「 ファン 

 恥ずかしいことを告白する大会があったら、
私はこのことを言わねばなるまい。

 ファン歴。

 子供の頃、百恵ちゃんのファンだったこともあり、
「赤い」シリーズを欠かさず見ていたが、
そこで百恵ちゃんの相手役に
目が釘付けになった。

 み・う・ら・と・も・か・ず?
 
 このお兄ちゃん、すてき・・・・・・

 ドラマの中で百恵ちゃんが歩けなくなって、
ほふく前進をすると、
恋人役の友和が百恵ちゃんの横で
一緒にほふく前進するシーンがあった。
 そんなときは、私も
テレビ画面の前で彼らと並んでほふく前進をした。

 友和がCMで
「編み物ができる子っていいなあ・・・・・・」
と言えば、即刻編み物を始めた。

 それから10年間、
私は、彼のことを一人静かに想いながら
少女時代を過ごしたのだ。

 4年生のときの同級生に
「ねえねえ、あかじそちゃんは、
草刈正雄派? それとも三浦友和派?」
と聞かれ、私はドギマギした。
 その頃、時代は、
「その2人のうち、どっちが好き?」
というノリであった。

 (「派」どころじゃないよ、友和「命」だって!)

 シャイな私は、彼のファンだということを
誰にも言わずにいた。
 友達と一緒にキャーキャー言い合えば、
自分のこの切ない想いが
安っぽくなってしまうと思った。
 一生懸命想い続ければ
本当に結婚できると思っていた。

 やがて、私の命の友和は、
やはり大好きな百恵ちゃんと結婚してしまった。
 私はショックで熱を出し、
押入れの中で泣いて暮らし、
学校を3日も休んでしまった。

 もう、つら過ぎて死んでしまいそうだから、
誰か違う人を好きになろうと思った。

 で、友達に勧められたのが
「たのきんトリオ」。

 中学に入って、ドラマの金八先生が話題になり、
それに出演していたトシちゃん、マッチ、よっちゃんが
「たのきんトリオ」として人気だった。
 私は、どの人もタイプではなかったが、
友達が
「私はトシ、友子がマッチのファンだから
あかじそちゃんはよっちゃんにしなよ」
と、強制的に決めてしまった。
 よっちゃんは一番ツラは悪いが
なかなか性格が良さそうなので
ファンということにしておいた。
 バイク屋の息子で、ギター好きのよっちゃんは、
ラジオ番組でも、無意味にギターを弾きまくり、
口から出ることばは「バリバリ!」ばっかり。
 まさかあの子が今やギターを本職にして
浜崎あゆみの後ろで活躍するようになるとは。
 私も彼を育てた(?)甲斐があったと思う。

 その辺からちょっと
私の嗜好がジャニーズに偏っていった。
 無名のジャ二事務の新人の子を指さし、
「今度はこの子を育ててみようと思う」
などと友人に宣言し、
子供だったSMAPなどを発掘し、育ててきた。
(つまり、無名時代から人気が出るまでの間、
勝手に見守ってきたのだ)

 まあ、私にとってジャニ事務の子を育てるのは
いわば「使命」みたいなもので、
やはり女心を震わされたのは
「大人の男」であった。

 いとこのクミちゃんが大ファンで
付き合いで行った「寺尾聡コンサート」では、
クミちゃんよりもむしろ私のほうが
ヤラレてしまった。

 あの低音で
♪トゥ〜ルストゥルン、♪トゥ〜ルストゥルン、
と歌われた日にゃあ・・・・・・
うぶな中2の女子としては、トロ〜ンであった。
 経験も無いくせに
イメージばかりが広がって
心は♪トゥ〜ルストゥルンと抱かれて
はふ〜ん、であった。

 とりあえず、
「大人の男と大人の恋愛をしながら
若い男の子たちを育てる」
というのが自分のライフワークである、
と、その頃感じた。

(まさか今こうして、
「お望み通り」オッサンと結婚し、
息子たち4人を育てるハメになるとは・・・・・・)

 その後、高校に入ってから
友和百恵夫妻に子供が生まれ、
私はまた、寝込んでしまった。
 友和と結婚して彼の子を産むのは
自分しかいないと信じていた時期が長かっただけに、
夢を3億回くらい砕かれたような
物凄い挫折感だった。

 ずっと自分の想いを封じ込めていたが、
やっぱり私は命を友和に預けていたのだろう。
 今さら「友和ファン」だとは
時代遅れなようで誰にも言えず、
またまた想いは
ひとりの胸に秘められることになった。

 高校時代、私は、悪い流行病にかかり、
生きるか死ぬかという状態になったときも、
テレビの前に布団を敷き、
「西部警察」を見ながら泣いていた。
 友和演じる「沖田刑事」が死を覚悟で
雪の中に歩いていく後姿を見ながら、
はっきり言ってこっちの方が
マジで死にそうになっていた。

 今は、いいおじさんになり、
地味な2時間ドラマに出たり、
背広のコマーシャルに出ている彼を見て、
私はしみじみ思う。

 時間はいつの間にか
知らない間に流れまくって、
あなたに胸を焦がしていた少女も、
今やおばちゃんですわ、と。

 大人の恋路にあこがれて
トロ〜ンととろけていた中2も、
今や「ホレタハレタ」より大人っぽい世界を
たくさん知っております、と。

 子供時代の理不尽な出来事や、
青春時代の挫折や屈折、
大人になってからも
何度も折れそうになった心を、
いつも支えてくれた淡い恋心。

 ポスターを見ては
ニヤケたり、泣いたりして、
決して実らない恋をして自分を元気付けてきた。

 友和だけじゃない。

 ピンクレディーの振り付けを全部覚えて、
学校で友達と歌って踊ったり、
昨日の「レッツゴーヤング」の感想を言い合ったり、
大きな失恋をしたり、
クラスメイトとつかみ合いのケンカしたり、
・・・・・・いろいろあったなあ。

 歌番組は全部見ていた。
 歌謡曲全盛時代。
 アイドルの曲はもちろん、
流行の演歌だって、みんな歌えた。

 ハタチすぎてヘビメタにハマり、
聖鬼魔Uの「蝋人形の館」を聞きながら
地下鉄に乗ったり、
レベッカの野外コンサートに行ったり。
 楽しかったなあ。

 サザンのアルバム「人気者で行こう」や
泉谷しげるの「ケースバイケース」は、
いつも試験勉強のBGMだった。

 思えば、いつもいつも、私はミーハーだった。

 ミーハーの語源は、
「みーちゃん、はーちゃん」で、
つまり、どいつもこいつもきゃーきゃー言って
俗っぽいことを言う。

 でも、私はミーハーでよかった。
 ミーハーで、楽しかった。
 楽しくいろいろなことを乗り越えられた。
 崇高なつまらない青春よりも
ミーハーでイェイイェイな方がいい。

 ファンの人がいっぱいいる。
 特に好きでもないが、
ヨン様がテレビに出てたら
とりあえず見入る。

 「甘いマスクに鍛え抜かれた肉体」
とか、つぶやいてみる。
 「その白いシャツを脱いでこっちにいらっしゃい」
とか、言っている。

 何だか嫌な大人になっちまったよ。


      (了)

しその草いきれ (2004.9.28.) あかじそ作