「新婚時代」  テーマ★ ホスト・ファミリー


結婚に、夢も希望も抱いていなかった。
お見合いではないので、一応、「恋愛結婚」という事になっているが、
恋愛をした覚えが、全然ない。
子供時代から社交的と思われていたが、実際は、必死に気を使い、
気を使っている事を悟られまいと、必死に図太いふりをしていた。
誰といても、疲れてしまった。

そんな時、チラチラと私の視界をかすめる、おっさんがいた。
私が、大学の劇団に入った2年生の時、
先輩の4年生が、その男のことを「先輩」と呼んでいた。
私が3年生の時、まだおっさんは4年生だった。
おっさんは、4回も4年生をやっているベテランだった。
いつもいつもいつもいつも、部室の奥で、茶をすすっていた。

変なおじさんだった。
私は、何だか、無性に好奇心をかきたてられた。
変わったもの、変な事には、どうしても首を突っこみたくなる癖があるのだ。
おっさんは、貧乏で、ろくな物を食べていないらしく、痩せこけているのに、
全然、悲壮観がなく、淡々と暮らしていた。
いや、むしろ、そんな生活を楽しんでいる節があった。

金はないけど、仲間がいて、ギターがあって、みんなで歌って、
舞台でスポットを浴び、叫び、呑んで、騒いで、語り合っていた。
平凡なサラリーマンの家に育った、普通の10代の娘には、
「ちょっと面白そうな青春群像」だった。

面白そうだから、ちょっと覗いてみたら、いつの間にか、
おっさんは、「仲間の一人」から「専属コーチ」になっていた。
泥臭い青春のイロハを、私は、おっさんから学び、
手ほどきを受けた。
気がついたら、私は、おっさんの部屋に転がりこんでいた。

おっさんの親が、「けじめをつけろ」と言うので、
私の卒業と就職の半年後、結婚式を挙げるハメになった。
わけがわからなかった。
わけがわからないうちに、妻になってしまった。

しかし、大学の近くに借りた新居は、劇団員たちにとって、
「第2の部室」となり、新婚家庭というのに、いつも誰かしら泊まっていた。
昼も夜も、夫が仕事に出ている時すらも、ヤロウが平気で出入りし、
新妻と芸術談義に花を咲かせていたりした。
色気もヘッタクレもない。
我々夫婦は、「お父チャン」「お母チャン」と呼ばれ、
親もとを離れて一人で暮らす劇団員たちの寮母と化した。
毎日、でっかいズンドウでおかずを作り、「おかわりどうだい!」と、
賄いにも徹した。
いつだったか、人が人を呼び、1DKに30人が、飲み、騒ぎ、
泊まっていった。 床が抜けるかと思った。
アパートの窓ガラスは、湯気と人いきれで、いつも曇っていた。

そのうち、一人、二人と、卒業し、就職し、地元に帰ったりした。
その都度、送別会を開き、鍋を囲んだ。
うるさくて、馬鹿ばかりやっていたアイツラが、バラバラに散っていった。
我が家には、とうとう、私と夫の2人になった。
ズンドウや、特大土鍋では、大き過ぎて、小さい鍋も買った。
―――淋しくなった。
淋しくて、耐えられなくなってきた。

ふたりでいるのもいいけれど、我々は、大勢の中の
「お父チャン」「お母チャン」が居心地よかったのだ。
そんな時、思いついたのが、<「子供」という団員>というのも、「有り」だ、
というアイディアだった。

そして、産んで産んで産んで、また産んで、4人の構成員を確保した。

今、我等夫婦は、彼らの<ホスト・ファミリー>だ。
「アットホームな子だくさん」ではない。
若き芸術家を育てる、養成所であり、そして、その「男子寮」でもある。

「家族」とは何か、なんて、全然わからない。
私は、「お父チャン」と一緒に、彼らにメシをふるまい、
「いってらっしゃい」と言い、「おかえり」を言い、
しゃべって、笑って、ケンカして、同じ屋根の下に眠るのみだ。

すべてが、「面白そうな青春群像」の延長線上にあるのだ。


(おわり)