「怪人・ヌレオチバン」


 ―――日曜日の午後7時半。
とある呉服屋の裏口付近に、怪しいワゴン車が停まっていた。
かれこれ1時間近くも、エンジンがかかったままである。
 運転席には、サングラスを掛け、髪をオールバックにした、人相の悪い中年が座っている。

 ギーッ、と、裏口のドアが開くたびに、少しづつ前進してドアに近づき、従業員が出て行くと、
まるで舌打ちするように激しくエンジンをふかした。

 ―――と、一人の中年女性が、若い同僚と談笑しながら出てきた。

 ワゴン車は、一気に裏口に突進し、タイヤをきしませて、ドアに横付けした。

 クラクションが2回、弾むように軽く鳴らされた。
そして、静かに助手席のパワーウィンドウが開いた。
その奥には、運転席で微笑む男。笑いながら、何度もうなづいている。

 「おうっ! 帰るど!」

 女は、同僚の手前、バツが悪そうに(来なくていいっつーの)と、つぶやき、 

 「わあ、お父さん! いつもありがとねー」

 と、小躍りしながら助士席に飛び乗った。
 女は、同僚に目配せし、お互いにくすくす笑って、手を振った。

 土曜、日曜、と、男はせっかくの休日に、大好きな妻が勤めで、つまらなくてたまらなかった。
泣きたい位、淋しかった。

 2日間、朝も昼も夜も、待って待って待ちまくり、
辛抱たまらず愛車に乗ってやって来てのだ。
妻の元に。大好きで大好きな妻のいるお店の、妻の出てくるドアの前に。

 「おうっ! セブンえれブンでも寄ってくか?!」

 男の上半身は、嬉しさでボヨンボヨンと弾んでいる。

 「いいわよ。おかずあるから」

 女は無表情に答える。
 
「ちょっと遠回りしてドライブでもすっか?」

 男は運転しながら、ちらりちらりと女の顔を見る。

 「ばかじゃないの! 疲れてるんだから早く帰ってよ」

 女は前を見たまま、男に目もくれない。

 男は、ゆっくりと、しゅうん、としおれた。
娘は嫁に行き、息子も独立して家を出た。
若い頃は、土日も妻子をほったらかしにして、釣りにパチンコに飲み会にと
遊び回って文句を言われていたが、
文句を言う者がいなくなった途端に、一人が淋しくてたまらなくなった。
 俺の女を横取りした2人の子供も、もう一緒に住んでいないのに、
あいつらがいた時に出来た、妻との距離が、どうしても縮まらない。
 ―――仕方ないか・・・・・・。

 男は、もう一段、しゅうん、となった。

 「酒屋寄って!」

 女は、にっこり笑って男の肩を叩いた。

 「お、おうっ!!」

 男の上半身は、再びボヨンボヨン弾んだ。

 「お前、いつの間にかノンベエになったもんなあ、昔飲めなかったのになっ!」

 女は2、3回、面倒臭そうにうなづいた。

 「俺、<タコ薫>買うんだっ!」

 
 ワゴン車が、するすると深夜営業の酒屋の駐車場へと、滑り込んで行った。
運転席の男は、夜なのに黒い黒いサングラスを掛けて、満面の笑みだ。

 そして、左右に揺れて・・・・・・、時々、激しくうなづいて・・・・・・。

 ―――怪しい。やっぱり、怪しい。

 「怪人・ヌレオチバン」。
 私の父である。



                  (おわり)