みしゃさん 74100キリ番特典 お題「じじじそ」
「 ジジーシッター 」

 母親に依頼されて子守りをするのを「ベビーシッター」というのなら、
母親に頼まれて父親をおもりするのを「ジジーシッター」というべきだろうか。

 父が退職したのをきっかけに、私は、両親に提案した。
 「将来面倒をみるからそばに引っ越しておいでよ」と。

 本来、海辺で釣り三昧か、街でパチンコ三昧、
あるいは、一杯飲み屋で飲兵衛三昧の父を、
田園風景の広がる埼玉の、のどかな町に呼び寄せたということは、
どこかにしわ寄せがくるとは思ってはいたが、
まさか、この私が、あの父をおもりする日々を送ることになるとは、
夢にも思わなかった。

 最初のうちは、まだよかった。
 連日連夜、父と母は、大型スーパーに連れ立って出かけたり、
居酒屋で仲良く飲み歩いたりしていたのだ。
 しかし、勤めが終わった父は、自制心というものを忘れてしまった。
 朝から晩までコタツの前にどっかり座って、
母にあれこれ文句ばっかり言い始め、
暇にまかせてありえないほどのわがまま三昧の生活を始めたのだ。

 母は、退職金のうちから300万円を父に渡し、
「これは丸々あんたにくれてやるから、オンモで遊んできな!」
と、言い渡した。
 母は、300万で自由な時間を買ったのだった。
 うれしくなっちゃった父は、開店時間から閉店時間まで、
ずっとパチンコ屋に入り浸り、
なんと一年でその300万を使い切ったのである。

 さすがに父も反省したらしく、
その後、以前よりもっとコタツの前から動かなくなり、
結果、「遊びに行けないストレス」を発散するために、
また母に悪態をつき始めたのだ。

 母は、もともとひどい低血圧だったが、ストレスから高血圧症になり、
腸閉塞やら大腸ポリープやらになって、何度も手術することになった。

 健康が自慢で、暇さえあれば旅行三昧だった母は、
いまやすっかりストレスにやられて、引きこもり状態になってしまった。

 その頃あたりから、私は、
末っ子のツヨシを母に預けるかわりに父に預けて、
上の子の参観日に出かけたり仕事に出たりしていた。
 そのうち、父が毎日のように、
「ツ〜ヨ〜シく〜〜〜ん、あ〜そ〜ぼ〜♪」
と我が家の2歳児を誘いに来るようになり、
「お前も買い物に行くか?」
と、私も誘われるようになってきた。
 母に言いつけられたらしく、
スーパーなどでは、うちの分の食材も買ってくれるのだが、
「これ買ってやろうか」というものは必ず、
「ロースカツ」か、「ホットドッグ」か、「マグロ」なのだった。

 その日も父は、スーパー内を練り歩きながら、
「おう、ネーチャン、ロースカツ6枚でいいかよ」
とか、
「おいおい、いつものホットドッグのパンがネエぞ」
とか、ドデカイ声で言うので、
「あ、ありがとう、またいいの?」
とうれしそうな演技をして言ってはみるのだが、
さすがにこう毎日だとマジで気持ち悪くなってきているので、
「他のもっとサッパリしたものも食べたいなあ」
などと、ご機嫌を損ねないようにそっと提案してみるのだが、
「じゃあ、今日はマグロじゃなくて『ネギトロ』にすっか?」
とまじめに聞いてくる。
 (お父様、ネギトロもマグロです)
 心の中でトホホと思っていると、
「じゃあ、今日は、ワンタンにするべや」
と言い始め、それから一日おきに我が家に来ては
強引にワンタンを100個作って帰って行くのだった。

 「孫ども、俺について来い」
と、大将気分で四人の孫をぞろぞろ連れ、
近所に菓子を買いに行くのはいいのだが、
店でチョロチョロされたり、
なかなか買う菓子を決められない子がいたりすると、
瞬間的にブチ切れ、
「お前とお前は、買ってやんない!」
とか
「お前なんか、ば〜か!」
と、大人げ無く叫んで、一人で先に帰ってきてしまうのである。

 またあるときは、幼稚園児を自転車の後ろに乗せて、
大通りの車道を斜めに突っ切ったり、
子供たちを車に乗せて、国道で危険なUターンをしたりと、
信じられないような危ないルール違反を犯しては、
「どうだ、じいは。かっこいいだろう」
と、まったくもう、本当にやめて欲しい間違った教育をしてくれるのだ。

 昨年、親友のツヨシが幼稚園に上がってしまって、
暇になった父は、とうとう、私にターゲットをしぼったらしく、
朝からいきなり我が家を襲撃し、
「ホームセンター行くど!」
「100円均一行くか?」
「ワンタン買いに行くけど」
ど、強引に誘ってくる。
 もちろん私は、一緒に行って、
少しでも父のお出掛け気分を満足させ、
一分でも長く外に連れ出すことによって、
母のストレスを減らさなければならない。
 私は、うれしそうに
「は〜あ〜い〜♪」
と答え、なるべく長時間、父の気が済むまであちこち付き合うのだ。

 ある日、父と自転車で走っていると、
近所の親しいおじさんおばさんに会ったので、
「まったく連日ジジーシッターですよ」
と冗談を言うと、
「ほとんど徘徊だわねえ」
と、これまたキツイ冗談で返され、
「ホントですよ!」
と笑っていると、当の父は、まるでわかっておらず、
「今から俺、娘を島忠に連れていってやるんだ〜!」
と、馬鹿みたいにその辺を自転車でくるくる回ってみせている。

 それを見たおばさんは、失笑しながら、小さな声で、
「何でも好きなもの買ってもらってきなさいよ」
と言った。
「は〜い」
 私が笑うと、
「おたくは幸せよ」
と、私たちに言った。

 両親が揃ってまだ元気で、夫も子供もいる私。
 孫4人と同レベルで遊びほうける父。

 病気になるほど父からストレスを受けている母は、
気の毒としか言いようが無いが、
それでも、何かと
「お父さんこのおかず好きだからさあ」とか、
「お父さんこれ食べないから要らないわ」とか、
そういうことを言っているということは、
一応ギリギリうまくやっているうちに入るのだろう。

 例のおじさんおばさんは、
上のお兄ちゃんが結婚したけれど、嫁さんとうまくいってないらしいし、
孫もまだまだ先になりそうで、
次男は、仕事も結婚もせずに家にいるらしい。
 会えばニコニコ笑っているが、
この前病院の待合室で見つけたおばさんは、
本当に寂しそうにションボリ座っていた。
 ツヨシと私と父とで、
ギャアギャアもめながらスーパーで買い物しているとき、
たまたま出会ったおばさんは、
「いいわねえ、こういう買い物って」
と、涙ぐんで私たちを見つめていた。

 みんなでギャアギャアうるさくて、
いっときも落ち着き無くバタバタしてて、
シッチャカメッチャカに毎日が過ぎていくということは、
実は、とても幸せな生活なのかもしれない。
 毎日ガチャガチャしていて、
何だかわからないうちに人生が終わるというのは、
案外、オツなものかもしれないのだ。

 ああ、それにしても、父。
 本当にストレスの無い男よ。
 食べたいものを食べ、言いたいことを言い、
やりたい放題、したい放題、
好きな時間に起きて、勝手に寝て、
また勝手に起きる生活。
 母の寿命をおやつにして、また今日もお気楽に生きる。

 子供の頃あんなに理不尽なセッカンを受けたのに、
私は父のシッターをしているし、
寿命を食い荒らされても、母は、今でも父と一つ屋根の下にいる。
 「お前なんか嫌いだも〜ん!」
と言われても孫たちは、「じい」「じい」と寄っていく。

 この馬鹿父を野放しにして、
それでもそばを離れない私たちこそ、
真の馬鹿なのかもしれない。
 いや、馬鹿だけが放つある種の「幸福感」が
われわれをつないでいるのかもしれない。


       (了)

(あほや) 2005.4.12. あかじそ作