「 四男入院顛末記 」

 早生まれの四男が、幼稚園に入園して早や11ヶ月、
やっと2月生まれの自分の「お誕生会」の番が
やってこようとしていた。
 お友だちは、どんどんお祝いされていくのに、
どうして自分はいつもお祝いされる番にならないのか、
と、毎月泣いて先生や私を困らせていたが、
何とか2月まで待ちぬいて、
いよいよ自分の祝われる番が
今週末にやってくることになっていた。

 その週の月曜日の晩、
四男は38.7度の熱を出した。
 前の週に夫が風邪で発熱し、
夫と同じ部屋で寝ている私とツヨシは、
もろウイルスをうつされたようだ。
 ふたりとも、ここのところ
何となく調子が悪かったのだ。
 夫も、何とか感染を防ごうと、
寝るときはマスクをしていたが、
私が夜中にちょっと見たら、息が苦しいのか、
思いっきりマスクをアゴにずらして寝ていた。

 さて、月一ペースで熱を出す四男に、
いい加減慣れてしまっていた私は、
「じゃあ、今週金曜日のお誕生会に行けるように
しばらく幼稚園を休もうね」
と、子供に言い、火水木、と三日間休ませた。
 その間、昼間37度代、夜38度代、というのを
ずっと繰り返していた。
 熱はあるが、四男は至極元気で、
「この調子なら大丈夫だな」
と、医者にも行かなかった。

 さて、肝心のお誕生会のある金曜日の朝、
熱を測ったら36.9度だった。
 微妙だったが、午前中のお誕生会だけ出て、
後は早退させるつもりで登園させた。

 お誕生会では、
その月生まれた子のお母さんが教室に招かれ、
祝われる子供は、お友だちが作った王冠や、
先生が作った手の込んだ大きな立体カードを受け取り、
みんなにいろいろ質問されたり、
ハッピーバースデイの歌を歌ってもらったりして、
その日だけは、完全に主役になれるのだ。

 四男は、待ちに待った主役席で、
くすぐったそうに笑ったり、
時々立ち上がってピョンピョン跳ねたりして、
かつて無い興奮に打ち震えていた。

 さて、お誕生会はつつがなく終了し、
では、お母さんは帰りますよ、というとき、
四男は、「ぼくも帰る」と断固として言い切った。
 頭を触ると少し温かかったので、
大事をとって早退させることにした。

 帰り道、子供を自転車の後ろに乗せて
せっせと大通りを走っていると、
感慨深さで胸がいっぱいになった。
 長男が幼稚園の時は、私もまだ20代で、
鼻歌交じりで自転車をこいでいた。
 前の幼児椅子には、3歳児、後ろの椅子には5歳児、
背中には1歳児を負ぶってはいたが、
必死ながらも、ペダルは軽かった。
 
 いまや40代目前で、
同じ道なのに息が上がって鼻歌どころではないが、
あの頃の必死さは消え、
幼児と暮らす楽しさをかみしめている自分を感じた。

 子供も私も何となく興奮して、
「兄ちゃんたちには内緒でファミレスで昼ごはん食べようか?」
ということになり、そのまま店に入った。

 はじめは、普通にお子様ランチを食べていた四男は、
急に、「頭痛い、もう帰る」と言い出した。
 私も、やっぱりまだ風邪が治りきれていないのだな、
と思い、私が残りをパッパと掻きこんで、その店を出た。

 家に着き、子供を部屋に入れると、
いきなり物凄い勢いで泣き出した。
 頭が痛い頭が痛い、と大騒ぎだった。

 私は、台所で氷枕を用意して、子供の方に行くと、
子供は、もうすでに眠っていた。
 いつもは寝つきが悪いのに、よっぽど疲れたのかな、
と、静かに頭の下に冷たい枕を入れてやると、
いつもは嫌がるのに、まったく反応が無かった。

 それから1時間ほど、ぐっすり眠っていたかと思うと、
突然起き上がり、物凄い量を吐いた。

 高熱、頭痛、嘔吐。
 私は、数年前自分が同じ症状で「髄膜炎」と診断され、
生死の境をさまよったのを思い出した。

 「まずい!」

 すぐにかかりつけ医に電話したのだが、
ずっと話し中で電話に出ない。
 子供たちが学校から次々帰ってくる中、
「ちょっと留守番していて!」
と言い残し、四男を毛布でくるんで負ぶい、
直接医者まで駆け込んだ。
 普段、予約の人以外は診てもらえないが、
あまりに私が切羽詰った態度だったので、
すぐに先生に診てもらえた。

 先生は、一通りの診察をすると、
奥の部屋で点滴を受けていくように言った。
 点滴が始まったのが午後4時で、
終わったのは8時だった。
 その間、いつもチョロチョロしているツヨシが、
ずっと意識モウロウで、
何の受け答えもしてくれないし、
顔にまったく表情が無くなっていた。
 かと思うと、急に体を起こして、
猛烈な量の吐しゃ物をぶちまけた。
 そして、すぐに白目を剥いて、眠ってしまうのだった。

 先生は、
「髄膜炎の所見は無いけど、白血球が減りすぎてる。
この衰弱では週末家に置いておくのはまずいなあ」
とつぶやき、明朝一番に予約を入れてくれた。
 
 その晩は、そのまま連れて帰ったが、
抱いていた子供を、家の茶の間にそっと置くと、
そのまままったく動かず、
ただ倒れているだけだった。
 アニキたちが何を話しかけてもまったく無反応で、
しかし、「眠っている」というのとはまた違う、
見たこともない状態だった。

 怖いほど静か過ぎて、
生きている気配さえ失っていた。

 四男は、結局、翌朝まで無反応で眠り続け、
翌朝の診察では、即断で「入院だな!」と言われた。

 1回家に帰り、入院のしたくをしたのだが、
「バスタオル3枚フェイスタオル5枚持ってきて!」
と私がいうと、
小6の長男は、ただオロオロとその場をくるくる回るだけで、
何をどうしていいのか分からないようだった。

 「○○(四男)の肌着とって」
と、小4の次男に言っても、
四男を一番可愛がっている次男は、
床に突っ伏してわんわん泣くばかりで
使い物にならなかった。

 「じゃあ、あんた、持ってきて」
と小2の三男に頼めば、
「○○(四男)死んじゃやだ〜!!!」
と半狂乱で駆けずり回っていて、聞いちゃくれなかった。

 「死なないで!」
と、叫びたくなるほど、
本当に四男は、グンニャリして、
生き物の気配を失っているのだ。
 
 私も怖くなって、
「だいじょぶだから! すぐ治るから!」
と、子供たちに言いつつ、
震えながら衣類をバッグに詰めていた。

 父に車を出してもらって、
かかりつけ医にもらった診断書を持って
入院施設のある大きな病院に駆け込んだ。

 「どうしてこんなになるまで放っておいたの!」

 医者に叱られたので、素直に「すみませんでした」と謝った。

 とにかく点滴だ、ということになり、
看護士たちが四男を暴れないように板にくくりつけ始めた。
 「この子は暴れません」
 私は、部屋を出て待つように言われたが、
そのことだけは言っておきたかった。

 四男は、今まで一度も注射で泣いたことはないし、
怪我で頭を5針縫ったときも、
水いぼを麻酔無しで数十個摘み取ったときも、
脱力したまま目を見開いていた、侍みたいな男なのだ。
 しかし、今、彼は、単なる一幼児として目を閉じ、
なされるがままに縛り付けられていく。
 この子がこの子ではなくなっていくようで、
胸が潰れそうだった。  

 検査の結果を待ちながら点滴を受け、
奥のベッドで寝かせてしばらく様子を見ていた。
 四男は、いつも具合が悪いとき、
私の人差し指と中指を握って眠るのだが、
今、私が四男の手を握っても、
その小さな手は、握り返すどころか、
するりと私の手の平からすべり抜けて、
白いシーツの上にパサッと落ちるのだ。

 「○○、ダイジョブ?」

 何度も話しかけたが、返事は無かった。
 意識があるのか無いのか、
この小さな生命体は、自らの身を守るため、
活動を最小限に抑えているようだった。

 (どうしようどうしようどうしよう)

 混乱していると、担当の医者が来て、
「通院か入院どちらか選べますが、
この衰弱だと通院は厳しいと思いますよ」
と言った。
 私は、立ち上がって、
「入院させてください! お願いします!」
と頭を深く下げた。
 「そうですね。数値的にもかなり良くないので、
その方がいいですね」
と言って、医者もすぐ入院の手続きをしてくれた。

 正常であれば、尿から排出されることのない
「ケトン体」というものが出ているのだという。
 つまり、体が飢餓状態で、
もう体内にエネルギーに変換できるものがないため、
非常手段として、平常分解しないものを分解し、
エネルギーに変えようとしている状態。
 そのときに排出される有害物質が「ケトン体」だ、
と、簡単に説明された。 
 「ケトン体」が出始めると、
自家中毒の症状が出て、胃腸炎も起こしやすいらしい。

 思えば、いつも小食で、
食事も食べたり食べなかったりなので、
この一週間の食べなさ加減も気にしていなかったが、
実は、危機的な飢餓状態だったとは・・・・・・。

 そういえば、長男が5歳で入院したときも、
同じ様なことを言われた覚えがある。

 ああ、またやってしまった。

 体の弱い子どもたちを育てていくうちに、
ちょっとやそっとではビビらないようになってきたが、
「大丈夫」と「大丈夫じゃない」の見極めは、
いまだに難しい。
 今元気だったのに、次の瞬間、意識を失っている。

 のんびり暮らしていながらも、
 「普段」と「普段ではない」瞬間の変わり目に
すばやく気付けないと子の命は守れないのか。

 入院して2日間、
ツヨシは、相変わらず眠り続けていた。
 抗生物質も点滴していたが、
熱は、なかなか引かなかった。

 病院の決まりで、
保護者が付き添うことになっているので、
私がずっと一緒に泊り込むことになり、
家に取り残された子供たち3人は、
近くの実家が面倒を見てくれることになった。
 普段、夫婦ふたりで気楽に暮らしている両親は、
突然やってきたオスガキどもを満腹にし、
週末の大量の洗濯物に大わらわとなった。

 夫は、土曜も日曜も無い仕事で
朝から深夜まで出ずっぱりなので、
実家に頼るしかなかったのだ。

 しかし、そういう留守宅のドタバタに気が回らないほど、
そのときの私は、切羽詰っていた。
 もうすぐ三昼夜になる、ツヨシのグッタリ状態。

 夜中に何度も、看護士がこの子の熱を測りに来て、
首をかしげて去っていく。
 そういえば、長男の入院の時は、
いきなり大部屋だったのに、
今回は、個室で、点滴も、もの凄く本格的な機械だし、
かなり厳しい「要安静状態」らしく、
シビンとオマルが部屋に用意されたのだ。

 このまま、動かなくなってしまうのか?
 このまま、居なくなってしまうのか?

 私は、そっと携帯のデータファイルを開けてみた。
 4人の息子たちが並んで写る写真が
いっぱい入っている。
 この四男を産む前は、
子供を4人持つなんて信じられなかったし、
4人も男児を育てるなんて、
私のようなノロマには、到底無理だと思っていた。

 しかし、今の私には、
この子が居ない生活に戻ることは、
もっと無理なことになっている。

 (死なせちゃいけない!)

 私は、四男の頬を手の平で包んで、
この子の好きな歌をいろいろ歌ってみた。
 無反応だったが、頬は、温かい。

 アンパンマンの歌を歌っていると、
手の平が少し、こそばゆくなった。
 ふと、手の平を見ると、
四男のくちびるが少しだけ動いて、
私の手の平にかすかに触れていたのだ。

 この子は、アンパンマンを歌おうとしている。

 私は、四男の耳元で何度も
アンパンマンの歌を歌って、頬をなでた。
 自分の頬を、四男の頬にくっつけて、
「おーい、○○く〜ん」と呼んでみた。
 消灯後の薄暗い中で、ずっと、
「おーいおーい」と呼んでいた。

 帰っておいで〜!
 こっちにおいで〜!
 母ちゃんとまた歌おうよ〜!
 にいちゃんたちも待ってるよ〜!


 深夜、眠っていた私の顔を、
バシバシ叩く人がいた。
 暗い中で目を凝らすと、
ベッドの上に四男が立ちあがって、
「オカーチャン、オチッコもれるよお!」
と、跳ねている。

 「えええええっ!」

 私は、真っ暗な中飛び起きて、
シビンを子供のチンチンに当てた。
 物凄い勢いでおしっこが大量に出てきた。

 「これ、取りたいよ〜!」
 寝返りで体に絡まりまくった点滴の管を、
イライラしながら引き抜こうとしている。

 「あ〜、ダメダメダメダメ! 
抜いたら血が全部出ちゃうよお!」

 私は、四男に絡まった管を恐る恐るほどいていった。

 ああ、気がついたと思ったら、
いきなりピチピチなのである。
 
 意識が戻れば、いきなりゴウゴウなのである。

 翌朝、最後の抗生物質が投与された後、
点滴は外された。
 食事もそこそこ食べるし、トイレにも自分で行った。
 すぐに大部屋に移され、
にぎやかな見舞い客のおばあちゃんの世間話に
長々と付き合うことになった。

 その翌朝。
 回診に来た担当医が、あっさり、
「はい今日退院」
と言って去っていった。

 早!
 回復、早!

 いやいや、これでも、四男の体の中では、
生きるか死ぬかの葛藤があったんだから・・・・・・。

 それにしても、
いきなりぐったりして、いきなり治るなんて!

 子供は、ニコニコ笑っているが、
私も、じじばばも、グッタリ。
 まあ、よかったよ、治ってくれて。
 それが一番だよ・・・・・・

 昼前、会計係から部屋に請求書が届けられた。

 【40,360円也】

 退院の連絡を受けて、父が迎えにきてくれた。
 一時、入院費を借りることになっていたのだ。

 「じゃあ、5万円渡しとく!」

 父は、病室で私にお金を押し付けた。

 「いやいや、じい、4万借りれば足りるわ」

 私が言うと、

 「だめだ! 『5万渡せ』ってばあさんに言われてるんだから」

 父は譲らない。

 「いやいやいやいや、余分に借りるのイヤだからさあ、
4万だけ貸しといて」

 私が言うと、

 「だめだ〜! 5万渡せって、ばあさんに言われた〜!!」

 と、でっかい声で父は叫ぶ。

 病室にいる数人の大人たちは、
突然の金の揉め事に息を詰めて注目してきた。
 私は、恥ずかしくなり、小さい声で、

 「じい、4万で足りるんだ、4万借りるね」

 と、また言うと、父はことさら声を大きくして、

「い〜や〜だ〜! 5万渡せって言〜わ〜れ〜た〜!」

 と、叫んだ。

 「じい、シイッ! あのね、もういいから、静かにね・・・・・・・」

 「ヤダヤダ〜! 5万渡せって〜、

 言〜〜〜わ〜〜〜れ〜〜〜た〜〜〜!!!」

 「じい、わかった、わかった。5万借りるから借りるから!
 だからお願いだから、静かにして!」

 父は、やっと落ち着いて、にっこりした。

 (アホや、こいつ〜!)

 子供の入院で精一杯だった私は、
この一件で
「実父」という大きな子供の面倒をみるという使命を
やっと思い出した。

 かくして四男は無事退院し、
我が家に帰還した。

 そして、私のこの複雑な疲れは、
この後、数日間、ドッと出続けることになる。


  (了)

(子だくさん) 2005.3.1. あかじそ作