「家庭という事業」

 かつて、こんなに
朝から晩まで働いたことがあっただろうか?
 無報酬で、下手すりゃ不眠不休の
この労働の日々。
 夫からは、月々生活費は受け取るが、
それは、私の日々の仕事に対する報酬ではなく、
家庭を維持管理するために使われる。
 お金意外に
「いつもありがとう」
とか
「ごくろうさん」
とか
「悪いねえ」
などという心のこもったことばは、
意外と、この仕事にとっては
大切な報酬であったりもする。

 結婚して14年、
そういう意味でも私はずっと
無報酬だった。

 最初は「楽しもう」とがんばっていたが、
子供が全員喘息持ちの男児ばかりで、
しかも年が近い4人兄弟だと、
「楽しんで育児」なんて、
正直、言っていられなかった。
 家事育児看病! 家事育児看病!

 戦争だった。

 勝算のない戦争。
 報酬のない仕事。

 気がついたら、
私は、家事育児全般が
嫌いになっていた。

 必要な家事だけ最小限やって、
暇つぶしのような人生を送り、
何だかやる気ゼロの人になっていた。

 無表情になっていった。

 夫の収入が不安定になったので、
私は勤めに出ることになった。
 ずっと勉強していた
パソコンの資格が生かせる仕事だ。

 時給800円。

 専業主婦が
臨時支出800円を捻出するためには、
あっちの予算を削り、
こっちの残高をこっちに持ってきて、
頭を使ってやりくりするものだが、
外で働けば、1時間でそれがもらえるのだ。

 こんな当たり前のことが、
ちょっと驚きに感じてしまうほど、
私は「無報酬」に慣れすぎていた。

 ところで、
「無報酬」という言い方は、
いかにも見返りを期待しすぎているような
言い方に聞こえるかもしれないが、
心理学では「報酬」ということばは、
何かアクションを起こすための
「動機付け」として使う。
 動物実験でも、
ある作業をしたときにだけ
「報酬」として餌を与えたら、
人間に命令されることなく
その作業をすすんで行うようになったという。
 
 動機付けがあれば、アクションが起こせ、
自らやる気を持って動ける。

 だから、それがどんな形であれ、
何かひとつ仕事をしたら
何かひとつ気持ちのいい思いをすることが
必要になってくる。

 夫や子供が自分に無関心でも、
自分の仕事に対して
何の評価も得られなくても、
自分で「報酬」あるいは「ごほうび」として、
快感経験を与えるといいのだ。

 たとえば、
この掃除が終わったら、
レギュラーコーヒーを淹れてゆっくり飲む、
とか、
毎年、衣替えを済ませたら映画を見に行く、
とか。

 すると、面倒な掃除や衣替えが
自分にとっては、
快感経験につながる
「快感な仕事」となっていく、
という理屈だ。

 ここで、私は、はたと気付く。

 私は、誰かに褒めてもらったり
お礼を言われることばかり期待していて、
自分で自分に報酬を与えていなかった。
 与える暇も無いくらい、
立て続けに4人の子供の世話に追われ、
息つく暇さえ無かった。
 そのことで、
何とも思っていなかった普通の家事が、
「不快感な仕事」という認識になっている。

 もっと言えば、
「不快感な育児」「不快感な子供たち」
という認識さえできつつある。

 これは、いけない。

 お勤めもいいけど、
家のこともしようよ。
 私は誰に押し付けられるでもなく
自分の意思で家庭を持ったのではないか。
 
 好んでこの道を選んだのだ。

 家庭を運営するということは、
思ったより大変な仕事で、
これはもう「人生の一大事業」なのだ。

 「生活」や「家庭」が
まるで趣味の延長で、
楽しくてしかたない、
「仕事だ」「事業だ」なんて
思ったことがないわ、
という人は、きっと、
上手に自分に報酬を与えられる人なんだろう。

 その人だってきっと、
大変な家事育児をこなしているはずだ。
 それでも「楽しい」と言えるのは、
家事育児、生活全般の仕事に対して、
「快感な仕事」という
認識ができているからに違いない。

 私は、子供たちを実家に預けて
大学に通い直し、
そういうことを勉強しに行っていたのに、
忙しさに流されて、
勉強する前より馬鹿になっていたようだ。

 立て直そう。
 自分の心の構えを。

 人生が楽しくないときは、
楽しくなるように
自分に気持ちいいことをしよう。

 何もかも煮詰まっちゃたら、
「ダ〜ッ! やめたやめたやめた〜っ!」
って全部放り出して、遊びに行っちゃおう。


 川は、サラサラ流れて気持ちいいけれど、
海は、波が寄せては返し、
生き物の命を育むけれど、
動かない水は、すぐ腐ってしまうのだ。

 きっと、心も同じだ。
 動かさないと、腐ってしまう。
 
 動かそう。
 動かそう、心。
 心が動いてこそ、
生きているということではないか。

 「嫌なこと」をみんな
「快感なこと」に変えてしまえ!

 そして、快感につつまれた
幸せな人になってやる!

 やるぞ〜〜〜!




 こういうことを涙目で
私が熱く語っていると、
いつも、夫や友人に突っ込まれるのだ。

 たったひと言で斬られてしまう。
 アカンボでもあやすような優しい顔で。

 「それを『気分転換』って言うんだよ」


 そりゃそうなんだけど、
そんな安いことばで片付けないでよ〜!



              (了)

(しその草いきれ) 2004.9.7. あかじそ作