「 39歳のチャレンジ 4 」 |
5月の連休は、夫も休めることになり、 今までたまっていた模様替えの 「重いものの移動」を頼むことにした。 2階の洋間は、子供たちの寝る部屋であると同時に 夫の物の納戸と化していて、 いつも物が乱雑に積み上げられ、 とても人がくつろげるムードではなかった。 片付けろ片付けろ、と、 引越し以来何度も言ったのだが、 「はい」という返事ばかりで、いっこうに片付けやしない。 おまけに、部屋の押入れには、 古いプロレス雑誌やらオタクっぽい書籍類が 無数に詰め込んであり、 その部屋の真下にある風呂場が沈みこんで地盤沈下を起こし、 我が家は、ものすごい傾斜になってしまっているのだ。 夫は、いよいよ重い腰を上げた。 重すぎる木の古いクローゼットをドライバーで解体し、 外の小屋裏に運び出した。 続いて、夫婦と末子が寝ている隣の和室の 押入れに入っているファンヒーターやらオイルヒーターやらを 一階の納戸に移し、南京虫満載の古本どもをそこに詰めた。 それらの本は、 夫に黙って全部捨てちまおうともくろんでいたのだが、 「あ、その本は要る」「それも要る」といちいち突っ込みが入り、 結局あまり処分できなかった。 さて、ところで、 この模様替えには二つの目的があった。 ひとつは、今年中学に入った長男に勉強部屋を作ること。 もうひとつは、一階居間に ベビーベッドを搬入するスペースを作ることだった。 段取りとしては、こうだ。 二階の子供用寝室に散らばる、 夫の衣類や夫の宝(どう見てもガラクタ!)を 大人の寝室に運び、その代わり、子供の衣類を置く。 子供部屋から常に運び込まれる、直径3センチ以下の、 誤飲の危険がある細々したおもちゃの数々を、 居間の床から一掃し、 子供部屋内から出さない雰囲気を作る。 居間のある一階に並んだ重いタンス類を処分し、 軽い衣装ケースに入れて寝室に置く。 つまり、今まで「何部屋」という区分けをせず、 ただ何となく配置していたものを、 目的別、所有者別に分け、 もっと合理的に収納しようということだ。 ちなみに子供たちも夫も、 タンスから洋服がはみ出し、常に引き出しが半開きなのだ。 つまり、収納に対して服が多い。 しかし、着るものはいつも決まっていて、 お気に入りの2枚を交互に着ているだけで、 ほとんどの服は、タンスの肥やしだ。 夫の場合、買ってから20年以上経って、 もう首周りが伸びて虫が食っているような 「思い出」ばかりがほとんどを占める。 ペイズリー柄のアロハとか、ストーンウォッシュのジーンズとか、 「こんなものもう外に着ていけないよ」というものばかりなのだ。 たまに家族で出掛けるとなると、 何を思ってか、必ず頭にバンダナを巻き、 すね毛丸出しでジー短パンを履くのも、勘弁して欲しい。 夫の存在自体が過去の遺物なのだ。 次に、子供の服の多さの原因は、 両家の祖母たちの仕業にある。 事あるごとに息子たち4人にお揃いを買い、 しょっちゅうプレゼントしてくれる。 まあ、それ自体は大変ありがたいのだが、 お二方ともエゴがお強いというか、 自己顕示欲が猛烈というか、 いただくものにかなり偏りがあるので困るのだ。 実母は、何だか知らないが、毎年、 「上着」ばかりをひと冬に何枚もお揃いでくれるものだから、 上着ばかりが大量に山積みになる。 私は以前、恐る恐る母に 「なぜ上着ばかり?」 と聞いてみたが、 どうやら正月に夫の故郷金沢に帰省する際に 着ていかせるためらしいのだ。 さては、夫の母に対して、 何らかの信号を送ろうとしているのか? あるいは、ただ、子供にきちんとした身なりをさせないと 嫁である私が責められるから、という親心からなのか? それに対して、夫の母からは、 ブランド物のお揃い服が淡々とコンスタントに送られてくる。 「量じゃないのよね、質なんじゃなくって?」 みたいな空気をかもし出しつつ、 それらは、定期的に粛々と送られてくる。 助けて〜〜〜! うちの収納力考えて〜〜〜! もらったときはいいのだけれど、 数年後には、下の子のタンスに、 少しづつサイズの異なる同じ服が 物凄くいっぱい入っていて、 引き出しを開けることすら困難になるのだから。 そのくせ、まだ綺麗なブランド服は、処理するには忍びなく、 黙ってリサイクル屋に売り飛ばそうとしても、 思い出したように 「あの服どうした?」 「着ているところを写真に撮って送って」 などと厳しいチェックが入るものだから、油断できない。 そんなこんなで服の整理に死に物狂いになりながらも、 模様替えは、少しづつ進んでいった。 そんな中、2階の押入れから 長く仕舞い込まれていたベビーベッドやらベビーチェアなどが 下に降ろされた。 子供たちは、それを見て敏感に、 「それ、使うの?」 と聞いてきた。 そら、きたぞ。 言わなくっちゃ、よ。 そろそろ! 子供に報告するきっかけを完全に逸してしまった私は、 連休の初め、夫に相談した。 「私、子供たちに言うのがおっくうなんだけど」 すると、 「俺が言おうか」 と夫が珍しく頼もしいことを言うので、 「じゃあ、お願いします」 と言っていたのに、 連休が一日過ぎ、二日過ぎても、 一向に夫は話を切り出すそぶりさえ見せなかった。 模様替えに徹した連休の最終日、 ついに夫は、何やら儀式めいたことを始めた。 「子供たち、みんな、ここへ座りなさい」 そんな波平みたいなことを言うキャラではないので、 子供たちは、興奮してざわめき、返って右往左往した。 「今度、うちに家族が増えます」 「犬飼うの?」 小3の三男が、 普段からのお願いが聞いてもらえたと思って大はしゃぎした。 「違う!」 恥ずかしいのを隠すように、私は大声で怒鳴った。 「じゃあ、何?」 今度は中1の長男がその場ジャンプを繰り返し、 じたばたしだした。 「赤ちゃんが生まれるから」 と、夫が言うと、しばらく、シーンとした後、 「ギャ〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!」 「うそ〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!」 「えええええええ〜〜〜〜〜!!!!!」 という複数の雄たけびが家じゅうに響いた。 特に長男は、頭を抱えて狂ったように叫び、 いつまでも悲鳴を上げ続けた。 何を隠そう、うちの子たちが赤ちゃんを欲しがっている中、 長男は、もう「欲しいなあ」という段階ではなく、 「何で産んでくれないの!!!」 と、癇癪を起こすほど、 心底赤ちゃんを待ちかねていたからなのだった。 「お母さん、ホントなの?ねえ、お母さん!!!」 私は、照れ隠しでぶっきらぼうになりながら、 「あんたたちがちゃんと協力しないと生まれてこないんだからね!」 と言うと、長男は、再び狂ったように叫んだ。 「ヤッタ〜! 嘘みたい! 嬉しい! 嬉しすぎてどうしよう!」 そんなにかい? 夫と私は、あっけにとられていたが、 叫ぶ長男のすぐ横で、 次男は、ウルウルしているし、 三男は、プルプルしているし、 四男は、ニヤニヤしているではないか。 こりゃあ、大変な歓迎ぶりだ。 私は、気を取り直し、 「でも、お母さんは高齢妊婦なんだから、 赤ちゃんがお腹の中で死んじゃったり、 生まれても障害を持っていたり、 お産のときにお母さん自身が死んじゃうこともあるんだよ」 と言った。 子供たちは、一瞬静まった。 続けて夫が、 「あんたたちが協力しないと 赤ちゃんは生まれてこられないんだぞ。たのむよ」 というと、子供たちはみんな一斉に犬のように縦に首を振りまくった。 そうかと思うと、またそこここから悲鳴が上がり、 子供たちはそれぞれ狭い部屋の中を駆けずり回った。 それからは、誰かしらが喧嘩を始めると、 他の誰かが 「やめろよ!」 「お母さんにストレスかけるな!」 と止めて入り、 「部屋が散らかってるなあ」 と私が独り言を言うと、 「みんな、片付けろ!」 と子供の中から号令が掛かった。 何だよ! こんなことなら、もっと早くカミングアウトしていればよかったよ! ツワリの一番キツイとき、 散々ギトギトの中華料理作らされたり 吐くまでイカ食べなくて済んだのに! まあ、ともかく、言えてよかった。 子供たちの興奮はやがて徐々に落ち着いてきたが、 長男だけは、いつまでも赤ちゃんのことで頭がいっぱいだった。 幼い頃から、ずっと私を遠くから見ているだけで、 遠慮ばかりして何も言えなかったのに、 最近は、台所で炊事をしている私のお腹をスッを触ってみたり、 検診に一緒に行きたいと言い出したり、 もう、凄い変わりようだった。 おまえは、そんなに待っていたのか・・・・・・ 子供たちの喧嘩は激減するし、 親をまっすぐ見上げて心から尊敬したまなざしをくれるし、 みんな明るくなった。 そして、家族で何かにつけてよく話をするようになった。 毎年1月に東京ドームで開かれる「キルトフェスティバル」に、 それぞれが赤ちゃんのために縫ったキルトをはぎ合わせ、 大きな一枚のマットとして応募しようということにもなった。 腹がどんどん膨らむ以上のスピードで、 我が家の希望が凄い勢いで膨らんでいく。 この腹の中にいる人は、 もしかしたら、私たちにとって、 とんでもなく偉大な救世主なのかもしれない。 私は、子供の手前、あくまでマリア様のごとく 「処女受胎」みたいな顔をして暮らしているが、 子供たちがもうちょっと大きくなっていたら、 「お父さんとお母さんが〜〜〜?!」 「キモいわ〜〜〜!」 と言われていたに違いない。 ああ、ぎりぎり。 ・・・・・・ハッ! そうだ・・・・・・ 夫の母に、まだ言ってない。 次の課題が、また、私を待っているのであった。 (了) |
(子だくさん) 2005.5.17. あかじそ作 |