「 私という老人 」

 私は、いつの頃からか、
「自分の最期のとき」を想定して生きていた。
 寝たきりの布団の中での最期の気持ちを想像し、
その回想の中の「若い頃」として、
今を生きるようになっていた。

 20代、子供も幼く、必死に暮らす日々。
 30代、夫や子供との関係に悩みつつも、
前向きに生きている、という日々。
 そして、これから私は、運が良ければ
40代、50代になっていくのだろうが、
過ぎたことにしろ、これからのことにしろ、
何か、いつも私の周りには、霞がかかっていて、
太陽の光線が私に向かって直射してはいないような
感覚がある。

 頭がすっきり晴れることがほとんどなく、
いつもぼんやりした中で、
正体のわからない激流に飲まれたり押し出されたりして、
いつも自分の座標がつかめずにいる。

 一体、私は、今、本当に生きているのだろうか?
 本当は、人生末期の私が見ている夢の中の思い出の
「一登場人物」に過ぎないのではないか?

 自分の人生が
現実ではないことのように感じることもあるし、
自ら動こうと思っても、
まるで誰かに動きを制限されているかのように、
決まったパターンでしか動けない。

 もしかして、私は、老人そのものなのかもしれない。
 自分で身動きひとつできない、
最期の時を待つ老人なのかも・・・・・・。

 30代の私は、もはや、どこにも存在せず、
老人の私の回想でしかないのか?
 誰にどう命令されたわけでもないのに、
晴れぬ心で誰かの人生をなぞるような生活は、
やはり、その何よりの証拠なのだ。

 しかし、そんな実感の無い生活の中で、
私は突然、現実にひきもどされることになった。

 吐き気と眠気。
 医者に行ったら妊娠だと告げられた。
 40を目前にして、あきらめていた第2子の妊娠だった。

 夫や高校生の娘は、
見たこともないようなはしゃぎようで、
申し訳ないくらいに喜んでくれている。
 私は、というと、医者に「おめでたです」と言われた瞬間、
心にずっとかかっていた霞が、一瞬で晴れて行くのを
実感してしまった。

 高齢出産だから、
自分の体にもハイリスクだし、
障害児が生まれる確立も、若い時と比べるとずっと高い。
 しかし、今の私には、
何が起きても甘んじて受けとめる覚悟があった。

 子供が障害を持って生まれてこようが、
流産や死産だろうが、自ら死んでしまおうが、
今、この瞬間、
自分が生きている実感をぐんぐん感じることができる、
このことが何より嬉しかった。
 これだけで、もう充分、幸せを味わわせてもらった。

 自分は、存在している。
 確かに生きている。
 心が、まだ動く。

 真冬だった心に、突然明るい日が差して、
春一番が吹き荒れ、
重い雲を全部すっとばしてくれたようだった。

 なんだったのだろうか?
 この突然の季節変わりは。
 医者に言わせれば、ホルモンの変化だというが、
あの長く私を覆っていた暗雲は、
更年期の前兆というものだったのか?

 今、私は、シミやしわの目立ち始めた顔に化粧を施し、
真新しい母子手帳を受け取ってきた。

 私という老人よ。
 今、布団に横になり、
私を「よき思い出」として操縦している老女よ。

 今、私は、反乱を起こした。
 私は、あなたの昔話ではない。
 今を自分の意思で生きている、生身の女なのだ。

 「いい思い出を作ること」だけに生きるのは、やめて、
ハチャメチャでもいいから、今を生きてやる。
 「思い出作り」の人生なんて、つまらない。
 次の瞬間死んでも後悔の無い、最高の今を生きてみせる。

 実感の無い、
記念写真の中のような生活は、
今日で終わり!

 私は、母子手帳の表紙に大きく名前を書いた。
 ビニールのカバーがキラリと太陽光を反射して、
私の目を刺した。

 まぶしい!

 今まで気付かなかったけれど、
やっぱり太陽の光は、私にも降り注いでいたのだ。


      (了)
(小さなお話) 2005.3.15. あかじそ作