「 ふつうって 」

 「人のウチ」って変である。
 そのウチの親が作った
その家族のオリジナルルールは、
よそのウチの者から見たら
「それはおかしいよ!」
というものばかりで、
それを「はい、そうですね」と
素直に従っているそこの家族たちは
まるで催眠術にかかっているようで
奇妙に見える。

 学校で仲のいい友だち―――
それこそ「ごく普通のキャラの人」が、
家では両親のことを
「ととさま」「かかさま」と
普通に呼んでいたりする。

 私は「夕飯の後に風呂に入る」という
習慣の家に育ったのだが、
ある友だちの家に夕飯に招待されたとき、
友だち一家が「ちょっと待っててね」と言って
家族全員一斉に消えてしまい、
私は随分待たされた。 

 1時間以上待たされて、
やっと現れたそのうちの家族は、
はっきり言って「変!」だった。

 その家のお父さん、お母さん、
中2の友だち、高1の兄、小4の妹が、
お揃いのぬいぐるみの着ぐるみパジャマを着て
ニコニコと脱衣所から現れたのだ。

 (え! 一家揃って風呂入ってたの?)

 それから食事の準備が始まって、
結局夕飯にありつけたのは
夜の10時過ぎだった。

 我が家の夕飯は
毎日きっちり午後6時だったので、
当時、食べ盛りの中学生だった私は、
はっきり言ってお腹がすいて死にそうだった。

さんざん待った挙げ句に
お揃い着ぐるみ、
更にまた物凄く待たされてからの夕飯、
しかも、献立は真冬なのに
冷たいそうめんだった。

 そのうちのお父さんは、
不動産業で成功し、
かなり裕福だったのにも関わらず、
夕飯は連日
おかず無しのそうめんオンリーなのだという。

 私は、目を見張って
友達の顔をまじまじと見た。
 学校では普通の子なのに、
今ここで家族と一緒に着ぐるみを着て
笑顔でそうめんをすすっている彼女は、
まるで違う人のように思えたのだ。

 また違う友達の家では、
「テレビから5メートル離れて見る」
ということに異常に気を使っていて、
家族そろって隣の部屋から
首を伸ばして目を凝らして見ていた。
 私は、何も知らず
テレビの部屋で見ていたら、
そこのうちのお母さんにえらく叱られた。
 「そんな子はうちに来ないで」
とまで言われた。

 なんで? 
 なんでそんなところに怒りのツボがあるの?

 また他の家では、
帰宅早々、味噌をベースにした
「特製ジュース」を飲まなくてはいけなくて、
また違う家では、
家の中では
ずっと敬語でなくてはいけないらしい。

 なんで?

 そのうちの親のおかしな思い込みや決め事が、
有無を言わさず実行され、
けがれを知らぬ子供たちは、
「そういうものだ」と信じて従わされている。

 ああ、痛ましい!

 ちなみに我が家は
焼きそばといえば「しょうゆ味」で、
カレーライスのように
平たい皿にご飯と一緒に盛られていた。

 それが普通だと思っていた。
 みんなそうだと信じきっていた。

 ハッサクは包丁で4つ割りにして、
中の薄い袋は歯で剥がすものだと思っていた。
 それが正式な食べ方だと思い込んでいた。

 その他にもいろいろな思い込みがあり、
大人になってから随分恥ずかしい思いをしたものだ。

 夫の育った家では、
みんな食事中は決して水分を摂らず、
食後、ご飯茶碗にお茶を注いで
米粒をこそぎ落としながら飲む。
 いちいちコップを出すなんて
洗い物が増えるから絶対ダメ。
 それがこのウチの正式ルールのようだった。

 私は子供の頃、
ご飯茶碗でお茶を飲んだら
「行儀が悪い」と父に物凄く叱られて、
そのお茶を頭からぶっ掛けられたことがあり、
「すいません、お水飲んでいいですか」
と、食事中義母に聞いたら、
無言でため息をつかれた。

 どっちやねん、
 マジで、どっちやねん!
・・・・・・と思った。

 家族の数だけ「変」な「普通」があり、
それがまかり通っている。


 別にみんな揃える必要は無いけれど、
自分にとっての「普通」って、
人にとっては全然普通でなくて、
自分にとっての「変」って、
人にとっては全然変じゃないんだ。

 衝撃の「普通」や、
何気ない「変」の中で、
「ええっ!」
とか
「あ、そうなん?!」
 とか言いながら、
楽しんで生きていけばいいんだな。


 そんなことを考えながらも、
子供の友だちの家では、
「食事どきコーラをお茶のように飲む」
という話を聞いて、
まだまだ「変!」が「無限大にあるんだな」と
いたく感心してしまうのだ。

 どんだけあるんだ!
「変」な「普通」が!


          (了)

(しその草いきれ) 2004.11.23. あかじそ作