたじゃないとしたら、
じゃあ、一体誰がうちに入ってトマトジュース飲んだの!」
「さあ・・・・・・」
「ああ、もういい! 警察に電話するわ!」


 かくして妻は110番通報をすると、
最寄の交番から制服姿の警官がふたりやってきた。
 ひとりは年配の太ったおじさん。
 もうひとりは、二十代半ばのまじめそうな(美)青年だった。
 
 妻は、警官たちを中に通すと、
流しに覚えの無いトマトジュースの空き缶があったこと、
毎夕、子供たちと買い物に出かけるため、
泥棒に目を付けられていたのではないか、
ということ、
以前、男に家を覗かれたり
窓を開けられそうになったことなどを話した。
 
 警官たちは窓という窓を見て回り、
「どこにも侵入した形跡がないなあ」
と首をかしげた。
 
「子供がランドセルに付けている合鍵を以前何度か失くしています」
「あ、夫が鍵を鍵穴にさしたまま寝てしまったことがあります」
「犯人に合鍵を作られた可能性が大きいですね」

 妻は、ミステリーファンだった。

 警官が頼みもしないのに、
あらゆる可能性を示唆し、
推理を次々と展開していくのを、
警官はのんきに「ふーん」と聞いていた。

「他に何か思い当たる節はないの、奥さん」
 おじさんの警官は部屋をぐるっと見回して言った。

 妻は一緒になって部屋をぐるりと見回して、はっとした。
 障子も襖も破れ放題、
取り込んだ大量の洗濯物は、
まだたたまれておらず、
部屋の隅に山積みだった。
 子供のおもちゃは床一面に広がって、
足の踏み場もなく、
ひとことで言えば、
「貧乏丸出し」な部屋だった。

 若い警官(何度も言うが美青年)は、
言葉少なく玄関の鍵穴をチェックしたり、
窓の桟に顔を近づけて足跡などないかを
非常にかっこよく調べては、メモをとっていた。

 (うーん、いかすぅ〜!)

妻は、おっさんの方の警官と深刻な話し合い
(今後の防犯についてなど)をしながら、
目はしっかりと働く美青年を追っていた。

 結局、わけがわからないまま調べは終わった。
 早々に玄関の鍵を取り替えるように言われ、
また、ときどき家の周りを見回りしてもらう約束をした。

 犯人に合鍵を握られたまま、
また、
「俺はいつでもお前の家に入れるんだぜ」
とメッセージされたまま、
眠りにつく勇気は、妻にはなかった。

 電話帳で鍵屋の出張を頼んで、
夜の10時過ぎまでかかって防犯性の高い鍵に付け替えた。
 代金、約3万円。

 高い買い物だったが、
命には代えられない。

 鍵の付け替えが終わる頃、
夫が「ただいまー」と鍵屋の横をすり抜けて部屋に入ってきた。

 「大変だったのよー」

 妻が夫に言うと、夫は、

「俺、朝トマトジュース飲んだけど」
と、ぽつりと言った。

 「は?」

妻は、静かに外出前の流しのことを思い出していた。
 きれいに片付けたことは片付けたが、
空き缶があったかどうかまでは
はっきりと思い出せなかった。
 
 そこへ、たたみかけるように夫が言った。

 「夕方帰ったか、って聞かれたから『帰らなかった』って
       答えたけど、朝トマトジュース飲んだのは俺だけど」

 「はあっ?」

そうなのだった。

 誰もこんな貧しいボロ家に侵入し、
わざわざメッセージなどを残していく暇なヤツはいないのだった。

 「あーあ・・・・・・」

 馬鹿だ―――。

 妻は、空気の抜けるような安堵感とともに、
さっきおじさん警官が帰り際に言ったことばを思い出した。
 
 「奥さん、子供一体何人いるの?
えっ? 4人? うーん、えらいねえ、いまどき」

 えらかないですが、馬鹿かもしれない。
 ぼんやり夫と大慌て妻。

 警察沙汰にまでして大騒ぎしたけれど、
今日も我が家は無事だった。
 
 子供がトイレに閉じ込められたときは、
消防署のレスキュー隊を呼んで大騒ぎ。
 家の周りに近所の人たちが何百人も集まってしまうし、
子供が頭を切って血まみれになったときは、
救急車を出動させて、また大騒ぎ。

 あらゆる緊急車両を呼びまくっている馬鹿一家。

 そして、今夜もまた、びっくりするほど平和―――。

 あーあ、つづくのだ。
 今夜もまた、平和な日々はつづいていく。

                 (つづく)

 
 またやっちゃいましたか、妻。
 慌てん坊にもほどがあるよね。
 ていうか、不安だらけの妻の不安を少しでも
取り除いてやりたまえよ、夫。
 妻の不安材料を増やしてばかりじゃ、
今に妻は自衛隊とかNASAまで呼びつけちゃうかもしれないぞ。

 がんばれ。夫。
 もうがんばってるかもしれないけど、
もっとがんばれ、夫。
 そして、落ち着け、妻!

(すみませんが、やっぱしまだつづく)


(夫婦百態) 2003.9.16 あかじそ作