「 じいさんが街を埋める 」

 先日、父と私で
近所のスーパーに買い物に出かけた。

 父は、Aスーパーでは、惣菜のロースカツを買い、
Bスーパーでは、マグロの刺身をサクで買い、
Cスーパーでは、おでんの種ときしめんを買う。
 Dスーパーでは、ステーキ用の和牛を買い、
Eドラッグストアでは、柔らかトイレットペーパーを買う。

 ここでは、これを買う、というのが決まっていて、
同じ物でも、そこ以外のものは
「話にならねえ」
と言って絶対に買わない。
 たとえ、同じ銘柄でも、
「製造工場が違う」とか「ルートが違う」とか言って、
物凄く独善的にいろいろと文句を言う。

 そんな気難しく、かつ、偏屈な父と
いつものように買い物へ行くと、
いつものコロッケパンが無い、と
父が店内で大騒ぎを始めた。

 最寄りの店員に片っ端から声を掛け、
「いつも俺が買うのが無いんだよな!」
「俺のコロッケパンどうした?」
「この時間なら揚がってるはずだど〜!」
と、必要以上にでかい声で騒ぎ、
もろ営業妨害をし始めた。

 「いいんですいいんです、すみませんすみません」
と、私は、父を引っ張ってその場を離れ、
違う売り場に行くと、もう違うものに気を取られ、
「わあ〜、このタクアンうまそ〜う!」
と大声を上げ、
おばちゃんに誘われて試食のハンバーグを食べれば、
「まじい〜〜〜!」
と大衆の面前で叫び、
これまた営業妨害をする。

 「あ〜〜〜、いいからこっち来てったら!」
と、またその場から父を引き剥がし、
違う売り場へと連れて行く。

 父は、孫たちに旨いものを食べさせようと、
値段も見ずに、いろいろ買ってくれるものの、
そういう良くない態度なので、
私も、有難いやら、疲れるやら、
いい加減「ジジイシッター」状態に参ってしまう。

 一緒に出かけたがらない母の気持ちが
よ〜く分かった。

 そんな中、私が広告の品を手にとって
じっくり吟味している間に
カートを押した父が消えた。

 母に頼まれていた物だったので、
父に「これでいいか」と確認しようと、
父が消えたと思しき
「きしめん売り場」に向けて
「ねえ、じ〜い」
と呼んだ。

 ちなみに、うちの子供たちは父を
「じい」と呼び、私も「じい」と呼んでいるのだ。

 「ねえ、じ〜い」

 私の声が、食品売り場にこだますると、
フロアにいる大勢の人が
一斉にこちらを向いた。
 私は、自分が父のことを言えないくらい
大きな声を出してしまったことにハッとした。

 いけないいけない、
父と行動を共にしているうちに
常識の感覚がずれてしまったのかもしれない。
 私は、猛省し、
もう一度、小さい声で
「じい?」
と呼ぶと、
これまたフロアじゅうの人々が
私の方を一斉に見た。

 怖いくらい「一斉」だった。

 目の悪い私が、
一生懸命目を凝らして
ひとりひとりの顔をよく見ると、
驚くことに、み〜んな「じいさん」だった。

 みんな全員「じい」だったのだ。

 みんな、大声を出す主婦を責めるつもりでなく、
みんな、自分が呼ばれたと思って
一斉に振り向いたのであった。

 それから意識して売り場を見回すと、
 昼間のスーパーには、じいさんがびっしり居る。

 じいさんばかりが、もりもり湧いている。

 天気のいい日などは、
ばあさんも張り切って大勢居るが、
悪天候の日には特に
「男のわしが行ってくるけん、オナゴは休んどけ」
みたいなじいさんが
わしわしわしわしスーパーに集まってくる。

 カゴを抱えた古いジェントルマンが
わしわしわしわしスーパーのフロアを
縦横無尽に行き交っている。

 怖い!
 街がじいさんに支配されている!

 高齢化社会とは知っていたが、
ここまでじいさんだらけだとは!

 じいさんを意識し始めて半月、
私は、マジで物凄く怖くなっている。
 孫を自転車の後ろに乗せて
猛スピードで駆け抜けるじいさん、
 赤信号も歩行者もまったくお構いなしの
無謀運転じいさん。
 交差点で携帯電話片手に
「買いだ! 今すぐ10000株買いだあ!」
と叫んでいるじいさん。

 ばあさんも凄いけど、
じいさんもやばいことになっている。

 主婦の聖域「特売品コーナー」を、
じいさんたちが占拠している。

 うちの近くのスーパーでは、
タイムセールのことを「タイムジャック」と呼ぶが、
「じいさんタイムジャッカー」が
まるで「ショッカー」のごとく
「イー」「イー」と甲高く叫んで群がっている。

 怖いよ〜!
 じいさん帝国だよ〜!

 あと数十年もしたら、
もっと凄いことになるんだ!
 やばいぞ〜!

                 
                        (了)
(話の駄菓子屋) 2004.12.28. あかじそ作