鈴木ママさん 41900キリ番特典 お題「種」
「 希望の種 」

 夫が突然死してから半年が経った。
 ただただ呆然として、何も考えられないまま、
死亡保険の保険金で今日まで暮らしてきたが、
小さな子供3人を抱えている身だ、
いつまでも泣き暮らしてばかりもいられない。

 新聞の折込チラシで
仕事を探してみようとパラパラと見てみたが、
気持ちが塞いでしまって、
文字の意味も読み取れぬまま
次々に頭を通り抜けてしまった。
 
 ダメだ、まだ働けない・・・・・・

 何もする気が起きず、
憂鬱ばかりが胸に降り積もって、
私の心の屋根は今にもつぶれそうになっている。

 私は、チラシの上に突っ伏し、
固く目を閉じて歯を食いしばった。
 
 去年の今頃、私は、
同じようにチラシの上に顔を伏せて泣いていた。
 夫は、休日も仕事に行ってばかりで
家族はほったらかしだった。
 私が差し出した旅行のチラシを受け取ることもせず、
ただ、
「仕事だから無理」
と突っ返した夫。
 私は、泣いた。
 せっかく結婚したのに、
夫がどんどん遠くなっていくようで、
夫にないがしろにされているような気がして、
恨みまじりに泣いていた。
 夫が憎かった。

 ある日、子供に離乳食を食べさせながら、
テレビを見るともなしに見ていたら、
警察から電話があった。

「お宅のご主人が
地下鉄構内で亡くなっているのが発見されました」

 そのときから
私の感覚はおかしくなってしまい、
何の実感も感じなくなってしまっていた。
 悲しみも、これからの生活に対する不安も、
何も分からなくなってしまった。
 自分が今どこにいるのかさえ、
分からなくなってしまうこともある。
 泣き寝入りして、
アカンボを抱きながら夫の葬式を出した夢を見て、
夜中にガバと起き上がり、
「ああ、よかった、夢だったんだ」
と隣を見ると、
やっぱり夫はいない。
 そうか、あれは夢ではなく、
本当に夫は死んだのだったか、と、
夜毎、改めて知るのだ。

 通夜の時、
夫の同僚から聞いた。
 夫がリストラされかかっていたことを。
 「子供が生まれたばかりなんです、
これから休まず人一倍働きますから」と、
大勢の前で上司に土下座をしてリストラを返上させ、
休日も遮二無二働いていた、と。

 私は何も知らずに、
そういう夫に対して、
「私は家政婦なの?」
とか
「作業能率が悪いから休日も仕事する羽目になるのよ」
とか、
「アンタなんかと結婚して失敗だったわ」
とかいう言葉を、
疲れ果てて帰ってきた夫に
「お帰り」も言わずに玄関先で叫んでいたのだ。

 夫は過労死だった。
 私も、その死に加担した。

 死んで初めて知った。
 夫のありがたさを。
 私は、夫に守られていたのだ、と。

 毎月家族が暮らせるだけの給料をもらってくる凄さ。
 外であった嫌なことを家庭に持ち込まなかったこと。
 外の嵐を自分ひとりでせき止めて、
妻や子供に平穏な日常を過ごさせてくれていたこと。

 嫌なヤツに頭を下げて、
人の泥をかぶって、
おかしくもないのに笑って、
炎天下を歩き回り、
書類の山に埋もれながら、
働いていたのだ、夫は。
 私と子供たちのために、
死ぬほど働いていてくれていたのだ。

 私はまたテーブルに突っ伏して
眠ってしまったようだ。
 歯が痛くなるほど食いしばったまま。

 目の前に、涙でにじんだ求人広告があった。
 目を開けたくなかった。
 現実に戻りたくなかった。
 いつまでも、夫の死を認めずに、
夢うつつのまま死んでしまいたい。

 また無理矢理目を閉じて、
もう一度夫が生きていた頃の夢を見ようとしたが、
半分起きてしまった意識は、
なかなか元のところに戻りそうもなかった。

 そのとき、ふと、夫の声が聞こえた。

 「生きろ」

 私は、目を開けて耳を澄ました。

 「セッチャン、生きろ」

 確かに夫の声だった。
 顔を上げて周りを見回したが、やっぱり誰もいない。

 テーブルの上には、
子供が幼稚園でもらってきた朝顔の種が転がっている。
 朝顔の種越しに、
子供が眠っているのが見えた。
 春の昼下がり、
私がうたたねをしているうちに、
子供たち3人も、
居間のそこここで眠ってしまっていたようだ。

 「見て、セッチャン」

 肩を抱かれたようだった。
 しっかり両肩を抱かれて、
子供の方に顔を向けさせられた気がした。

 子供がいる。
 私はひとりじゃない。
 子供がいるんだ。
 そして、この子供たちには、
私がいるんだ。
 
 外では小鳥が鳴いている。
 窓ガラスごしに私に向かって歌っている。
 あれは、夫の化身なのか。

 庭には花が咲いている。
 かすかな風に吹かれて、赤い花が揺れている。
 あれも夫の化身なんだ。

 私はまだ守られている。

 テーブルの上の朝顔の種は、
土に植えて水をやれば、
やがて芽を出し、葉を出し、花を咲かせる。
 
 私が種を植えなければ、
この種はいつまでたっても
種のままで、やがて朽ちていくだろう。

 生きろ。
 そして、その種を撒け。
 種を撒けば、
その種は自ら育っていくから。

 それは希望の種だから。
 まず撒くことだよ。
 目を開けて、立ち上がり、
その種を撒くんだ。
 撒けば、始まるから。
 希望が育ち始めるからね。

 夫に言われたのか、
自分でハタとそう思ったのか分からない。
 でも、ほんの少ししか力が出せなくなっている私にも、
種を撒くくらいはできそうだ。

 生きていこう。
 私は生きていこう。


                (了)
(小さなお話) 2004.7.19 あかじそ作