「 カンテを聴いて 2 」

 昨年に引き続き、
お友達のフラメンコ歌手・ナランヒータさんのリサイタルに行ってきた。
 前回は、初めて生でフラメンコを聴いたため、
ただただ、その迫力に、呆然として帰ってきた感があるが、
今回は、ちょっと違った。

 私のように、日本で、日々、家事育児に明け暮れ、
生活の糧を稼ぐことに終始している者には、
このフラメンコの世界は本当に縁遠いもので、
その感想を語るには、あまりにおこがましく、
ものすごくトンチンカンなことを言いそうだが、
「ど素人」だからこそ、純粋にビックリしたことも多いので、
生意気にもまた感想を書き、
ナランヒータさんに送りつけてしまうという暴挙に出ることにした。

 リサイタルが始まってすぐに、
やっぱり、ナランヒータという歌手は凄い人だなあ、と感じ、
また、木南利夫さんのギターの音にも聴き入ってしまった。
 歌がうまいなあ!
 ギターがうまいなあ!
 そう思ったのははじめの一曲のみで、
次の曲からは、ただ、
「凄い!」としか思えず、口をポカンと開けて聴き入るしかなかった。

 2曲目の「カンティーニャス」という曲は、明るい曲で、
寂しがり屋で哀しがり屋な私には、ほっとするものだった。
 歌手ナランヒータの表情には、
人間の底辺に流れる本当の哀しみを知り、
折り返してきた者にしか浮かべることしかできない笑顔があった。

 私には、まったくスペイン語がわからないし、
彼女が生きてきた道のりも知らない。 
 しかし、この表情とこの歌声、この手拍子で、
彼女の背景にぼんやりと映像が浮かんできて、
これはただの歌ではなく、人生の発露の瞬間なのだと知った。

 そう思うと、もう、
歌を聴く、ギターを聴く、
という心の構えは消え去り、
この場に居ることがもう、フラメンコなのだ、と思ったのだ。

 曲目が進んでいくにつけ、会場のそこここから、
手拍子足拍子、「オーレィ」という掛け声が響いてきて、
私だけでなく、
周りにも「フラメンコになっちゃた人」が大勢居ることに気がついた。

 途中、みんなでイースターをお祝いしましょう、ということで、
ろうそくに見立てた蛍光の棒を振ったのだが、
急に恥ずかしくなってしまった私は、
手元で小さく黄色い棒を振っていると、
一緒に来た、普段物静かな、いとこのhanaが、
何を思ったか、頭上で激しく光る棒を振りまくっていた。
 私は、その光景をほぼ白目状態の横目でちらちら見ていたのだが、
後半、hanaが前のめりになって、曲に合わせて激しく体を揺すり、
ノリノリになっているのを見て、
こいつの血も相当熱いな、
フラメンコ恐るべしだな、と、
今さらながらいたく実感したのだった。

 ギターが、若い牧野貴史さんに交代すると、
気のせいか、ナランヒータさんの歌は、
弟を包み込むような慈悲深い響きを放ち始めた。
 先ほどの木南さんの時は、
ギターに身を委ねるようにも聴こえた歌が、
今度は、大地のような大きさでギターの音色を包んでいた。

 (包みたくもなるよなあ、可愛いもの、彼)
 母性本能をくすぐり倒すような彼の魅力は、
まるで、若葉のようなみずみずしさで、
今でも当然すばらしいギターではあるが、
もっともっと大きく伸びていく若く柔らかい木を感じさせるものだった。
 前にも書いたのだが、ギターをかき鳴らしながら
あんなすがるような目でじっと見つめられたら、
どんな女でも、確実にとろけてしまうってば!

 ・・・・・・おっといけない・・・・・・
 また変なスイッチが入ってしまうところであった。

 最後の2曲は、
また、木南さんのギターでナランヒータさんが歌ったのだが、 
あちこちの秘功を突かれてしまった私は、頭がぼんやりしてしまい、
自分がどこにいるのか、今、何をやっているのか、
わからなくなってしまった。
 舞台上には、直径3メートルもある大きなマリーゴールドの花が咲き、
グルングルン回っているし、さっきからずっと3拍子の地響きがしている。
 ハッと我に返ると、その大輪の花は、ナランヒータさんそのもので、
歌もギターも聞き分けられないほどに一体となり、
ひとつの何か凄い現象となって私たちを掴んでいるのだった。
 さっきから、がたがた地面が揺れているのは、
会場のみんなが、足を床に打ち鳴らしていたからだった。

 幻覚が見えるほど酔ってしまったのは、私だけではないようだった。
 最後に、ナランヒータさんの生徒さんや、ギターの木南さんが
フラメンコを踊り始めたのを見て、
私のすぐ後ろのおじさんも激しく「トゥルルルヮ〜♪」などと、
意味不明の掛け声をひっきりなしにかけているし、
会場のそこここで体をむずむずさせて踊りたがっている人たちが見て取れた。

 凄いんだなあ、フラメンコって・・・・・・。

 日本でフラメンコといったら、みんなすぐにダンスの方を思い浮かべて、
歌やギターは「伴奏」だと思っている節があるけれど、
本当は、そうではないんじゃないのか?
 歌があって、ギターがあって、何か大きな凄いうねりが生じ、
誰も彼もが、体がむずむずしてきて、
そして、ついに辛抱たまらず、
フラメンコダンスを始めちゃったのではないのか?

 かねてから、「フラメンコは、まず歌ありき」と彼女に聞いてはいたが、
今回、私は、それを理屈でも説明でもなく、
現象として目撃してしまった。

 ナランヒータさんは、
まだフラメンコに対して理解の浅いこの日本の地で、
業界の人たちだけにではなく、
むしろ、私たちのような日常を必死で生きている普通の人たちに、
この現象を、体験させるべき使命を負っているのではないか?

 「どうだ、私のフラメンコは凄いだろう? 参ったか?」 
という自己満足型リサイタルではない、あなたのフラメンコを、
これからもどんどん推し進めていただきたいと
切に、切に、お願いしたいと、思う。

 そして、私自身も、その過程をしっかり見届け、
「今は昔、ナランヒータというフラメンコ歌手ありき・・・・・・」
と、語り部のように孫ひ孫の代まで語り継ぎたいと思う。



        (了)



(しその草いきれ) 2005.3.29. あかじそ作