みかんさん 53200 キリ番特典 お題「一人旅」
「 一人旅 」

 ひとりになるのが怖いし、ひとりは淋しい。
 そういう意味でも
今までの家族(両親や兄弟)と付き合い続けるし、
今の家族(夫や子供)とも一緒に居る。
 友だちともうまくやろうと努力するし、
みんなと仲良くしようと思う。

 しかし、それは違うのだ、と気が付いた。

 どんなにたくさんの人に囲まれていようが、
愛し、愛されていようが、
私たちはみなひとりなのだ。

 生まれたときも、死ぬときも、ひとりだ。
 そして、生きている間も、
実は、基本的にひとりぼっちなのだ。 

 しかし、そのことに気付かず、
「私は、いつも誰かと一緒、みんなと一緒」
と思っているといろいろな間違いが生じてくる。

 まず、依存というものが出てくる。

 「親は、自分の世話をするもの」
という依存。
 「夫は、必ず稼ぎを持ってきてくれる」
という依存。
 「子供は、当然自分を愛している」
という依存。

 それらは、「当然」のことではなく、
相手の努力や思いやりの上に成り立っていることであり、
決して当然のことではない。

 ひとが自分のことを
自分と同じくらい愛しているかというと、
そんなことはない。

 愛してもらっているのだ。
 私たちは、一緒に居る人たちから、
常に、施しを受けているようなものなのだ。

 「一人ぼっちの裸の自分」に、
無償で添ってくれている人たち。
 彼らの存在を「当然」と思い、
ありがたいと自覚せずに暮らしていると、
今に「依存」の裏返しである「恨みつらみ」という
自家中毒に苦しむことになる。

 一番そばに居て、
一番大切にしなければならない人たちに
「何でこうしてくれない」
「何でああしてくれない」
と文句ばかり言い、悪態をつき、
一番大切な「心の肌」を
自ら剥がしていくようなことをしてしまう。

 ひとりは淋しい。
 つまらない。 ―――怖い。

 でも、本当はみんな一人ぼっちなのだ。
 社会は、弱い一人ぼっちの集まりなのだ。

 思い出してみよう。

 温かな母胎から
ひとりぼっちで出てきたときのことを。
 あの心細さ、あの驚くほどの肌寒さ。

 想像してみよう。

 自分の死に際を。

 周りにたくさんのひとが居ても、
みんな遠いだろう。
 みんな、超人のように普通に動けるのに、
自分ひとりだけ、
呼吸ひとつできない情けなさ。

 実は、今こうして
普通に生きているこの瞬間も、
そのときと何ひとつ変わらない状況なのだ。

 ひとりなのだ。
 たったひとりなのだ。

 それなのに、
あの、えもいわれぬ肌寒さや
隔世感がないように思えるのは、
「めちゃめちゃ幸せなひとりぼっち」
だということなのだ。
 恵まれているのだ。

 生きることは、それ自体、
一人旅のようなもので、
親は、はじめに一緒に歩いてくれる人、
配偶者や子供は、
途中から隣を歩いてくれる人、
友だちは、すれ違う旅人で、
みな、いっとき同じ道を行く旅人なのだ。

 そして、必ず彼らと別れる日はやってくる。
 分かれ道がいくつもいくつもある。
 「さようなら」をいう運命をもって、
今、一緒に居る人たち―――
それが家族や友人なのだ。

 私は悲観的な人間なのかもしれない。
 しかし、そのことを悲観的に思う時期は
もうすでに過ぎた気がする。

 当然いつも一緒にいるはずだと
信じていた人たちが大勢亡くなり、
当然いつも自分を守ってくれるはずだと
信じていた人たちが、
守りきれなくなることもあることを知った。

 私は、ある日、
ひとりぼっちであることを
つくづく思い知り、
しかし、感傷的になることなく、
突然、ある温かな悟りの場所に出た。

 一人旅を、淋しく思うのではなく、
楽しむつもりで生きよう。
 そして、なぜか偶然、
そばに居てくれる人たちを
「ありがたい人たち」と認識しよう。

 そのことで、
弱い自分から次々湧き上がる依存心を
断ち切ることができるかもしれない。

 自分の「75点の人生」に対して、
100点満点から引き算をして
「マイナス25点」と思わずに、
0点から足し算をして、
「プラス75点」のいい人生だと
思えるかもしれない。

 引き算の考え方は、
上へ上へとよじ登るのが好きな人はいいかもしれないが、
私には向かない。
 自分は不幸だ、不満だらけだ、と声高に叫び、
それをバネにして生きていける人は、
周りを責めて生きていけばいいが、
私は幸福をバネにして生きていく方を選ぶ。

 人を憎まず、何も求めず、
ただ、
「ああ、ありがたい」
と思いながら生きていたいし、
そのまま死んでいきたい。

 一人旅の淋しさを知って初めて
「袖摺りあうも他生の縁」
ということばの意味を知るのだろう。

 私が子供の頃からずっと感じて生きてきた、
このどうしようもない淋しさは、
何かと「ああ、ありがたい」と思える
幸せな後半の人生のための布石だったのか。

                      
                           (了)
(しその草いきれ) 2004.11.16. あかじそ作