「 空に聞く 」

 秋になり、雨ばかりが続いていた。
 たまに晴れる日があると、
私は、洗濯や買出しに奔走するのだが、
気持ちよく晴れ渡っている空とは相反して、
心はいつも半べそだった。

 夫は夜遅くまで働き、
子供は順調に育ち、
一見平和な家庭の中で
のんきな主婦という位置にいながら、
いつもいつも、半べそ気分なのだ。

 なぜ自分が泣きそうになっているのかわからない。
 思いつく理由はいくつでも挙げられるが、
それはどれもささいなことで、
ささいないくつもの小さいもやもやが、
何千何億と積もり積もって堆積し、
化石になって私の心の奥底に
ずっしりと居座り続けている。

 晴れない気分を抱えて、
両手に幼い子供を抱え、
私は空に聞く。

 私は、きっと幸せなのですが、
なぜそれを感じることができないのでしょう、と。

 空が青い。
 夫はまじめ。
 子供は元気。

 しかし、この晴れない気分をどうしましょう。

 本当は知っているのだ。
 そんなの、自分次第なのだ、と。

 でも、すでに自分ひとりの力では
重い化石を剥がせなくなっていることを、
誰にどう説明すればいいのだろう。


 植木に水遣りをしていたら、
冬に備えて忙しく働くアリンコを見つけた。
 このアリンコが
自分の存在意義とか理由とか、
そんなものに行き詰って
食べ物を運べないくらい落ち込んでいたら
冬には死んでしまうのだろうな、と思った。

 なぜ冬が来るのだ、と絶望し、
無事冬を越せるのか、と不安になり、
悩んでいる暇に冬が来て死んでしまう。

 理屈をこね回して
不満を増幅させて
自滅していくアリンコは
今の私の姿そのものだ。 


 夕方、子供が学校から次々と帰ってくる。
 急に暗くなる空に気付いて、
慌ててベランダに飛び出し、
洗濯物を取り込む。

 紅い西の空に会う。

 明日も晴れるだろう。

 洗濯物がたくさん干せて、
干したものがみな、カラリと乾く。

 子供は濡れずに学校へ行けて、
風邪をひかずに済むだろう。

 買い物にも気軽に行けるし、
なんなら栗拾いにでも行けばいい。

 今、この瞬間に不幸の条件はひとつもない。
 泣きたくなる元は何もないのだ。

 晴れた日は心を晴らし、
雨の日曇る日は、
心を濡らしておけばいい。

 そのうちまた太陽はまた顔を出し、
いつまでも湿ってばかりはいられない。

 いつも朗らかでなくてもいいんだ。
 いつもすてきな妻や母でなくてもいいんだ。

 自分も
この宇宙の
この自然の中の
小さな一員として、
泣いたり笑ったり怒ったり、
また笑ったりしていればいい。

 「ただの主婦」だけど、
それでいいじゃないか。
 「ただの総理大臣」や「ただの大富豪」と
どう違うというのか。

 地球を救う重要な使命など
何も任命されていないけれど、
一生物として生きていること、
行き続けることそのものが
「種の保存」という大事な仕事なのだから
それでいいじゃない。

 半べそをかきそうになったら、
いっそ泣いてしまおう。

 泣いて湿気を飛ばしたら、
また普通に淡々と生きよう。

 両腕にいっぱいの
乾いた洗濯物を抱えて、
空に聞く。

 これでいいんだよね、と。

返事は何も聞こえない。

 涼しい風が襟元を吹き抜けて
「へえ〜くしょ〜い」
とのんきなくしゃみが出た。

 こんなくしゃみをする主婦が
人生につまずき、
真剣にたそがれているなんて
一体、誰が気付くだろう。

 私は、格好悪い自分を引き受けて、
胸を張って堂々と生きていくことにした。

 空が「そうしな」と言ってくれているようだった。


(了)

(小さなお話) 2004.10.19. あかじそ作