「 DVD感想文「『家なき子』を見て 」

 昔、テレビでやっていた『家なき子』のアニメの
DVDを、夫が買ってきた。
 全12巻、結構見ごたえのある量と内容で、
子供と一緒に見終わった後、
じわじわと感動が湧き上がってくる秀作だった。

 ものすごく簡単にその話を説明すると、
家も親も無い少年が、
貧しいながらもたくさんの人々と出会いながら
波乱万丈の旅をする、
という、ありがちな筋なのだが、
その細かい内容たるや、壮絶なのだ。
 
 その日の食事と寝床を確保するためには、
ただ働くだけではダメなのだ。
 命がけで仲間と助け合い、
犠牲を払い合わないと生き延びられない。
 一日一日を乗り切ることができない。

 物語は、昔のイギリスとフランスが舞台だが、
生きていく厳しさに関しては、
まったく今この時代のこの国と変わらない。

 働かなければ飢え死んでしまう。
 でも、どんなに働いて
お金や住むところを手に入れても、
それだけではやはり、人間は生きていけない。
 このことに関しては、今、この時代も同じだ。
 ただ、この見せかけの豊かさに、
みな惑わされているだけで、
状況は、何にも変わっちゃいないのだ。

 ただ生きていくだけなのに、
その「生きていくこと」こそが
一番大変な仕事なのだ。
 どんな状況でも、自分に誇りを持ち、使命感があれば、
死んでしまう寸前まで目を輝かせて生きることができる。
 
 自分の持っている「物やお金の量」が問題なのではないのだ。

 この物語の主人公の少年には、
家が無い。金もない。
 ましてや、最新のゲームも無ければ、
塾にもスポーツクラブにも行っていない。

 ないない尽くしの少年だが、
でも実は、家や物以外のものを
全て持っていた少年なのだった。

 一番大事な、「キレイな心」があったのだ。

 少年には、感受性があった。
 育ての親を慕う純粋な心と、
友人のために命を捧げる一途さもある。
 自分を売った憎い男を恨む気持ちもあれば、
それを許す心を育てることもできた。
 本当の親を求め、その愛を求める欲望があった。
 何度もまわりの大人たちに裏切られ、
搾取されながらも、心を失わなかった。 
 だから、少年の周りには、心ある人間が集まり、
困ったときには、彼らに何度も助けられるのだ。

 しかし、少年は、
最初から優れた人間だったわけではない。
 普通の男の子だった。
 貧しい家庭で、育ての母親に、
数年間愛されて育った、という地盤だけがあった。

 その後、心の育ちを見守る「人生の師」に恵まれ、
厳しくも暖かく、そして、命がけで育てられた。
 そして、これから少年の一生を勇気づける、
大切なことばももらった。

 もう絶対立ち直れないような
ひどい過酷な出来事が
次々と巻き起こっても、
そのことばは潰れそうな少年を何度も立ち上がらせた。

 「前へ進め、じゃ!」

 その古いテレビアニメを見ながら、
私は、子どもの目を盗んで涙をぬぐった。
 しかし、同時に子供たちも
涙こそは流さなかったものの、
ひと言も発せず、音も立てず、
画面に吸い込まれたように動かなかった。

 今、世間を震え上がらせるような陰惨な事件や、
日常にあふれかえる、イジメや他人の欠点探しの毎日は、
きっと、世の中が「逆家なき子」状態だからだと思うのだ。

 家も親もある。
 金も物もある。

 ただ、心だけが置き去りにされて、
生ゴミと一緒に街のすみっこに投げ捨てられている。

 今、私は貧しくて、金も物もないけれど、
せっかく生まれたのだから、
心のある人生を生きたいと思うのだ。
 そして、子供たちにも、
そうあって欲しいと思う。

 腹が減ったらパンをかじればいい。
 でも、心を無くしたら、他の何にも埋められない。

 死ぬまでの暇つぶしのような
「物まみれの人生」は、退屈だ。

 死ぬ間際まで心を以って生きる。

 それが、この時代に一番難しく、
そしてゼイタクな生き方なんだと、思うのだ。

(話の駄菓子屋) 2005.1.10. あかじそ作