「 契約違反 

 先日、とあるパートタイマー募集に応募して、
面接を受けてきた。
 オーナーの40代の女性は、
ニコニコと感じよく面談を行い、
仕事内容も労働時間も互いに条件に合い、
ほぼその場で採用決定という雰囲気になった。
 翌日、二次面接とやらで、
また呼び出されたのだが、
一次だ二次だというほど大きな職場ではなく、
その女性がひとりで切り盛りしているようだったので、
何だか妙な感じはしていた。

 二次面接に行くと、
「ウマドシですよね!」
とか、
「血液型はA型ですよね?」
とか、
何やら質問がおかしい。

 「よくご存知ですね・・・・・・」
と、こちらが青ざめていると、
間髪入れず
「調べましたから!」
と言う。

 この時点で、
私自身が不審に思って、
こちらからお断りしておけばよかったのだが、
その場で
「では、採用です!」
と爽やかに宣言されてしまい、
二の句がつげなかった。

 「それでは、後日、契約を交わしますので、
改めてお越しください」

 そう言われるがままに引き返し、
また、言われるがままに指定の日時に
契約しに行ったのだが、
その契約書には、
「1年契約」
とか
「辞める30日前に申し出ないと、罰則として・・・・・」
などという、
「初耳」な内容が盛りだくさんだった。

 ハンコを押してから気付いてしまって、
物凄く怖くなってしまったのだが、
そのオーナーの女性は、
「では、契約成立ということで、これからよろしく」
と、満面の笑みで言う。

 何だか、背筋が凍るような、
物凄く嫌な予感がした。
 異常に感じが良すぎる。
 それは、明らかに作り込まれた笑顔だった。

 このことを不安に思い、
私は、夫や母やいとこに相談したが、
みんな口を揃えて
「何かやばい感じがするね」
と言っていた。
 母などは、
「嫌な感じがする、っていうのは
案外、当たるもんだから、
今からでも断ったほうがいいよ!」
と言うが、契約書を交わしてしまい、
ハンコまで押してしまったからには、
そうそう簡単に
「嫌な感じ」
だけで断るわけにはいかない、と思い、
とりあえず、仕事を頑張ってみようと思い直した。

 初日、2日目と、
年上の感じのいいスタッフに親切に指導してもらい、
私はひとまず安心していた。

 そして、2日目の夕方の全体ミーティングのとき、
(全体と言っても5人だが)
あの嫌な予感が的中した。

 オーナーの女性が、
今までとは、まるで別人のようになっていた。
 スタッフたちは、オーナーが入室するやいなや
突然ことば少なになり、
青ざめながら、
必死にデスクを並べ替えたり
資料を揃えたり、バタバタと働き出した。
 オーナーは、不機嫌むき出しで、
差し出された椅子にふんぞり返って
「フンッ!」
と言った。

 私と同時期に入ったらしい
男子大学生と私とを並べて、
「アンタは〇〇くんだったな。 で?」
と、私の方を一瞥し、
「なんだっけ?」
と、他のスタッフに聞く。

 若いスタッフのひとりが
どもりながら
「あ、△△さんです」
と、私の名前を言った。

 「はんっ」
と、彼女は嫌な返事をしたかと思うと、
スタッフの細かいミスを一つ一つ挙げ、
「普通やるかね!」
とか、
「やり直し!」
とか、激しい舌打ちをしながら
いかにも嫌味な口調で延々と
ダメ出しを続けた。

 あの何度も行った面接は、
「自分に対して決して逆らわない者」
を選別するためのものだったらしい。

 私は、だんだん具合が悪くなってきた。

 私は子供の頃、
父から厳しすぎるしつけを受けたことで、
精神的に弱いところがある。
 「お前なんか死んでしまえ」
とずっと言われ続けていたため、
父と仲良くなった今でも、
どこかで自分は居ない方がいいと
思ってしまうことがあるのだ。

 だから、同じ場に居る人が不機嫌になると、
その人から
「死ね」「居なくなれ」
と攻め立てられている気がしてしまい、
顔からどんどん血の気が引き、
息が苦しくなり、
倒れそうになってしまうのだ。

 頑張ろうと思っていた仕事だが、
私はもう1秒たりとも
この場に身を置けない状態になってきた。

 ミーティングが終わり、
オーナーがその場を去った後、
私は、床にへたり込んでしまい、
解散の声が掛かったと同時に
よろよろと帰路についた。

 契約書を交わしたけれど、
「契約違反」で申し訳ないとは思うけれども、
私は、この話を白紙に戻してもらうように
手紙を書いた。
 直接あのオーナーに会って
激しい罵声を受けるのを覚悟しなければならないが、
そのことを考えるとひどい吐き気に襲われ、
やむなく手紙に書いて投函してきた。

 私は社会人としては失格だ。
 最低限のルールも守れない。
 仕事は何でも器用にできる方だが、
不機嫌な人が怖くてその場に行けない。

 ひとりで外回りをする仕事や、
穏やかな雰囲気の職場では仕事が続くが、
そうでない時は、
いつも具合が悪くなって辞めていた。

 そういう自分に嫌気が差して、
私の一番のコンプレックスになっているのだ。

 私は、いつあの女性オーナーが
家まで怒鳴り込んでくるかと、
怯えおののいて、
5日間ほど家から一歩も出ずに
息をひそめていた。

 電話も一切出なかった。

 もし電話が鳴って、
私が電話口に出たら、
「アンタみたいなヤツは社会人として最低だ」
といわれるに違いないと思っていた。

 そして、6日目の朝、
携帯電話の方にオーナーから電話が入った。

 その着信音はいつもより大きく響き、
私は鳴り続けるその小さい悪魔をつまみ、
食器棚の引き出しに放り込んだ。

 「もしもーし、もしもーし!」

と、オーナーの声が小さく漏れ聞こえ、
伝言に言葉を入れているのが聞こえた。
 電話が切れたのを確認し、
怖いからその伝言を聞かないまま
消してしまおうとしたが、 
意を決して伝言を再生してみた。

 すると、「今週のシフトですが〜」
などと言っている。
 手紙が手元に届いていないようだ。

 これではまずい。
 辞めるに辞められない。

 私は、辞めたい一心で、
勇気を出して着信履歴から電話を掛けた。

 呼び出し音が鳴っている間、
心臓が飛び出しそうだった。
 でも、直接辞める旨を
はっきり言って、決着を付けた方が、
「どこかで会ったらどうしよう」と
怯えて暮らすよりいいだろうと、
心を決めた。

 「はいもしもし」

 オーナーが出た。

 私が、
「おじの介護をすることになってしまい・・・・・・」
と、必死で話しているのをじっと聞いていたかと思うと、
「それは大変ですね。落ち着くまで1ヶ月待ちますよ」
と、なんと優しく言うではないか。

 「いえ、これ以上迷惑かけられませんので」
と、丁重にお断りし、何度も何度も謝ると、

「大変でしょうが、頑張ってくださいね。
倒れてしまわないように、
お体を大切にしてください」
とまで言ってくれた。

 私は、電話を切った後、
情けなさでガックリとその場に座り込んでしまった。

 オーナーだって、人間だ。
 不機嫌にもなれば、怒ることもある。
 そんな一面をちょっと見ただけで
彼女に怯え、人間すべてに怯え、
「自分なんて居なくなれば」
なんていじけていた。

 心の傷は傷として、
人として守るべきルールは
やはり守らなければならなかった。
 自分ばかりが
「傷つきやすい少女の心」
なのではない。

 オーナーだって、女手ひとつで
この不景気の中、
必死になって事業を起こしているのだ。
 なりふり構わず頑張って、
仕事を回しているのではないか。

 私は卑怯だった。
 ちゃんとした大人とは言えない。

 オーナーに「大人の対応」をされたことで、
返って自分の愚かさを思い知らされ、
打ちのめされた。

 (カウンセリング受けてみようかな)

 私は、自分の弱さを
正面から見つめ直してみようと思った。
                        

                        (了)

(話の駄菓子屋) 2004.9.13 .あかじそ作