リョクさん33700 キリ番特典 お題「元気のもと」
「 咲く 」

 夫を会社に、子供を学校や幼稚園に送り出し、
ひとりになった私は、
キッチンの椅子に座り、テレビを見ていた。
 タレントのスキャンダルをがなりたてている
芸能レポーターの声が耳に付き、
私はテレビのスイッチを切った。
 世の中にワイドショーを本気で見ている主婦が
一体どれだけいるのだろう。
 少なくとも私の周りにはいない。
 ただテレビをつけていると流れてくるだけだ。
 そんな番組しかないから、見ているだけだろう。

 主婦はみんな、
昼間ごろごろ横になってせんべいでもかじりながら
ワイドショーをみて興奮していると思われている節があるが、
そんな人は、もはや少数派だと思う。

 たいていの主婦は、
家事の合間に外に稼ぎに出たり、
仲間とサークル活動をしたり、
学校の役員など地域のボランティアをしたり、
病気の子供を連れて病院で長い間待っていたり、
親の介護をしたりして、
頑張って生活しているのだ。

 外に出て金を稼いでくる人だけが、
エライ人、自立した人ではない。

 そうは思っているものの、
私自身が人一倍、主婦である自分を自虐的に見ているのだ。
 一体今、私は、自分の居場所にいるのだろうか、
と、呆然としている。
 自分は一体なにをやっているのだ、
と、なさけなく思う。

 独身時代は、ブラスバンドや芝居に燃えて、
数々のバイトを掛け持ちしていた。
 嫌な事があっても、それが自分に染み込む前に
どんどん新しい刺激がやってきて、
毎日を新しくしてくれていた。

 しかし今の自分はどうだろう。

 子供の世話と、エンドレスに続く炊事、洗濯、後片付け・・・・・・。
 そんなことは何も考えず、
当たり前にみんなやっていることだ、
みんなはちゃんとできていることなのだ、
と思うのだが、時々、何もかも放り出して
ひとりでどこかへ行ってしまいたくなる。
 終わらない仕事を前に、泣き出したくなる。

 十二年間、四人の息子たちの喘息発作や重症アトピーで
一晩も通して眠ったことはないし、
そのための通院や夜間救急への駆け込みで
生活費の多くが費やされてきた。
 独身時代は食べることが趣味だったのに、
今は、自分の食事を控えてでも、喘息の薬を買っている。

 ここのところ、何を食べてもおいしいと思わなくなったし、
何をしても、楽しいと思わなくなった。
 何かをしたい、という意欲もわかないほど、
すべてをあきらめてしまっているのだ。

 どんどん子供が生まれて、幸せが山積みのはずなのに、
なぜ私はこんなに疲れ果てているのだろう。
 親も夫も健在で、私を愛してくれているのに、
なぜ私はこんなに浮かない気分なのか。

 頭で考えても全然わからないので、
私は台所の汚れた皿を見捨てて外に出ることにした。

 天気がよかったので、並木通りをまっすぐ歩いた。

 沿道に続くツツジの花や、名も知らぬ雑草たちが、
夕べの雨の残りの雫をまといながらも、上へ上へと張っている。
 私は、この雑草以下なのか、
お日様を浴びてもまだ全然上を向く元気が出ないでいた。

 結局、いつものスーパーで
安いひき肉とゴミ袋を買って帰ってきただけの「散歩」だったが、
家でじっとしているよりはマシだった。
 少なくとも、皿を洗うだけのエネルギーは充電できたのだから。

 もう昼になっていた。
 朝子供たちの残したパンの耳を焼いてマーガリンを塗って食べた。
 もうちょっと裕福だったら、
気分転換に外でおいしいものでも食べて来るところだが、
パートに出る気力もない、結果、経済力もない私の昼食は、
こんなところだろう。
 贅沢といえば、せいぜいジャムや紅茶の甘みで一瞬和む位だ。

 ―――と、突然私は思いついて、
とあるホームページを訪問してみることにした。
 そこは、80代の男性が、
自分の山歩きのことや、
山で見た野草について写真付きで解説しているサイトだった。
 そのサイトは、つたない技術の中にも、日々進歩があり、
なかなか惹きつけるものがあるのだった。

 茶の間でおじいさんが背筋を伸ばし、
毎日楽しみながらパソコンやデジカメの勉強をしている姿が目に浮かぶ。
 いや、もしかしたら、本当は地位も名誉もある
物凄い人なのかもしれないし、
その辺にいる普通のじいさんかもしれない。

 でも、三十代中心のサイトのリングに招かれ、
多くの孫世代の人たちにリンクされて、
淡々と大きな文字の掲示板で若い人たちとやりとりしているのを見るにつけ、
「この人と話をしたい」
と常々思っていたのだ。

 私は、いつも知り合いだけで話が進んでいるその掲示板に、
勇気を出して書き込みをしてみた。

 「私は、主婦をしている者ですが、
いつもあなたが名もない草を見つけては、ひとり、
ひざを折り、シャッターを切る姿を想像して、
慰められています」
 
 その書き込みにはこんなレスが付けられた。

 「名もない草などありません。
 どんなに山奥の花でも谷底の草でも、
必ずそれを発見し、名を付ける人がいるのです。
 あなたにも立派な名前があるでしょう。
 元気を出して、しっかりお咲きなさい」

 私はその晩、パソコンの前で幼児のように泣きじゃくり、
お礼の書き込みをした。
 しかし、いつまでたってもその書き込みにレスが付けられることはなかった。
 私以外の常連さんの書き込みにも一切レスはなかった。

 リングの仲間の間で、
一体おじいさんに何があったのだろう、と、話題になり、
心配する書き込みがあちこちの掲示板で見られた。

 そして、数日後、
見知らぬ差出人からメールがきたので、
ウイルスを疑いながらもこわごわ開いてみると、
あのおじいさんの孫からのメールだった。

 「祖父は、先日、家族に見守られながら亡くなりました。
 晩年何やらパソコンをいじっているようだった、と祖母に聞き、
念のため立ち上げてみると、
何百通もの祖父を心配するメールが現れ、
家族一同感激の涙を流しました。
 大変遅くなりましたが、
祖父に代わり、お礼のメールを差し上げた次第です。
 祖父は、最後の最後までパソコンの前で野草の写真を編集し続け、
生きがいを持って生き抜きました。
 また、お若い方たちと仲良くしていただいたことは
祖父にとって大変な励みとなったことでしょう。
 このご恩は忘れません。
 本当にありがとうございました」

 それから、おじいさんのサイトには、
たくさんの人からのお悔やみとお礼の言葉が延々と書き込まれていた。


 おじいさんに励まされて、私は元気を取り戻し、
頑張って生きて行こうと思った。
 それでも時々、元気がなくなったときは、
あのことばを思い出してみる。


  「名もない草などありません。
 どんなに山奥の花でも谷底の草でも、
必ずそれを発見し、名を付ける人がいるのです。
 あなたにも立派な名前があるでしょう。
 元気を出して、しっかりお咲きなさい」
                              

                    (了)
   小さなお話 (2002.5.24.) あかじそ作