キリ番特典
araraさん 27400番
―――お題「25年目の再会」―――
「 私と、母と、母の母 」

 私がその力を手にしたのは、
第一子の分娩のさなかであった。
 ぶりんと子が娩出される瞬間、
私は一瞬、
分娩台のまばゆいライトの中に
アカンボの自分を見た。
 分娩台には若き私の母がいて、
今まさに自分が娩出されるそのときを見たのだ。

 それからしばらくは
慣れぬ育児に追われて
そのときの妙な夢のことは忘れてしまっていた。
 ところが、ある日、
公園で子供を遊ばせているときに、
突然自分が低い位置で
地面の粗い砂の上を走っているのに気がついた。
 ふと立ち止まり自分を見てみると、
私は小さな短いスカートをはいて、
小さな右手に葉っぱ、
小さな左手にしろつめぐさを握っていた。
 つまり私は幼児になっていたのだ。

 そして、あっ、と声を上げると、
また元の「母親の自分」に戻っていた。

 それから、こういうことがたびたび起こった。

 スーパーで泣きながら大暴れする子供に
カッとなって手を上げたとき、
私は自分の頭にガツンという衝撃を受けた。
 頭蓋骨が揺れて視界がぶれる。
 血の味がする。
 口の中を切ったらしい。
 私は荒い息でその拳骨の源を見上げると、
そこには若い頃の母がいた。

 さらに次の瞬間、
拳骨を握って突っ立っている自分と
号泣する我が子がそこにいるのだ。

 自分ではコントロールできないのだが、
私はこうして時々、
自分の幼い頃の体験にかぶさり、
不安定な心を持て余す自分の原因が
母という「かたくなな人」によって
出来上がってきたのだということを知った。

 私は過去の自分にかぶさるだけでなく、
過去の場面に挿入されることもあった。

 母と私が一緒にいるシーンが
たびたび脳裏に映し出され、
そのリアルさに凍りつくことがたびたびあった。

 父に激しく暴力を振るわれている子供
(それは幼い私と弟だ)
の前に立ちはだかって、
父を殴り返している母。
 母はキレまくり、逆に父に蹴りを入れて
負傷させている。

 反抗期の私と激しく言い争う母。
 激しく叩き閉められた子供部屋のドアを
ため息まじりで見つめている母の姿。

 反抗期の私は
体ばかりが大きくなった幼児のようだった。
 両親に「死ね」とか
「くそばばあ」「くそじじい」とか
口汚くののしる姿は、
「愛して」「わかって」「信じて」
という、「ぐずり」そのものだった。

 家庭にまるで興味のない父に
母のその孤独な戦いは理解されることはなく、
母は、黙って私のことばの暴力に耐えていた。

 ある晩、また私は
ある過去のシーンに立ち会ってしまった。

 反抗期の私が母に対して言っていたのだ。
 「あんたは子を産んじゃいけない人だったんだよ」。

 母が笑って
「失礼な」と返してくると思っていた中学生の私は、
応答が全然返って来ないことに驚き、
母の方を見た。
 母は、台ふきんでテーブルを拭きながら
「お姉ちゃん、きついなあ」
と言った。
 声が涙声だった。

 私は懐かしい居間の片隅で、
その母娘の日常を客観的に覗き見て、
明らかに母親の方に同情した。
 娘は、母の心をサンドバッグのように扱っていたのだ。

 それが反抗期だ、
と言ってしまえばそれまでだが、
今の私は、
反抗期の息子を持つ母親として、
その光景を直視できなかった。

 母が憎くて仕方ない時期が長かった。
 事あるごとに
「母が私を受け入れてくれなかったから」
と、唇を噛み締めて
自分の生い立ちを呪っていた。

 しかし、自分が親にしてきた仕打ちに関しては
まるっきり忘れ果てていたのだ。

 可愛い息子が自分に対して
敵意をむき出しにしてくる毎日に、
私はかたくなになったり、
悲しくなったりして暮らしていたが、
それは、代々繰り返される親子の通過儀礼だったのか。

 25年目ぶりに再会した中学生の私と若い母は、
ただ必死に生きている姿を今の私に見せただけで
私の今のつらさをやわらげてくれたようだ。

 私は次にそういうシーンに出くわしたら、
思い切ってその頃の母に話しかけてみようと思った。
 勘のいい母は
姿の見えぬ誰かの声に
「何かの知らせだわ」
と思うに違いない。

 ガシャーン、
と激しく何かが割れる音がして振り返ると、
見覚えのあるパンフラワーの飾りが
床に落ちて散り散りに割れていた。
 私はまた、唐突に過去のシーンに
入り込んでしまったようだ。

 その割れたものは、
確か母が一ヶ月以上かけて作った
自慢のパンフラワーの飾りだ。
 中学生の私は、
首の折れた幾本もの赤いバラを見下ろし、
自分が投げて割ったくせに
予想外に激しく破損してしまったことに
動揺しているようだった。

 「何すんのよ!」

母は、自分よりも大きくなった
中学生の私を叩いた。
 反抗期の私は、
「ば、ババアがうるせえからだろ!」
と、どもりながら言うと、
すばやく自分の部屋に入ってしまった。

 このことは、今でもよくおぼえている。
 「しまった!」
と心底思ったものだった。
 そのパンフラワーは、
破損したまま数十年間玄関に飾られ、
今でも実家のトイレの窓際で私を睨んでいるのだ。

 部屋に引っ込んでしまった娘。
 じゅうたんの上に散った硬いパンの花のかけらを
這いつくばってかき集めている母。
 バラの頭を茎にくっつけようとしてみるが、
処置なしだった。

 毎晩帰って来やしない夫を待つことをやめ、
友達に習って毎晩パン粘土をこねては
一枚一枚花びらを作り、葉に葉脈を書き、
茎に緑のテープを巻いていた。

 「どう?」
 と子供たちに聞いても、
「別に」
としか彼らは答えなかった。

 床に散ったかけらをひとつつまみ上げ、
涙まじりに震えるため息をつく、
その母の背中に、
私は思わず声を掛けた。 

 (ごめん)

 母は、バッ、と振り返った。
 私の声が聞こえたようだ。
 
 私はもう一度、声を掛けた。

(今ごろあの子も反省してるから)

 母は子供部屋のドアを見た。
 しかし、中学生の私は出てこなかった。

 母は、またため息をついて
後片付けを続けた。

 私も思わず母の隣にしゃがみ、
花びらの破片を拾おうとした途端、
母の手に触れてしまった。

 すると―――

 またどこか別の過去のシーンに
飛んでしまったようだった。
 古い木造の汚い家で
見たことのあるような小柄な少女が、
その母親に向かって悪態をついていた。
 母親の方は―――
なんと先日亡くなった母の母、
つまり私の祖母だった。
 あまりに若くて綺麗なので
危うく気付かぬところだった。

 と、いうことは、
この悪態をついているのは私の母なのか。
 祖母は素晴らしくすばやい動きで
少女時代の母をぶっ飛ばし、
キッとなった少女は
ちゃぶ台を蹴飛ばして裸足で外に逃げ出した。

 何やってんだか。

 私は次の瞬間に、元の時間に連れ戻され、
呆然と一連のリアルなシーンたちを思い返してみた。

 何と言う女傑一族。
 激しい激情。
 戦う母と娘。

 私と、
母と、
母の母。

 そして恐らく、
その母や、
その母の母や
その母の母の母も、
激しく戦い、激しく愛する女たちだったのだろう。

 その後、私の不思議な力はいつの間にか消えて、
後からそれが超能力などではなく、
一種の脳のいたずらだったと知ったとき、
急に可笑しくなって大笑いした。

 悩むなかれ。

 ただ血をつなぐ鎖の一本として生まれ、
ただ生きていけばいいのだと、
私の脳が、
いや、この血の中に生きてる女傑たちが
笑ってそう言ったのだ。


(了)

 (小さなお話) 2003.12.2. あかじそ作