「 37歳受験生 」

 夫の営む小さなパソコンスクールで
少しでも手伝いができればと思い、
私は37歳にして勉強を始めた。
 とりあえずの目標は、
マイクロソフト・オフィス・スペシャリスト(旧MOUS)の
エクセルとワードの資格を取得し、
次に、パソコン検定3級を取り、
更に、エクセル・ワードの上級、
そしてその上の「トレーナー」取得を目指す。
 そして、その後にパワーポイントだのP検2級だのを
ボチボチ取っていこうという計画。

 ちなみに私は、
メールとインターネットとデジカメ編集と、
ペイントとワードとホームページビルダーを
ちょろろ、っといじる程度の初心者で、
それ以上になる予定は全然なかった。
 まともに携帯電話も扱えないでいる、
典型的な機械音痴だ。

 それがどうしてこんなことになったかというと、
学校で役員を一緒にやっている人が
夫婦で美容院をやっていて、
私がそこでカットをしてもらっているときに
奥さんに
「何であかじそさんダンナの仕事を手伝わないの?
 人件費だって馬鹿にならないのに、
どうしてよそで仕事探すの?」
と言われ、「そりゃそうだ」と思ったからだった。

 思えば、夫ひとりでスクールを回しているということは、
夫が急病で倒れたら、即、スクールは無人になり、
生徒さんたちは路頭に迷い、
我が家は総倒れになる、ということではないか。

 それはまずい。

 もう会社員ではないのだ。
 上司に怒られなければいいというものではない。

 リストラもない代わりに、
すべての責任が夫ひとりにずっしり掛かっているのだ。

 結婚して13年、私ははじめて
「夫の大変さ」や「稼ぎ手の苦労」に気がついた。
 今まで夫の顔を見れば
自分の大変さばかりを愚痴ってばかりで、
帰宅後の疲れた夫に向かって
いつまでもいつまでも攻撃的に
妻の主張ばかりを押し付けてきた。
 夫は結婚する前は面白い人だったのに、
年々しゃべらなくなり、
そのうち自分の殻にこもるようになっていた。
 そんな態度に私はますますイラついていたのだ。

 なんて愚かな妻だったのだ!!

 夫はだんだん変わってきてくれて
今では朝晩よく話をしてくれるようになってきた。
 今度は私が変わらなければ。

 決して儲かりはしないが、
たくさんの人たちに喜ばれる仕事を、
誠実に一生懸命にしている夫を助けよう。
 そして、子供たちを一緒に養っていこうではないか。

 ハタとそう思ったのは昨年の末。

 それからは連日、
1日6時間から9時間パソコンに向かって
テキストや模擬試験を何百回と繰り返し、
自習を続けてきた。
 家事は70%放棄。
 育児は4割引。
 夫のお世話は全面カットだ。

 そして二月。
 エクセル高得点にて合格。
 さらに三月後半の今日、
ワードを受験する日と相成った。

 ワードは以前からそこそこ遊びでいじっていた上に、
正月からずっと勉強していたので
実際、私はいい加減飽きていた。
 模擬試験をやっても、毎回ほぼ満点だったし、
何十種類もの設問を全部暗記してしまうほど繰り返して、
正直、ワードとはもうおさらばしたいくらいだったのだ。

 当然今日の試験も楽勝で満点寸前くらいまで行くだろう、
と自身満々で試験に臨んだ。

 ―――んがっ!

 私は慣れ過ぎていた。
 自分のパソコンに。
 いつもの画面に。

 試験会場のモニターは、
「ボタン」がどれもえらく小さく、
ド乱視の私にはどれもゴマ粒にしか見えなかった。
 どれが何のマークやら、ぜんっぜん見えなかった。

 動転した。
  
 ここですでに私の心臓は異常な動きを始め、
中嶋みゆきの「地上の星」のイントロが
頭の中に流れ始めた。
 なんて壮大で憂鬱なメロディー。
 私は完全に平常心を失っていた。

 一問目。
 いきなり私の苦手な「グラフの挿入」が出題され、
物凄く動揺する。
 見えない。全然見えない。
 画面に顔面を貼り付けながら、
プルプル震えるマウスポイントを
小さな「ボタン」に合わせてクリックし、
ヨボヨボな操作で何とかクリア。
 そして、二問目。
 作業ウインドで「スタイルと書式」を設定しろ、
という問題だったが、
 モニターのいつもの場所には、
なじみの青いAA「ボタン」がなかった。

 (ゲゲッ!! ないっ!!)

頭の中ではすでにみゆきが
「♪かっぜっのっなっかっのっす〜っばる〜ん」
と歌っていた。
 ああ、気が散る!

(ないないないない・・・)
(あっそうだ、【書式】を開けてみよう・・・)
(落ち着け・・・落ち着くんだ・・・)
(ひとつの作業がダメでも、違うパターンでやればいいんだ)
(あった。【スタイルと書式】! )
( あ、やった! 出た出た! 作業ウインド!!)
(で、でけたっ!)
(えっ、これ閉じるの? このウインド閉じてから進むの?)
(てえいっ、そのまま次の問題に行っちまえい!!)

一か八かの三問目。
 げげっ!

全然関係ない問題なのに
さっきの作業ウインドが残ってる・・・
 やっぱり消してから進むんだったのかっ?

それにしてもさっきから
全然関係ないツールバーが
いくつもいくつも出っぱなしなんだけど!!
てえいっ、邪魔だ邪魔だ、画面が見えないわいっ!
消しちまえ消しちまえっ!
 全部消しちまえっ!!

はい、次四問目っ!

「♪つ〜ばめ〜よ〜」

 うわ〜あ! びっくりしたあっ!!
まだいる。みゆきがまだいる。
 まだ歌ってるっ!

頭の中は、もうガンガンに「地上の星」で、
BGMのボリュームがマックスに達しようとしていた。
 
 かんべんしておくれよ!
試験中だからっ!!

「ええっと・・・・・・タイトルに水色の蛍光ペンで強調・・・・・・」
 「♪まっちっかっどっのっびっい〜なす〜 」
 「フォントサイズを12ptに直してアニメーションの・・・・・・」
 「♪みっんっなっどっこっへっい〜っいた〜〜〜」
 「メモ3をテンプレートとして作成し・・・・・・」
 「♪つ〜ばめっよ〜」

てーいっ!!

もうつばめはどうでもええわいっ!!
 静かに!!! ちょっと静かにっ!!!

こうやって何かにつけて五感が(いや六感も)リンクしてしまうのは
私の脳の変な癖なのだ。
 匂いと味と音と色と風景と感触と霊感とが、
星座のようにシャキーンと線でつながって、
何かのきっかけで全部いっぺんに
頭の中で展開されてしまう、やばい癖。

 私がみゆきに一喝したおかげで
何とかBGMは静かになったが、
今度は愛するドリフの長さんが亡くなった悲しみが
頭の中を支配し始めた。
 長さん・・・・・・ありがとう・・・・・・
 ドリフを作ってくれてありがとう・・・・・・
 長介と荒井注が大好きだった・・・・・・
 注がドリフをやめて、今度は志村が入ります、と
全員集合で発表したのを聞いたとき、
幼い私は泣いて泣いて
週末を押入れで過ごしたものだ・・・・・・
 オヤツも喉を通らなくて・・・・・・
 注も長介も死んじゃってさ・・・・・・
 私はどうすりゃいいのさ・・・・・・
 どうすんのよ、長さん、
人気シリーズの2時間ドラマ「取調室」は・・・・・・
 いつも楽しみにしてるのに・・・・・・
 長さんっ!!
長さ〜〜〜 んっ!!
あんたがいなくなっちゃったら、
誰が黄色いメガホンでみんなの頭を叩いてくれるのよっ!!!
 ちょ〜おさ〜〜〜んっ!!!

あっ!!

 心臓がバクッ!! とした。
 今、試験中じゃんっ!!

すでに時間がだいぶ過ぎてしまった。
 残り時間わずかで、この問題数っ!!
き、キツイぞ!!

「文書全体の書式をクリアし・・・・・・」
 「おい〜〜〜すっ!」
「『西支店』を『東支店』に置換して・・・・・・」
 「声が小さいっ! もういっちょ、おい〜〜〜すっ!」
「左右の余白を25ミリづつに・・・・・・」
 「おい〜〜〜すっ!!」

 
「おい〜〜〜〜〜〜〜〜っすっ! ・・・・・・ハッ!!」


・・・・・・声に出してしまった。
 思わず大声で「おい〜〜〜っすっ!!」と言ってしまった。
 シンと静まった試験会場に
中年マダム(私)の
「おい〜〜〜〜〜〜〜〜っすっ!」
の声が響き渡った。

 誰も何にも突っ込んでくれない
静まり返った会場で、長さんが私に怒鳴った。

 「しずかにしろっ」

 そうそう、その突っ込み!!
むちゃくちゃだよ、あんたっ!
最高!!

全国のPTAに大批判を浴びながら
食べ物をめちゃめちゃ粗末にし、
ありえないほどの量の金ダライを人の頭の上に落っことし、
教育に悪くて面白いことを、
やってくれたよ、長さん、あんたは偉いっ!!
 あなたのドリフで育った子供は
こんな大人になりましたっ!!


 試験が終了し、結果が表示されると、
合格ライン1000点中800点のところ、
私はギリギリ851点で合格していた。

 あぶない・・・・・・やばかった・・・・・・。

 あんなに勉強したのにギリギリ・・・・・・。

 37歳の受験生。
 集中して試験に挑めないほど、
経験を積みすぎてしまったのか。


       (了)

   (あほや)  2004.3.23.  あかじそ作




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