リョクさん キリ番特典 31900 お題「眼鏡」
「 私の眼鏡歴 」

 私は中学の頃から
右目ばかりどんどん乱視が進んでしまい、
目玉がゆがんでしまうほどひどい状態になっていた。
 テレビを至近距離の右側からばかり見ていたからだ。
 ちなみにテレビの左側からばかり見ていた弟は、
左目ばかりが悪くなったという。
 子供の頃の家庭での指定席が
その後の子供たちの視界を変えた。

 さて、視力の良かった左目も、
右目の分をかばっているせいか、
どんどん度が進んでしまった。
 眼鏡屋で視力検査をした時に
カトちゃんみたいな丸眼鏡をかけさせられ、
「こっちと・・・こっち、どっちが見えやすいですか」
と、レンズをとっかえひっかえして
何とかできた初めての眼鏡は、
ピンクでごついフレームの眼鏡だった。
 当時は金縁や銀縁が流行っていたが
あまのじゃくな私は、
なぜか戦時中みたいな眼鏡を選び、
悦に入っていたのだ。
 だが、実際にできてきたものを掛けてみると、
実に違和感がある。
 母は、ひと目見るなり、
ひっくり返ってゲラゲラ笑い、
「眼鏡のどんちゃんだーっ!」
と言った。

 どんちゃんて誰!

ともかく、ただでさえでかい顔に
ハワイの原住民のような濃い目鼻立ちで、
そんなごっつい存在感のある眼鏡を掛けた日にゃあ、
もう、どんちゃんと呼ばれても仕方なかったかもしれない。

 思ったとおり、
初めて学校でその眼鏡を掛けた途端、
クラスでは授業続行不可能になるほど
全員がゲラゲラ笑い転げ、
その日以来、その眼鏡はお蔵入りしてしまった。

 「高かったのに何よ!」

と母に叱られながらも、
すぐに銀縁の眼鏡を作り直してもらい、
それを使い始めたが、
うがいをすればすぐエヅキ、
埃を吸えばくしゃみ大連発、という
異物に対してめちゃめちゃ拒絶反応をしてしまう私のことなので、
眼鏡の縁が鼻の頭に常に乗っかっているのに
三十分と耐えられず、
いつも着けては外し、着けては外ししていて、
面倒なばかりで、ちっとも視力を補うことができなかった。

 そんなわけで、
私の「ド乱視裸眼生活」が始まった。
 視力のいい人の目は、ただの「目」だが、
私の目は、物がゆがんで
ゆらゆらと常にゆらめいている「裸眼」という目だ。
 目は見ているが脳には見えていない。

 そんなわけでぶつかったり落ちたり、
引っかかったり引っ掛けられたり、
転んだり滑ったり挟んだりねじったり、
と、怪我した数は数え切れず、
それでも一度も死なずにここまで生きてこられたのは、
奇跡か、ご先祖様のご加護だろう。
 馬鹿みたいに頑丈な体にも随分助けられた。

 黒板の文字はほとんど見えなかったが、
優等生だった私は、気合で完璧な板書をした。 
 先生が悪筆で、級友の誰もが読み取れない文字も、
「あかじそっち、心の目で見てくれっ」
とみんなに頼まれ、何度読解してきたことか。

 そんなわけで、
目が悪いのに裸眼で過ごしたおかげで
私の勘はどんどん鋭くなっていった。

 いつもいつも通学路の同じ場所で
私に挨拶してくれるおばちゃんに
その日も挨拶を返すと、
一緒に居た友人が変な顔をした。
 
「どうしたの?」

と友人に聞くと、
私が誰もいない場所に向かって挨拶した、という。
 おばちゃんは、この世のものではなかったらしい。

 この世のものが見えなくて
あの世のものがなぜ見える?

まあともかく、そんなことが
幾度となく続いて、
高校受験も、連日黒くてでっかい男の霊に
背中から覗き込まれながら何とか乗り切り、
私の裸眼生活はそれからもしばらく続いた。

 しかし、大学では文学を専攻したため、
連日読書漬けで、視力が落ちまくってしまった。
 眼鏡なしでは本が読めなくなり、
仕方なく眼鏡を掛けていたが、
その後、結婚出産すると、
四人の男児たちに何度も眼鏡を叩き落されて、
レンズが割れる、
ツルが伸びる、曲がる、広がっちゃう、と、
せっかく買い替えた眼鏡も、
一発でダメになってしまうのだった。

 先日も、
「足が当たった」とか何とか、
くっだらない原因で始まった兄弟げんかを仲裁していて
三男に顔をひっぱたかれ、眼鏡がすっ飛び、
ひん曲がったツルをペンチで直していたら、
縁なし眼鏡のレンズの付け根がパチッと割れてしまった。

 度が強いから縁なしはやめたほうがいいですよ、
と、眼鏡屋には言われていたのだが、
このでかい顔に、
目立たないようにそっと居て欲しいという願いから、
無理やり縁なしにしたが、
やっぱり無理だったか。

 眼鏡チェーン店の安売りのチラシを見て
五千円の眼鏡を買いに行ったが、
度が強いし、左右ひどいガチャ目のため、
特殊レンズじゃないとダメだとか何だとかで
結局やっぱり三万円かかってしまった。

 金欠でも何でも、目が見えないんだから
掛けないわけにはいかないのだ。
 眼鏡がないというのは、
目がないに等しい状態だ。
 私の目は切れ長で大きいが、節穴なのだ。
 切れ長で大きい節穴なのだ。

 化粧をするったって、
眼鏡を掛けないでするから、
手探り状態で必要以上に塗りたくってしまい、
化粧が終わって眼鏡を掛け、
鏡を見ると悲鳴を上げずにはいられない。

 これはアイシャドーじゃない!
節穴シャドーだ!
 舞台メイクだ!
 歌舞伎だ!

一度コンタクトレンズに挑戦してみたが、
無理だった。
 眼鏡のツルでさえ、
その異物感にキリキリしてしまうのに、
メン玉にレンズなんて入れたらもう、
天地がひっくり返ったみたいな苦しさで、
まったく耐えられなかった。
 眼科の医者に初めてレンズを入れられる時、
まず「先端恐怖症」のため、けたたましい悲鳴をあげ、
入れた後は、その痛みと異物感で
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛〜〜〜〜〜〜〜〜っ!!!」
と絶叫して待合室を駆けずり回ってしまった。
 あきれる医者に
「ま、これは慣れですからね。
でも、慣れた頃には新しいレンズに交換でしょう。
 ひどいアレルギーで粘液が濃ゆ濃ゆですから、
すぐに曇ってしまってレンズの寿命が人より短いでしょうから」
と言われた。


 コンタクト特有の面倒なメンテナンスも
私にはまるで不向きで、
精製水だ、煮沸機だの何だのと、
必要な道具や消費材が多すぎてダメだ。
 使い捨てレンズなんて、
貧乏性の私にはストレスにしかならない。

 そんなわけで、
私は現在、眼鏡生活をしている。

 私の眼鏡の歴史は、
怪我と、心霊と、悲鳴と、バイオレンスの歴史でもある。


           (了)
   (しその草いきれ) 2004.2.24. あかじそ作