「 心配性 」
ぼくは小学六年生だ。
実は、父の心配症に困っている。
父は、大きな会社に勤めていて
人から見たら立派なサラリーマンだけど、
心の中ではいつも心配ばかりしていて
ちっとも楽しい人生を送ってはいないみたいだ。
子供たちは学校でいじめられていないか、
引きこもりになったらどうしよう、
お母さんが「ふりん」したらどうしよう、
突然家族が離れていってしまったらどうしよう、、
仕事で失敗したらどうしよう、
リストラされたらどうしよう、
大きな病気になったらどうしよう、
年を取って寝込んだらどうしよう、
誰に介護してもらったらいいのだろう、
老人虐待されたらどうしよう。
父は毎日、心配のし過ぎで
疲れ果ててしまっていて、
休みの日に家族で遊びに行っても、
どこか遠くを見ていて
ちっとも楽しそうじゃないんだ。
ぼくの友達には、
お父さんの仕事がうまくいっていなくても、
お母さんが病気がちでも、
兄弟が引きこもりになっていても、
家に寝たきりのおじいちゃんがいても、
結構楽しく暮らしている人がいる。
みんなで動けないおじいちゃんのお世話をしたり、
車椅子のおじいちゃんを
近くの公園まで押して行って
みんなでおにぎりを食べたりして
楽しそうに暮らしているんだ。
友達の中には
「外食も旅行も行けなくてかわいそう」
と言う人がいるけど、
外食とか旅行とかができる人でも
淋しくてかわいそうな生活をしている人が
いっぱいいると思うんだ。
今ここに無いものばかりを欲しがって
無い無いと大騒ぎしている人よりも、
今ここにあるものを大事にして
あるある、と大喜びしている方が
僕はいい生活だと思ったりしている。
家族でおじいちゃんのお世話を
しているその友達は、先生に
「いつも大変ね」
と言われたとき、
びっくりしたような顔をしていた。
そして、
「おじいちゃんは
もうすぐいなくなってしまうから
僕たち家族は
まだ生きていてくれるおじいちゃんを
大事にしたいんです」
と言った。
そして、
「お母さんも、
病気で長生きできないけど、
『人のお世話ができる今が幸せ』
と言っています」
とも言った。
僕の家族は
お金に困っていないし、
家族みんな健康で
外食も旅行も行くけれど、
その友達の家族ほど
幸せではないかもしれない。
みんな父ほどではないけれど
心配が多くて、
手に持った宝物がいつ消えてしまうかばかり
気にして生きている。
手の中の宝物は僕たちにとって
心配の種になるだけで、
ちっとも僕たちを幸せにしてくれないんだ。
僕の父や、僕たち家族は、
どうしたら僕の友達の家族みたいに
幸せになれるだろう。
僕はただ幸せになりたいだけなんだ。
(了)
2003.10.7 (小さなお話) あかじそ作