話の駄菓子屋 「おばちゃんの忠告」

 

 この正月、夫の生まれ故郷に帰省した。

 夫は石川県金沢市に生まれ育ち、

大学進学とともに東京へ上京してきて以来、

東京出身の後輩(つまり私)と結婚し、

それ以来、首都圏で働いている。

 

 毎年、夫の母方の親戚に新年の挨拶に行っていた夫の母が、

今年は断固として「行かない」と言う。

 母は、春に脳出血で倒れて以来、

後遺症で右手足と言語に障害が残った。

 そういう自分の状態を、

半年以上経った今でも彼女はまるで受け入れていなかった。

 「こんなみっともない姿は、誰にも見せられん」

と、退院してもどこにも出ようとしない。

 

 そんな母の代わりに、

今年は長男である夫が挨拶に行くことにした。

 

その親戚のおじちゃんおばちゃんは、実にいい人たちで、

一度会ったら誰でも彼らを好きになってしまうような、

「成熟したおとな」たちなのだった。

 私も以前正月の集まりに参加した際に

彼らに魅了されたくちで、

子供たちを連れて夫についていくことにした。

 

 おばちゃんの家に上がるや否や、

「まあまあ上がりまっし、菓子でも食べまっし」

と笑顔笑顔で歓迎された。

 「いえいえ、まずはお線香を」

と仏間に進むと、

菓子とお茶を持っておばちゃんがついてきた。

 

 おばちゃんは仏壇の前で手を合わせる私たちの横に正座し、

突然マシンガンのごとく語り始めた。

「あんたが長男さんだから言うけど、

あんたのうちは何とかせんならんよ。

 あんたのお母さんは私の妹だからよくわかるけど、

あの人はとにかく昔から負けず嫌いでキツイ子や。

 お母さんが脳出血で倒れてから、

お父さんは70にもなる体で毎日毎日お勤めの後に

病院に見舞って、そりゃあ、よくしてくれたのに、

あの子は感謝するどころか、

退院してからも相変わらずの家庭内別居や。

 自分ばかりがひどい目に遭ったと言うて

お父さんを憎んでばかりや。

 あんたの妹や弟は、母親が長年刷り込んだせいで

母親べったりで父親を避けているし、

みんなでお父さんを無視して暮らしとる。

 私は姉妹だけど家族のことには

よう口出せんから、あんたからお母さんによく言って」

 

 そう言われても夫は

「はあ、はあ」

と実のない返事ばかりを繰り返し、

おばちゃんはじりじりするばかりだった。

 

 「長男の甚六」で、夫はただ言われていることを

ぼけっと聞くだけなので、

私が思わず

「本当に私もそう思います」

と答えた。

 お母さんの気持ちひとつなのだ。

一度死んだと思って今までの憎しみや恨みつらみを全部忘れ、

歩み寄ってきているお父さんと仲良くしようという気持ちを持てば、

今すぐ血の通った温かい家庭に戻れると思うのに、

今まで以上に意地を張り、

弱みを見せまいと歯を食いしばっているお母さん。

 病気をきっかけにして家族がまたひとつになれそうなのに、

許すことを知らず、般若の境地に入ってしまっているお母さんは

自分で自分の人生を暗くしている。

 私も以前からずっとそう思っていたが、

おばちゃんもまるきり同じことを考えていたらしい。

 

 私たちが仏壇の前で熱く語り合っている間に、

子供たちは一通りお年玉を戴き、

出された菓子を洗いざらい食べつくしていた。

 

 夕飯時だったので早々に引き上げたが、

やっぱり私はおばちゃんのことが大好きだと思った。

 時々仏間にふらふら入ってきては、

話についてこられずに、またふらふら出て行く

酔っ払ったおじちゃんも好きだ。

 気の利いた合いの手を会話に挿入する夫のいとこたちや、

うちの子たちと同年代のその子供たち。

初対面の子供同士も、ゲームを一緒にやって仲良くなっていた。

 

 なんて飾らない、素朴で楽しい、人間味のある人たちだろう。

 

 おばちゃんは、

「姉妹の中で、なぜかあんたのお母さんひとりだけ性格がキツイ」

と夫に言い、私には

「あの姑を見習ってはいかんよ」

と言う。

 

 帰り際、うちの子供たちが玄関先で夫に

「お父さんが金沢弁しゃべってる」

と言い、

私が

「この人は金沢弁だと饒舌ですけど、東京弁では無口なんですよ。

 この人のお父さんより寡黙なくらいです。

私も一度くらい夫と『会話のキャッチボール』というやつをしてみたいです」

と笑いながら言うと、

おじちゃんやおばちゃんはゲラゲラ笑い、

「いろいろ言って悪かったな」

と言った。

 「いえ、親身になっていただいてありがとうございます」
と言って車に乗り込み、私たちは帰った。

 

 夫の両親の家に帰ると、

やはりお父さんは一階で、お母さんと妹弟は二階に居た。

 

 夫も、私も、

お母さんに何も言えなかった。

 お母さんは、自分のプライドと意地の突っ張りだけで

ここまで家庭を守り、子供たちを育ててきたのだ。

 誰もそれを否定できないし、

うまく話せない、歩けない、動けない、という状況の中で

自分なりに悩んだり考え込んだりしているお母さんに

これ以上荷を背負わせるのも酷のような気がしてならない。

 

 私自身、うまく家庭を運営できている自信がないから、

おばちゃんのことばは身に沁みた。

 

 

「家族は喧嘩しながらでもひとつ場所で、とにかく一緒にいればいいんや。

 そうやって助け合って生きていくしかないんや。

 ひとりで何ができるんや。

 プライドや意地だけで、幸せになれるんか」

 

 

 おばちゃんの忠告は、ちゃんと裏づけがあるのだ。

 おばちゃんも、仕事や夫のことでは苦労しっぱなしだったという。

 苦労を肥やしにして大人になってきたおばちゃんと、

苦労を憎しみと意地に換えて自分のプライドを守り通してきた夫の母。

 

 双子のようにそっくりな姉妹なのに、

まるで違う生き方をしている。

 

 今、もしかしたら、夫の母寄りの行き方をしている私は、

今度の帰省でまた、人生を考え直した。

 まるで同じ人間の

ツーパターンの生き方を同時進行で直視させられたようで、

多くのことを思った。

 

 ありがとう、おばちゃん。

 そして、ありがとう、お母さん。

 

 私はこれから女としてどう生きるか、

またいいヒントをいただきました。

 

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 (話の駄菓子屋)2004.1.6.あかじそ作