bU1600キリ番特典 いぷーさん
お題「旅行記」
「 大帰省 」

 夫の田舎は石川県金沢市だ。
 そして我が家は埼玉県。

 三人目が生まれてから、
鉄道での移動が困難になり、
(4歳2歳0歳の号泣大暴れ3男児を
5時間も6時間も公共の乗り物で連れ歩くのは
ボンヤリ夫婦の私たちには到底無理だ!)
ここ数年間は帰省できずにいた。

 そのかわり、夫の母と妹が
5月の連休と夏休み、クリスマスと春休みに、と、
年がら年中、我が家に4泊5日くらいで
泊まりに来ていた。

 しかし、昨春、義母が脳梗塞で倒れて、
左半身麻痺になってから、
我々は孫の顔を見せるために
盆と正月の年二回、
帰省することにしたのだった。

 私の母などは、
「あんたが気疲れするだろうから
年2回の帰省を慣例化するのはどうなの?」
と心配するが、私は、まったく気疲れしない。
 気疲れするとしたら、向こうの家族だと思う。
 はじめは義母の
ハンナリした小京都的嫌味やイジメに
いちいちへこんでいた私だが、
ひとり子供を産むたびにずうずうしくなり、
何を言われても笑いながらキツイ冗談で切り返す
「江戸っ子鬼嫁」と化していた。
 
 金沢滞在中も、
「宿代がタダの家族旅行」くらいに考えている。
 子供たちを、おじいちゃんおばあちゃんに
たっぷり見てもらって、
自分はその間、のんびりと食事を作ったり
後片付けをするだけなのだから、
いつもより楽できるので、
むしろ楽しみにしているくらいだ。

 あれだけ嫌味や皮肉を言っていた義母も
脳梗塞による言語障害で
すっかり言葉数が減ってしまったし、
そのことで落ち込んでいるので、
「弱きを助け、強きをくじく」が信条の私は、
帰省するたび、義母とひざをつき合わせて
悩みを相談したり、
階段に手すりを取りつけたりして、
仲良くやっているつもりだ。

 しかし義母は、倒れる前に、
「長男一家(つまり我が家)には、
金沢に定住してもらう!」と
ずっと言い続けていた。
 私の事情(自分の両親の面倒を見るために
今の土地を離れられないこと)を知っても、
納得できずにジリジリしているのだ。

 お互いニコニコ笑っては、いるが、
義母は、
(うちの長男を返して!)
というセリフを、
私は、
(お宅は、独身の息子や娘が同居しているけど、
うちの親には、私しかいないんです!)
というセリフを、
腹の中にしまっているのだった。

 それを、幼い4人の子供たちの
明るい笑い声に紛らわせ、
微妙なバランスで平和な関係を保っている、という、
実は、「微妙な帰省」なのである。


 そんなわけで、
この正月も帰省した。

 新幹線並びに北陸本線特急のチケットは、
例によって義父が手配してくれた。
 金沢に着いて、
義父に「これ、チケット代です」
と手渡すと、「あ、そうか」と受け取り、
数時間後、「これ、小遣いや」と、
少し上乗せした額を封筒に入れて渡してくれる。
 
 だから、極貧の私たちでも、
年に2回も日本列島を横断できるということだ。

 さて、帰省は、毎年1月2日に出発する。
 その前に家族の健康と安全を祈り、
夫の営む小さなパソコンスクールの
商売繁盛を祈って、
元旦は、一家6人で近所の神社に
初詣することにしている。

 神社の駐車場に車を停めた途端、 
赤青黄色緑の上着を着た4人の息子たちは、
一斉に車から飛び出し、
それぞれ猛ダッシュでお焚き上げ会場に走って行き、
燃えたぎる炎の中に去年のお守りやおふだを
「ター!」と叫んでぶち込み、
「ぼくが一番!」
「いやいや、ぼくこそ一番早かった!」
などと、騒いでいる。
 そして、また、先を競っておみくじを引き、
縁日では、さっそくお年玉を無駄遣いしている。
 私は私で、バーゲンのごとく混雑する中、
必死に並んで今年の新しいお守りやおふだを購入する。
 
 夫は、それを静かに見ながら、
「まず手と口を清めてお参りしましょうよ〜、君たち〜」
と、ぶつぶつ言っている。

 そりゃそうだ。
 一年の計は元旦にあり。
 元旦から蜘蛛の子散らした騒ぎじゃあ、
神様仏様もあきれてしまうだろう。

 私たちは、一応家長であるボケ父ちゃんに従った。
 お賽銭を子供たちに配ろうとすると、
「自分のお金じゃないとダメな気がする〜」
と言う者あり、
「え〜、神社の人にぼくのお金あげるのヤダ〜」
と言う者あり、
「自分で出す」と言いながら、
1円玉一枚というしょぼいヤツもいる。
 同じ親から生まれたというのに、
どうしてこうもみんな似ていないのだろう。

 顔も性格もみんな違う。
 長男→夫の父似→クソ真面目
 次男→妻の父似→おっぺけぺ
 三男→妻の母似→すぐブチ切れ
 四男→夫の母似→超神経質

 他人。
 元は、といえば、みな他人の四人が、
一旦夫や私の中でブレンドされた後、
「やっぱ、一緒にはなれません」
と、遺伝子が離散した結果、この始末だ。

 「遺伝子ブレンド失敗生命体」の私たち夫婦は、
まとまりの無い4兄弟を必死にまとめ、
次の目的地に連れて行く。
 「血の呪いか?」
とふたりでつぶやきながら、向かうはスーパー。

 子供たちの道中のお菓子を買い出す。
 新幹線は、大宮から越後湯沢までで、
1時間もかからないからアッという間だが、
北陸本線は4時間近くただじっと座っているわけで、
子供だけでなく、大人でも、
オケツが痛くなるし、暇だし、
口淋しいし、とにかく時間を持て余すのだ。

 さて、家に帰ったら一家6人分のペットボトルに
お茶をいれる。
(夏の場合は、冷凍庫に入れて凍らす)
 それぞれの着替えとお菓子を
各自、リュックに詰め、
明日着ていく服を一式出しておく。

 一番下の4歳児の着替えは、
夫のバッグに詰める。
 まだ時々チビル上、ちょっと汚れただけで、
「きたない〜! きがえる〜!」
と、神経質に大騒ぎするので、
小さい服だが多めに用意する必要がある。

 私は、物凄い肩こりで、
リュックの荷物が多いと具合が悪くなるので、
なるべく最小限の荷物を心掛けているのだが、
なぜか、年に2回の帰省中は、
毎回ドンピシャに生理大爆発中なのだ。
 生理用品数日分となると、物凄くかさばるために、
いつもは、高くて買えない「超薄型」を仕方なく買い、
また、旅先で「布団に粗相」は、絶対避けたいため、
「夜用超ドデカいヤツ」も数枚携帯することになる。

 最近の夜用ナプキンは、
アカンボのオムツみたいなものや、
お尻を丸々包むパンツ型まであり、
オムツ化に拍車がかかっている。
 生理用品と育児用品と介護用品が、
互いの長所と短所を補い合って、
みんな同じ方向へと進んでいくようだ。
 「手間なし! 安心! 目立たない!」

 しかし、実際、夜用生理パンツって、
どんな使用感なんだろう?
 「おならと思ったら身が出てもうた」
みたいなのも「もれずに安心」なのだろうか? 

 (ああ、しょうもない考察ばかりしていて、
時間ばかりがどんどん過ぎていく!)

 少しでも荷物を減らさねば!
 (しかし、子供のオムツが要らなくなったと思ったら、
今度は、自分のオムツ持参とはね!)

 4人の子供たち全員、母乳100%だったので、
今や私の乳は「イカの一夜漬け状態」で、
ブラジャーは、あまり意味を持たない。
 肩がこるだけなので、本当は、したくない。
 しかし、夫の家族の前でノーブラは、
(相手が)キツイと思い、
日数分のブラも持っていく。

 半端でなく寒がりの私は、
雪国金沢に行くためには、
極厚ソックスや使い捨てカイロは必須アイテムで、
まだまだ荷物は増える一方だ。

 そんなこんなで、
かさばる荷物ばかりを詰めた私のリュックは、
すぐにパンパンになり、
あっちに着いてから
「あ、ブラシが無い、化粧水が無い」
ということになる。

 無意味な「カパカパブラ」でイカ乳を隠し、
馬鹿でかいナプキン装着で「万全な下半身」なのに、
顔は「カピカピに乾いたスッピン」だったりして、
私個人の準備はまったくなってなかった。

 自分の準備を忘れるほど、
私は、切羽詰っているのだった。
 ただぼ〜っと突っ立ってるだけの夫と、
多動児の三男、所構わず大暴れする四男を、
長男(小6)次男(小4)と協力して、
無事金沢まで引率する大事業に挑むのだから。

 大宮では、まず改札に乗車券1枚を入れ、
次に、新幹線乗り場では、
乗車券と新幹線の切符を合わせて2枚入れ、
越後湯沢では、北陸本線の特急券を加えて
各自3枚改札を通す。

 各自に切符を持たせたら、
絶対失くすに決まってるので、
切符は、私が常に持っていて、
随時全員に配布することにしている。

 大人2人、小学生3人分、
改札で仕分けて、配って、改札通って、集める。
 乗り換えのたびに、改札の隅で、
仕分け、配布、収集、仕分け、配布、収集、である。
 おまけに、4歳の四男も
切符を機械に入れたがるので、
私と一緒に改札を通り、私の分を入れさせる。

 忙しいのだ!
 めんどくさいのだ!
 乗り換えのたび、
めちゃめちゃ忙しくて、めんどくさいのだ!

 蜘蛛の子散らすような動きの
4人の子供たちを、はぐれさせずに
遠距離誘導するのは、至難の業なのだ。 

 吹雪の越後湯沢駅・乗り換え時間5分、
なんて時は、
私は、完全にパニックになってしまい、
「走れ〜! 階段昇れ〜! お母さんからはぐれるな〜!」
と絶叫しながら、ホームを移動し、
改札では、超音波の悲鳴をあげながら、
仕分け! 配布! 収集! 仕分け! 配布! 収集!
を、ひとりでやっている。

 そんな中、夫は、
子供たちを置き去りにして
小走りで一番先に改札を抜け、
「ハイ!」なんて言って、
私に切符を渡してくる。

 アホか!
 お前も引率するんだよ!
 改札の向こうで、
よその人たちに押しのけられて、
どんどん違う方へ流されている、
あの子供たちは・・・・・・、
あんたの子供と違いますか!?

 「ママ、ぼくがんばってついてきたよっ!」
みたいな顔して切符渡してる場合じゃねえぞ、
このじじい!

 まったくあてにならないアホだ。
 
 さっき、大宮でトイレタイムをとった時も、
「俺はいい」
などと、ぶっきらぼうに言っておきながら、
新幹線に乗る間際になって、
ウンチをしに行ったままトイレから出てこないし、
まったく、ほんとに、「何じゃコイツ!」
 ・・・・・・という感じだ。

 まあ、今回、「オヤジの足引っ張り」は、
経験上計算に入れていたので、
「ケッ!」とイチベツするにとどまった。

 北陸本線「はくたか」に乗り込んだときには、
ホッと安心し、長男、次男とハイタッチした。

 あとは、雪をいただいた日本アルプスや、
風雪吹きすさぶ冬の日本海の荒波を横目に、
お菓子や弁当をむしゃむしゃ食べてりゃあ、
金沢に着くわけだ。

 やれやれ・・・・・・。

 座席に子供らを振り分けて、
自分も「よいしょ〜」とご機嫌に着席すると、
窓の外には、豪雪に埋もれた新潟があった。

 あの地震で家を失った人は、
このすさまじい寒さの中、
プレハブで冬を越している。
 毎年雪降ろしをしていた神社仏閣に、
半壊全壊の家の上に、
積もるがままに数メートルの雪の塊が
どっしりと乗っかっている。

 いつ雪の重みで潰れるか分からないから、
近寄れないのだという。
 除雪したところで、
街に排雪する機能が失われたままなので、
除雪できないところもあるという。

 大事な家族を失くした上に、
この手付かずのドカ雪は、
どれだけ人々の気力をそぎ落とすのだろう。

 私は無力だ。
 手助けしたいのに、手も足も出ない。

 そのとき、夫が、通路越しに私に話しかけてきた。

 「俺の教えてる生徒さんの中に、
実家が被災した人がいてさ。
 年取った母親は、
弟夫婦と暮らしているんだけど、
その家が、倒れるんじゃなくて、
全体的にずしっと沈んだんだって。
 安全なのかどうなのか分からないのに、
弟は、水道工事の業者だから、震災後、
復興に向けて外に出ずっぱりで、
奥さんは、市役所に勤めてて、
やっぱりいろんな作業に追われて帰れない、
ってんで、その生徒さんが母親を引き取りに行ったらしい」

 「大変だあ・・・・・・」

 「で、そのとき、
その人が地元で見た光景なんだけど、
すっかりボケていた元消防団のおじいちゃんが、
忘れてた使命感が震災でよみがえったらしくて、
突然、みんなに的確な指示出し始めたんだって」

 「すごいじゃ〜ん!」

 「もう、いまや、地元ではカリスマらしいよ」

 「カッコイイ〜ッ! ええ話や〜!」

 私は、ドカ雪を前に、
自分の無力さに途方に暮れていたのだが、
事実は小説より、推測より、
同情より奇なり、であった。

 阪神淡路大震災から10年たったが、
いまだに人知れず助けを必要としている人もいる。
 何年経っても、手当ての必要な傷がある。

 あきらめないで、あせらないで、
末永く、細々と、生涯を通して、
自分のできることをやっていこう。

 ライフワークにしよう。

 明るい気持ちになった。
 車内放送で「次は金沢です」と流れ、
子供たちに上着を着るように、
リュックを背負うように、と号令をかけた。

 金沢駅の改札では、
小柄でかわいい顔、キレイな白髪頭の
夫の父が待っていた。
 静かにポケットに手を入れ、
孫たちにワアッと囲まれて、
ニコニコ笑ってうなづいていた。


 そして、1月4日。

 二泊三日はあっという間に過ぎ、
また駅まで車で送ってくれた義父は、
車中、夫の
「直腸癌の術後の経過はどうなの」
という問いに、
「ダイジョブや」
と軽く答えた。

 夫は、義母に聞いていたらしい。
 義父の癌が、肝臓に転移していて、
昨年の10月に手術したこと。
 今月中旬に2回目の手術をすることを。

 義父は、車を運転しながら、夫に、
「タッチャンも、
家族をしっかり養わんといかんよ。
 ワシも年金暮らしで、
もうあまり当てにならんよ。
 がんばって養うんやぞ」
と、これまた、ライトタッチで言った。

 「はあ・・・・・・」
と、覇気の無い返事をした夫に、
私は、(ちゃんとはっきり返事しろや!) 
と、いらいらしていたのだが、
実は、夫なりに胸を詰まらせていたのだろうか?
 それとも、やっぱり
いつものボンヤリだったのだろうか。

 きっと、大騒ぎで帰省できるうちが
幸せなのかもしれない。
 「帰っておいで」と、
両手を広げて待っていてくれる人がいるなんて、
半端じゃなく幸せな環境じゃないか。
 その幸せを失う前に、幸せの渦中で、
このことに気付くことができたことは、
本当にラッキーだったと思う。

 大帰省。
 毎年、正月とお盆に繰り返される
民族大移動。

 私は、東京出身で、子供の頃から
テレビの帰省渋滞のニュースを見ながら、
「みなさん、ご苦労さんなこったね!」
と同情していたが、
物凄い労力と大金をはたいても、
行って、そして、帰ってくるだけの価値がある旅、
それが帰省なのだ、と、
帰省を体験してみてはじめて知った。。

 帰省・・・・・・
それは、ハッピーラッキートリップなのだった。


      (了)
(しその草いきれ)2005.1.18.あかじそ作