「 被災 」

先日、新潟であった大地震は悲惨だった。
 私は連日チャンネルを何度も変えて
ニュースばかりを見ている。

 その日、夕飯の支度をしようと
にんじんを刻んでいると、
突然激しい地震がきた。
 うちは埼玉中北部だから、
震度5弱だったというが、
台風の連続で何度も冠水した
軟弱な地面に建つ築25年の我が家は、
半端でなく揺れ、震度5以上の揺れだった。

 茶の間で遊んでいた4人の子供たちに
「みんなこっち来て!」
と叫びながら、雨戸の鍵を開けようとしたが、
暗くて鍵がよく見えず、
なかなか開けられなかった。

 やっと雨戸を開け、みんなを外に出すと、
電柱も車も近所の家も
えらく揺れていた。

 揺れがおさまって、家に入ると、
また同じような揺れがきた。
 何度か小さい揺れが連続できた後、
また大きな揺れがきた。

 夫は仕事で居なかったが、
私と子供たち4人で家の外に出て
しばらく立っていたが、
この辺では危なくないところがないのだ、と分かった。

 家のすぐ外は、電柱が倒れて直撃するだろう。
 四方を家に囲まれ、
しかもびっちりくっついて建っているから、
あちこちから剥がれた壁が落ちてくるだろうし、
もっと道路側に移動しても、
今度は向かいの7階建ての古いマンションが
ドーンと倒れてきそうだ。

 ここいらは、
まだどこもプロパンガスで、
我が家は四方の家のプロパンにがっちり囲まれていて、
どこにも逃げ場がない。

 これは危ない。

 こういうことが起きてはじめて
危ないことが露見してくる。

 子供たちは、
「お母さんが留守のとき、
ぼくたちは一体どこに避難すればいいの?」
と聞いてくるが、
地区の決められた避難所までたどり着くまでに
危ない場所が山ほどある。
 子供だけの時にこんな地震があったら
一体どうしたらいいのだ。
 私は、しょっちゅう子供に留守番をさせて
買い物などに出かけるので、
ちょっと考えてしまった。

 とりあえず飛び出すべき場所。
 家族の待ち合わせ場所。
 避難するにしても、
いつも子供が服用する喘息の薬はどうするのか?
 降圧剤を毎日飲んでいる母の薬は?

 今、避難所にいる被災者に
必要な薬は行き届いているのか?
 アカンボのミルクやオムツは?
 寝たきりの人のオムツや、生理用品は?

 オムツやナプキンが替えられず、
寒い中不衛生なまま我慢しているんだろう。

 みんながぐったりしたり、イライラしている体育館で、
子供がぐずって騒いだら、
母親は責められ、怒鳴られて
寒い外に子供を連れ出して
いつまでもなだめなければならないだろう。

 関東でも朝晩これだけ冷えるのだ。
 新潟はさぞ冷え込んでいるだろうし、
心身共にじわじわと体調を蝕まれて、 
亡くなってしまうお年寄りがでるだろう。

 阪神淡路の地震のときも
同じような気持ちになったが、
あれから10年経って、
私の親も年をとり、祖父母の最後も見送って、
余計に弱者の現実が想像できるようになった。

 とりあえず義援金を寄付するつもりではあるが、
本当は身一つで助けに行きたい気持ちでいっぱいだ。

 今、ひそかに思うのは、
この連日のニュースがおさまり、
だんだん話題にならなくなってきたときこそ、
現地に手伝いが必要なんじゃないか、ということだ。

 年寄り世帯のタンスを起こすだけで、
その年寄りに希望が湧くのなら、
私は行きたいと思う。

 絶望で動けなくなっている人が居たら、
代わりに動いてあげたい。

 それをすることで、
今、私がぼんやりと抱いている絶望感が
希望へと変わってくれるような気がしている。

 自分を助けるためにも、
人を手伝うことが必要な気がする。

 偽善者と呼ばれても、かまわない。
 阪神淡路のとき、アカンボがいて動けなかったが、
今なら微力ながら動けるはずだ。

 「お母さんはちょっとの間
家庭をホッポリ出すけど、
すぐ戻るから、母を信じて待て」

と、子供に言えば、分かってくれるような気がする。

                       
           (了)
(しその草いきれ) 2004.10.26. あかじそ作