「 選ぶ時代 」

 人生は選択の連続だ。
 いくつもの分かれ道を前にして
そのどの道を選ぶかの組み合わせで
その人その人の
オリジナルの人生が出来上がっている。
 人生の途中途中で何度も何度も訪れる
選択の連続で、その人の生き方が作られる。

 物が圧倒的に不足していて、
身分もはっきりしていた昔だったら、
結婚相手も親に決められ、
住むところも就く仕事も、
みんな自分で決めることができなかった。
 選択の余地は無かった。

 だが今は、
物があふれている。
 付き合う相手も、する仕事も、
自分で選んでいい。
 したいことをしてもいい。
 選んでいい。
 そういう時代だという。

 私はバカな上に優柔不断だ。
 選択自由なこの時代に生きる、
選択下手な女だ。
 何も考えずがむしゃらに働くのは得意だが、
さあ選べ今選べ、と、
絶えず迫ってくるような
今の時代は戸惑うばかりだ。

 いっぱいあるものの中から
ひとつのものを選ぶのが苦痛なのだ。
 たとえ、目の前においしいご馳走が
いくつか並んでいて、
そのうちひとつ選んで食べていいよ、
と言われても、
旨いものを食べられる喜びよりも、
どちらかを選ばないといけない苦痛の方に
意識が行ってしまい、
ちっとも喜べない。

 選択肢が多ければ多いほど苦しい。
 ご馳走が多ければ多いほど
一個を選ぶ苦しみは増す。
 こんな苦しい思いをするくらいなら、
最初からひとつの粗食をポンと一個、
差し出された方が幸せだ。

 就く職業や、
産む子供の数、
住む場所や、
加入する保険の銘柄、
取る新聞に、
買う油に、
毎度毎度の献立に、と、
毎日毎日、
ひっきりなしに、
どんどこどんどこ、
選べ選べと迫られる。

 ああ、もう結構だ!

 そんなにいっぱいいっぺんに
いろんなことを考えられない!

 選ぶことが多すぎるんだ!

 私の今持っているささやかな幸せは、
この選択地獄に埋もれて
訳が分からなくなっているんですけど!

 家は、壊れていなければいいです。
 家族は、幸せを感じながら生きていてくれればいいです。
 仕事は、自分に向いているものがいいです。
 食べるものは、毒が入っていないものがいいです。
 本をたくさん読みたいです。
 人と話がしたいです。
 笑いある人生を送りたいです。

 その線でいければ、
その他の余計なオプションはいりません!


 もっと素朴に
もっと簡単に
もっと無欲に生きたいと思う。

 選択自由な時代は、同時に、
選ばない方のたくさんのものを
「要らない!」
と言う勇気が要る時代だ。

 目の前で見えているものは
みんな欲しくなるのが人情だ。
 しかし、それらはみんな
ショウウィンドーの向こうに並んだサンプルで、
たくさん見えていながら、
本当は、そのうちのひとつしか選べないのだ。

 私たちは自由じゃない。
 「選択自由」という「不自由」を負っている。

 私たちは豊かなんじゃない。
 豊かそうに見えるだけで、
選べなかった昔同様、
ほんの少ししか持てないようにできているのだ。

 私は選ぶ。
 苦手だけれど。
 単純で簡単な人生を選び、
限りなく多くのものを捨てる。

 捨てる苦しみは負うが、
日々選び続ける苦悩からは
少しは解放されるからだ。


(了)

(話の駄菓子屋) 2004.7.26 あかじそ作