「 師走パニック 」

 世はもうすぐクリスマスだというのに、
私は、モウロウとしているうちに
今年を終わろうとしている。

 師走に入ってからというもの、
私は、大パニックの連続だったのだ。

 12/1。
 小学校の個人面談。
 2時からは、6年の長男のクラスで、
クラスのイジメッ子から受けた被害報告。
 担任の「善処します」のことばに頭を下げる。
 2時15分からは、2年の三男の教室へ。
 3階旧校舎から新校舎2階まで、
分厚い上着を抱えて走る。
 先生は、
「明るくておしゃべり好きで、
勉強熱心で、言うこと無し」
と三男をべた褒めするが、
自宅での家庭内暴力三昧を相談し、
「ま、重症の内弁慶でしょうね」
という結論で笑って終わり、
2時30分に4年の次男の教室へ
時間ギリギリに
ヘッドスライディングしながら入室。
 「好きなことには異常に熱心、
嫌いなことには異常に投げやり」
という先生の報告を
「すみません。うちの父に似ちゃったので、
それは死ぬまで直らないのです」
と謝り倒す。

 忙しいし、全員キャラが違いすぎて、
面談内容異なりすぎ!
 スケジュールが、とにかくキツキツで、
たった1時間の面談が、
私の寿命を3年ほど縮めたこと間違いなし。


 さて、翌日12/2。
 長男の中学校入学説明会。
 空き教室で行われている
「使用済み制服リサイクル売り場」に入る。
 バーゲン会場と化している教室で
もみくちゃになりながら、
気が付けば会場外へ排出されていた。
 1000円2000円する割に
みんなボロボロな服で、結果、収穫なし。

 寒い寒い廊下で、
物凄く長く待たされた挙げ句、
これまた物凄く寒い体育館で
長々と説明会。
 すっかり風邪をひいた後、
子供と一緒に帰るように言われ、
寒い寒い外でぶるぶる震えながら
長男を待っていると、
「友だちと一緒に帰るよ」
と言われ、淋しい笑顔でひとり帰路につく。

 しかし、なんだ、このひどい寒気は!
 何年も忘れていた、このひどい悪寒は!


 12/3。
 4男が幼稚園で吐きまくった、という。
 熱もある。
 下痢もある。
 夕方、上の子供たちを留守番させて、
4男をかかりつけの小児科へ連れて行く。
 今流行っているお腹の風邪、とうことで、
薬をもらって帰る。
 病院でだいぶ待たされ、
夕飯も作れなかったので、
 簡単にうどんをゆでて、
みんなですすって済ませた。

 12/4。
 下痢と嘔吐を繰り返す4男。
 週末、看病しながら、
食欲旺盛な上の子たちの食事と病人食作り、
2倍のおさんどんに追われる。
 自分の体調も何だか変だ。

 12/5。
 近所の餅つき大会。
 子供たちが行きたいというので、
小学生3人、子供だけで行かせた。
 なかなか帰ってこないので迎えに行くと、
 町内会の集会所で、
兄弟3人、目を覆いたくなるほど激しく餅をつき、
農家のおばちゃんが漬けたオシンコを
これまたみっともないほどガツガツ食べていた。
 サザエさんがカツオにするように、
子供たちの耳を引っ張って、家に帰る。
 あんたら、町内のイベントで盛り上がりすぎ!


 12/6。
 次男、学校から帰ってくるなり、
「明日、学校で講演会の感想を
みんなの前で発表するから
原稿を書いていかなくちゃいけない」
と言う。
 でも、講演をまだ聞いてないのに、
どうやって感想を書くのか、と聞くと、
「先生が講演する人のプロフィールを教えてくれたから、
後は想像して書け、だって」
と言う。
 んなアホな。

 インターネットでその講演者について調べ、
親子で何とかゴマカシゴマカシ「感想」を書く。
 いちかばちか、という賭博のような感想文。
 いいのか、教育は。こんなんで。 

 夕方、誕生日の母に、
花屋で1000円分の黄色い花束を買って
子供たちと一緒に持っていく。
 なぜ黄色かと言うと、
母は宝くじマニアで、
縁起物の黄色い花を絶やさないからだ。
 自宅から実家まで、
徒歩でぞろぞろ子供を連れて歩いていたら、
何だかまた嫌な寒気が・・・・・・。
 ああ、まずい。


 12/8。
 昼過ぎ、三男の担任から電話が入る。
 熱があり、頭痛がひどいから迎えに来い、
というものだった。
 私も何だか頭が痛かったが、
慌てて自転車で学校へ行く。
 三男は、案外ケロッとしていたが、
帰宅後、熱が40度以上出る。

 12/9。
 三男を病院へ。
 またまた混んでいて、待っている間に
親子でますます具合が悪くなる。
 その後、三男が食欲が無いということで、
飲むゼリー数本と、葛湯の材料、
りんごやヨーグルトなど、
リクエストのものを買い出しに行く。
 自転車を走らせながら、
自分の目が回っているのが分かった。
 やばいぞ、やばいぞ。
 数年に一度の
ビッグウエーブがキテイル気がする・・・・・・。


 12/10。
 来た。
 やっぱ来た。
 起きられない。
 頭起こせない。
 頭痛い。目ん玉取れそう。
 体じゅう、痛い。
 節々がギシギシ言ってる。
 熱を測ると、40度。
 イヤン! イヤンイヤン!
 夫仕事で帰らない。
 子供ケンカで家ぐちゃぐちゃ。
 イヤン!


 12/11。
 12/12。
 布団の中で爆睡。
 食事一切摂らず。
 子供たちがどうしていたのか、
―――知らない。
 どうしていたんだろう?
 それほど私は、生命の危機だった。

 12/13。
 起き上がって、やっと家事を始める。
 よく毎日、私は食事を作れていたなあ、と、
今までの健康な自分に感動する。
 実家がカレーライスを差し入れてくれた。
 助かった。

 12/14。
 次男、朝から泣いている。
 顔が違う人になっている。
 夕方、熱を測ったら、40度。
 頭が痛い、と泣きながら、
トイレでひどい下痢を繰り返している。
 学校を休ませる。
 自分もベッドサイドで這いつくばって看病する。
 死ぬ〜!

 12/15。
 次男を父に託して、
4男の幼稚園のクリスマス会に行く。
 どうしても行かねばならなかった。
 4男は、劇の主役だったので、
ずっと前から「来てね」と念を押されていたのだ。 
 ガクガク震えるわが身を引きずって幼稚園へ。

 発表会の後、クラスの親睦会。
 教室で会食しながら、親子で手遊び。
 高熱で震える手。
 小刻みに震える手遊び。
 焦点の合わない目で、
緑色の顔で、薄ら笑いを浮かべて、
ブルブル震える手遊び。

 そばに居た、よその子供に
「このおばちゃんこわいよ〜う」
と泣かれた。


 その晩、次男を医者に。
 インフルエンザだという。
 薬をもらって帰り、一息つくと、
今度は4男が
「頭痛い」と泣く。
 熱を測ったら、40度。

 ガ〜ン!

 すぐに医者に電話をしたら、
もう診療時間が終わるから、
インフルエンザの薬を出します、とのこと。
 かかりつけの良く見知ったお医者さんなので、
「お宅、喘息4兄弟だし、
いずれみんなうつるだろうし、
こじらすとまた大喘息大会になっちゃうから、
全員分薬出しときましょう」
と言ってくれた。

 すぐに夫と子供4人分の薬を処方してもらい、
合計約17000円支払う。

 う〜む、17000円。
 泣きっ面に蜂。
 いや、チンチンにキングコブラだ!


 夜になり、死んだように寝込む次男。
 夜中、何度も吐く。
 高熱で泣きじゃくる4男。
 どうしても水分を摂ってくれない。
 そして、相変わらず
取っ組み合いのけんかをしている長男と三男。

 きっと、私もインフルエンザ。
 医者には
「お母さんはもう、薬は手遅れ。寝るしかないね」
 と言われた。

 寝たいが、目下、私よりもっと死にそうな
症状の子供たちがいる。
 フラフラしながら買い物に行き、
パンだの牛乳だの、最低限の物資を買う。
 
 買って帰ったものの、玄関でぶっ倒れる。
 だずげで、だずげで、だずげでぐれ〜!!


 12/20。
 看病の毎日。
 投薬の日々。
 私の病気は、いつの間にか
誰にも忘れられた。
 自分でも忘れるほど、
子供たちの症状がひどかった。

 でも、まだ首筋に、
確かに病魔は張り付いている。

 今日は月曜日。
 子供たちはみんな元気にニコニコしながら
学校や幼稚園に行った。
 みんな治ったね?
 夫も薬が効いて予防できたよね?

 じゃあ、そろそろ私、倒れていいのかな?
 寝るよ。寝込んじゃうよ。

 もうすぐクリスマスで、
それから、正月がくるけど、
―――遠いね!
 何か、遠い国の出来事のようだね。

 私は寝ます。
 もう寝ます。
 再来週には、大騒ぎの子供4人と、
ボンヤリ突っ立ってるだけの夫を連れて、
夫のふるさと石川県の金沢に
命がけで引率しなきゃいけないんだもの。

 今のうちに寝込むよ。
 倒れるよ。
 んじゃ、そういうことで!

 3秒前・・・・・・2秒前・・・・・・1秒前・・・・・・

 グエッ!
 はい死んだ!


       (了)
(しその草いきれ) 2004.12.21. あかじそ作