2015年、いよいよ少子化も極まり、
次々と虐待が表面化していく中、
政府も新しい政策を打ち出さざるを得なかった。
ホームヘルパーのノウハウを応用した
「ホームマザー」制度の導入だ。
もはや家庭の教育力が期待できない、ということで、
国家資格として「ホームマザー3級」「2級」「1級」が制定され、
各家庭に家事育児の補助員を派遣することになったのだ。
今までサラリーマンの妻は掛け金を納めなくても
年金を受給できたのだが、
年金改革が実行に移され、
専業主婦でも年間16万円弱の
掛け金を納めなければ年金を受け取れなくなった。
そのため、
専業主婦の就業先が大量に必要となり、
この「ホームマザー」がその受け皿となっているのだった。
小さな子を持つ母親も、
自分の子供を保育園や託児所に預けて、
よその家庭に「ホームマザー」として働きに行く。
自分の子は、お金を払ってよその人が育て、
自分は、お金をもらって人の子を育てる。
―――日本は、経済を回すために
こんな不自然なことになっているのだった。
ケースワーカーとの面談で、
必要な家庭には「ホームマザー」が派遣される、
というこのシステム。
我が家も例外に漏れず、
「ヘルパーさん」ならぬ「マザーさん」が派遣されることになった。
おそらく、我が家に小さな双子がいるためだろう。
初めて派遣されてくるという朝、
朝9時に来るという約束になっていたので
いつもより早く起きて
部屋を掃除し、緊張しながら待っていると、
時間より1時間も遅れて「マザーさん」はやってきた。
30代後半か・・・小太りのその女性は、
部屋に入ってくるなり、無遠慮に部屋中をじろじろ観察し、
「結構広いんだー」
とか
「あっ、このぬいぐるみ、うちの子も持ってるー」
とか
「小さな子供がいると母親も身なりに構っていられないでしょ」
などと、失礼なことを次々と言ってのけた。
「あの・・・・・・9時からだと聞いていたんですが」
と私が言うと、突然むっとして
「私だって家庭があるんですよね!
子供を学校に送り出して、洗濯して皿洗ってから
家を出るんですから。
ちょっと遅れたくらいで
センターの方に告げ口なんかされたら
困りますからね!
生活がかかってるんですから。
奥さんみたいに人の手助けを受けないと
やっていけないような人に
うちの生活をめちゃめちゃにされたらたまんないわよ!」
と、まくしたてた。
私は、すぐにその方にお引取りいただき、
センターにホームマザーの派遣自体もお断りした。
だが、「このサービスを受けるのは
母親のためだけでなく、子供の権利なんですよ」
などと言われ、翌日、また違う「マザーさん」がやってきた。
今度はちゃんと時間通りやってきて、
ニコニコと感じのいい人だったので安心していると、
幼稚園の双子が園から帰ってきた途端、
突然般若のような顔になり、
「手洗いうがいを、なぜすぐにしないの?!」
と、突然子供たちに怒鳴りつけた。
バッグを棚に置いてから
手を洗おうとしていた子供たちは、
ギクッとして慌てて洗面所に駆け込んだが、
その後姿に向かって
「家の中をバタバタ走らない!」
と、また怒鳴った。
「あのう・・・・・・」
私は恐る恐る彼女に声を掛けると、
そのことばをさえぎるように、
「子供を甘やかさない!」
と、私にも怒鳴ってきた。
「すみません・・・・・・まず平和的に自己紹介しあいません?」
と私が言うと、
「あなたがまともに育児できないと聞いたから、
あなたのために来ているんですよ。
あなたたちのために叱ってるんです!
あなたたちの将来のために、
私はあえて心を鬼にして叱っているんですからね」
と、機関銃のように一気に言う。
私はすっかり萎縮し、
しばらくシュンとして黙っていると、
「ほら、ボヤッと座っていない!
すぐに子供たちのために手作りのおやつを作る!」
と、言われた。
「あ・・・は・・・はい」
私は慌ててキッチンに向かい、
戸棚から小麦粉を取り出すと、
「まず手を洗う!
母親がそうやって不衛生だから子供たちがマネするの!」
と、また叱られた。
立て続けに注意されまくり、
完全にテンパッてしまった私は、
小麦粉を出すときに思わず粉をこぼしてしまった。
すると―――
「なぜこぼすのっ!!」
と甲高い声で叫ばれてしまった。
「わざとじゃないです・・・・・・」
と言うと、
「わざとじゃなかったら何してもいいの?
それに、わざとだったら私は黙っていないわよ。
早く拭きなさい。早く早く早く早く!!」
と、取り付く島もない。
私は涙があふれてきた。
ひっきりなしに知らない人に責め立てられているからではない。
彼女が私にあびせてくることばは
いつも私が子供たちにひっきりなしに浴びせているセリフと
まったく同じだったからだ。
私は子どものためを思って
一生懸命にしつけをしているつもりだったが、
言われた方は、こんなにも悲しいものなのか。
私は小麦粉だらけのキッチンの真ん中で、
じっと下を向いていた。
すると、「マザーさん」は、すかさず、
「ぐずぐずしてないで早くやりなさいっ!」
と、より大きな声で怒鳴ってきた。
それでも私が微動だにしないと、
キッとなって、
いきなり私の頭をはたいた。
「とっとと片付けなさい!」
私はハッとして粉のついた顔を「マザーさん」に向けた。
「マザーさん」は、冷たい目で私を見返し、
「しつけです」
と言った。
「・・・・・・もうやめて・・・・・・」
私は口の中でつぶやいた。
「ハアッ? 聞こえない!」
私は彼女が憎くなったが、
同時に、
同じ女性として
彼女が一生懸命なのがわかった。
一生懸命に「職業母」という自分の仕事をしようとしている。
私が一生懸命に母親という仕事をしているのと同じように。
彼女は本当に私をしつけしに来ているのだ―――
私は気が付いた。
彼女は、私の行動パターンを知っていて、
わざと私と同じことをしているのだ。
確か、ケースワーカーが面談に来た時、
私は面談の合間に子どもを細かくチクチクと責めていた。
知らない人が家に上がっているということで、
子供たちは興奮し、部屋中を走り回っていたのだが、
私はふたりをつかまえて、ポカッと叩いた。
走り回ったせいで金魚鉢をひっくり返し、
真っ青になって謝っている子供たちに
いつまでもしつこく怒鳴り散らしてしまった。
私がやっていたことがどんなことなのか、
この人は教えにきたのだ。
「もう充分わかりました。お引き取りください」
私が言うと、「マザーさん」は、あっさりと
「はい」
と言って、礼儀正しく頭を下げて帰って行った。
すぐに、というわけにはいかなかったが、
それからは、私も少しづつ変わっていき、
今では派遣対象からはずされるまでになった。
そして今では、「ホームマザー」を仕事にして
毎日よその家庭に出張し、職業母をやっている。
私たちの仕事の正式名称は、
「マザートレーナー」という。
(了)
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