「 働く母と子の病気 」 |
7年前、 夫が転職して収入が減ったので、 私は、5歳、3歳、1歳の子供を抱えて、 託児所付きの職場で働くことにした。 3人の子供は夫婦ふたりの子供だし、 別に私の小遣い銭欲しさで働くわけでもないのに、 なぜか母親が勤めるとなると、 子供を預けることに関して、 母親が何とかしろよ、というノリがあり、 私は、仕事よりもむしろ、 大勢の小さい子供を 託児室まで送り迎えすることに 大きな負担を感じていた。 長男は重症の喘息持ち、 次男は異常なほど気難しく、 三男は顔の皮膚が常に破けた重症アトピーだった。 お弁当とオムツと布団を持たせて 先生に子供を託すが、 長男は緊張で顔が真っ青になり硬直し、 次男は自分のこだわりが通らないと大暴れし、 三男はここから出せ、とドアを叩きまくっている。 先生に 「いいから行きなさい」 と言われて私は職場に向かい、 慣れない肉体労働と 厳しい先輩の言葉の矢に耐えながらも 毎日頑張っていた。 そんなある冬の日、 長男がインフルエンザをこじらせた。 食事も一切受け付けなくなり、 近所の医院では 「肺炎を起こしているから大きな病院へ行ってくれ」 と言われた。 紹介状なしで大きな病院に行ったら、 寒い廊下に3時間待たされた挙げ句、 「そういうの仁義に欠けるから診たくないな」 と若い当番医に風邪薬ひとつ出されて追い返された。 翌日、その病院にもう1回行くと、 インフルエンザの子供が待合室にあふれ返り、 もう歩けないどころか、 まともに息もできなくなっている長男は 4時間待たされ、やっと診察室に通された。 長男を診たベテラン医は 「すぐ入院!」 と顔色を変えた。 あと少し遅かったら危なかったよ、と言った。 昨晩の当番医はアルバイトで、 入院させる権限がなかったらしい。 それにしたって、人の命はそんな風に 仁義だの権限だのに左右されていいのか。 私は、この時点で、 すでに仕事を3日休んでいた。 外回りで天候に左右される仕事なのに、 入院した当日は大雪だった。 点滴をして吸入をする長男の横で、 私は、外の真っ白な街を見た。 ため息が出た。 死にそうだった長男を 治療してもらえることになった安心感。 やっとなじんできた職場を 長く休むことになった憂鬱。 私が休んでいる間、 私の分の仕事は あの怖い先輩たちに頼んでいるのだ。 それも、この大雪の中の仕事を。 それから、幼い次男三男を 実家に預けていること。 三男は、まだ私のお乳を吸っていたが、 遠い実家に預けることで、 この際断乳することになった。 この病院は、必ず誰か保護者が 付き添わなければならない病院だったのだ。 夫は、この頃どうしていたのか、 私は全然覚えていない。 長男をおんぶして運んだのは私の父だし、 下の子たちの面倒を見たのは私の母だ。 夜中、乳を欲しがり泣き狂う三男を 抱いてあやし、断乳させたのは 私の両親だった。 夫は、給料をもらうために 相変わらず会社に いつも通り通っていたのだろう。 入院費用も夫が出したのだろう。 しかし、この頃の夫とは 私はまったくうまくいっていなかった。 口もろくにきかなかったし、 そうかと思えば、 夫が泣くまで責めまくったりもしていた。 私と子供たち、 そして、給料という結び目があって、 その先に夫がいた。 嫌いではなかったが、遠かった。 遠すぎて、 もう手を伸ばしても届かなくなっていた。 ところで、入院した病院で、 となりのベッドにきたのは、 昨晩一緒に廊下に待たされていた 小学校1年生位の男の子だった。 ウイルス性の腸炎だという。 高熱を出し、痛みに七転八倒している中、 やはり数時間待たされていた。 その子には、おばあちゃんが付き添い、 何かと世話をしていたが、 昨晩も今日も、その子のご両親の姿は無かった。 入院中、幼稚園児の長男と その子は仲良くなり、 私とおばあちゃんも仲良くなった。 いつも仕事に疲れ、 小さい弟たちの世話に追われる私を見て、 ろくに甘えることができなかった長男は、 一日中私が付きっきりでいることに 満足しているようだった。 点滴や薬も効いて、 すっかり元気になってきた。 私がイタイイタイと言いながら パンパンに張るおっぱいを コップに絞っていると 恥ずかしそうに横目で見ていた。 「もったいないから飲む?」 と私に聞かれて、 「いらないよう」 と顔を赤らめた長男。 (長男は、半年後中学生となるが、 今でもこの入院を「いい思い出」と言う。 よっぽど嬉しかったらしい) 私が長男に絵本を読み聞かせていると、 となりのベッドの少年も 耳を澄まして聞いているようだった。 (この子のご両親は一体どうしたんだろう?) 入院4日目くらいか・・・・・ 週末、やっとお母さんが来た。 少年の3人のお姉さんとともに。 彼は、4人兄弟の末っ子で、 お母さんはフルタイムで働いているのだという。 少年は、お母さんがくると 今までうちの長男に対して アニキ風を吹かせていたのが嘘のように 甘えん坊に変身した。 付き添いに疲れきったおばあちゃんが帰ると、 その晩はお母さんが同じベッドに添い寝し、 消灯後の暗い部屋に 親子の甘いささやきが聞こえた。 本当にこの子を可愛がっているお母さん。 お母さんを大好きな少年。 そのお母さんが小さく口ずさむ 子守唄に耳を傾けているうちに、 私もうちの子も心からホッとした気分になり、 いつに間にか眠っていた。 その後、少年の口から、 両親が離婚し、おばあちゃんの家で 母子5人で暮らしているのを聞いた。 お母さんは毎日一生懸命仕事をして ぼくたちを育ててくれているんだ、と 誇らしげに言った。 私は、2週間も仕事を休んでしまって、 復職する勇気を失いかけていたが、 彼の言葉を聞いて、長男の退院後、 頑張って仕事に戻った。 それから、仕事中交通事故に遭って やむなく退職するまでの2年間、 私は一生懸命働いた。 その間、何度も子供の病気や入院で 仕事先に迷惑をかけつつも、 謝りながら、一生懸命ニコニコ笑って乗り切った。 いつの間にか、子供は育っていた。 退職したとき、 長男は小学生になり、 次男は幼稚園に上がり、 三男はオムツがとれていた。 働く母を、子供は見ている。 淋しい思いもしているが、 頼もしく自慢にも感じているはずだ。 お母さんは、働いていることを 後ろめたく思うことなく、 自慢にすることもなく、 ただ、子供を愛していると伝えていれば それでいいんじゃないか。 子供は愛されていることが分かれば、 ちゃんと育ってくれるんじゃないか。 母と子の間に通う何かを 信じて生きていこう。 母にとっても子にとっても 生きる勇気をくれるその何かを。 (了) |
(話の駄菓子屋) 2004.9.21. あかじそ作 |