「手のひら」

 毎日、会っては、いた。
しかし、彼は、淡々と、私の食事の世話をして、
綺麗に私の部屋を掃除し、
挨拶もなく、いつのまにか、どこかへ行ってしまうのだった。

  子供の頃から、その繰り返しの毎日で、
彼にこれといった感情も抱かずに生きてきた。

  ところが、自分でも知らない間に、私は致命的な病気にかかっていて、
もう、余命いくばくもないのが、はっきりとわかってしまった。
  彼にもそれがわかるらしく、食事中、心配そうに私につきっきりになった。

  彼の目が
「助かってくれ」
と、言っていた。

  私も、助かりたい。
彼が、私の方を見てくれるようになってから急に、
命が惜しくなってしまった。

  でも、今、いよいよ、私は意識を失いかけている。

  彼は、私を手のひらの上にそっと乗せた。
アクアラングのレギュレーターを口からはずし、
私の頬にそっとくちづけをした。

  私は、静かに命を終えた。

  −−−水族館は、いつも通りに営業を終えた。

   その若い係員は、仲間に話し掛けられても、返事もせず、
黙って上半身だけウエットスーツを脱ぎ、黄色い魚を手のひらに乗せて
水槽を離れた。

   死んだ魚のたくさん入ったバケツに、その黄色い魚は入れられた。
ぱっちりと目を見開いたまま、幸せそうにバケツの中で眠っていた。

  彼は、バイクに乗って、いつも通り、帰宅した。

  −−−幸せな人魚姫の、命が閉じた日の事だ。

                                            (おわり)

 2001.06.20 作:あかじそ