「 神経戦 」

 最近、私の神経は、まいっている。
 と、いうのも、我が家の神経質軍団の
あの手この手の神経逆なで攻撃が
連日私に浴びせかけられているからだ。

 この春、中学に入った長男は、
競争心や闘争心がまったく無く、
ガリガリにやせていて体力も無い代わりに、
幼い頃から楽器いじりが好きだった。 
 そこでピアノでも習わせておけば
もっと才能が磨かれてたのだろうが、
私自身が子供の頃、母の意向で
死ぬほどたくさん習い事をさせられていたこともあり、
その反動もあって、誰にも何にも習わせていない。
 この地域では、ほとんどの男子が入っている
サッカーや野球などのスポーツ少年団とも無縁だ。

 うちの方の中学は、全員強制的に
何かしらの部活に入らなければいけないことになっていて、
はじめ長男は、「パソコン部に入りたい」と言っていた。
 しかし、ブラスバンド出身の私は、
「部活イコール仲間との青春だろうが!」
という頭なので、
「いい若者がパソコンで何が青春ぞ〜!」
と大反発し、じわじわ説得した挙げ句、
本人も何とか「金管楽器吹きたい」と言い出した。
 ところが、この中学の吹奏楽部は、
ひとりを除いてみんな女子だったのだ。
 男兄弟の中で育ち、
「なんだよ〜」「うるへ〜」みたいな
合いの手くらいにしか言葉を使わない
男子同士の付き合いとは違い、
「何もそこまではっきり言わんでも」
という女子の言葉先行のノリが怖いらしい。
 つまり、長男は、「女子が大の苦手」なのだった。

 長男が「女子が怖い」と言って、入部をごねれば、
私が「吹奏楽部の女子はさっぱりしてるんだよ」と慰め、
「自分の他にも、もうひとり一年の男子が入部する」と言えば、
「よかったじゃん!」と喜び、
「仲のいい友だちはみんなパソコン部入るって」と言えば、
「人は人だろう!」といさめ、
「どうしようどうしよう」と言えば、
「吹奏楽部なら絶対向いてるって!」と持ち上げる。

 そんなやりとりが続いて、やっと吹奏楽部に入部した。
 やれやれ、と思っていると、今度は、
「朝練があるからヤダ」とか「ひとりで帰るのヤダ」とか、
連日グチグチ愚痴っているので、
最初は、ひとつひとつ諭していたが、
あんまりいつまでもグチグチ言っているので、
私もだんだんイライラしだした。

 ある日、珍しくルンルン帰ってきたので
「どうしたの?」
と聞くと、
「やりたかったトロンボーンに決まった」
と言って、うきうきしている。
 私も、息子と一緒に金管楽器が吹けると思い、
かなりテンションが上がった。
 しかし、その翌日、また暗い顔で帰ってきて、
「トロンボーンやりたいと泣いた子がいて、
無理やりパーカッションに移された」
と半べそをかいた。

 これには私も激昂し、
「あんた、金管楽器がやりたくて入ったのに、そりゃないじゃないの!」
と興奮して、
「今からでも金管じゃなきゃヤダって、ちゃんと言いなさい」
と叫ぶと、
「それじゃトロンボーンの子が可哀想だよ」
としょんぼりしている。
 「お母さんの楽器持ってっていいから、どうしても吹きたいって言いなよ!」
と言うと、
「僕、そんなはっきり言えないかも」
とうつむいている。
 「そんなはっきりしない態度だからパート奪われるんだよ!」
と、長男の気の弱さにも腹が立ってきて、
その晩、私は一晩中うなされた。
 中学の職員室に行き、顧問の先生に頼み込んだり、
メンメンと長男の楽器好きを手紙に綴ってみたり、
という夢を寝てから起きるまでずっと見ていたのだ。

 翌朝、朝練習に出かける長男に
「絶対言いたいことを言うんだよ! 言えなかったら、従うしかないんだよ!」
と、ギンギンに充血した目で叫んだ。

 その様子を見ていた夫は、
「気持ちはわかるけど、ちょっとテンション上がり過ぎてない?」
と言った。
 それは自分でもよくわかっていた。
 しかし、私は、金管楽器の楽しさをよく知っていて、
その楽しさに目覚めた長男に、
いきなり始める前から有無を言わさず挫折させるなんて
絶対に許せないと思ったのだった。

 その晩の午後6時45分、長男が帰って来た。
 私は、すぐに玄関に走り出て、
「どうなった?!」
と大声で叫んだ。
 すると、すっかりリラックスした様子の長男は、
「僕、パーカッションやってみる〜」
とノンキに言うではないか。
 「は? それでいいの?」
と聞くと、
「パーカッションの先輩みんな面白いし、
のちのちドラムも叩けるからいいかな、って思った」
と、涼しい顔で言う。

 「あ、そ」

 私は、一気に血圧が下がり、
「あんたがそれでいいならそれでいいんだけどさ」
と、その場に座り込んだ。

 これぞ、まさに、「一喜一憂」というヤツだ。

 長男の揺れる気持ちに完全に振り回され、
長男以上に感情が揺れまくり、
自分の神経がかなり擦り減っているのを感じた。

 いかんいかん。
 いつもこうだ。

 私は、いつも人の気持ちに共感しすぎて、
本人よりも激しく泣いたり怒ったりしてしまう。
 落ち込んでいる友だちの話を聞くうちに
自分の方が重症のウツになってしまうし、
子供が頑張って描いた絵が認められれば、
自分のことのようにドウドウ泣いてしまう。

 本人そっちのけで、
勝手に共感して、
勝手に物凄くドラマティックになってしまうのだ。

 一種の難儀な病気なのだ。

 この、長男がらみの一喜一憂に疲れ果てていたときに、
じわじわと次の神経戦が始まっていた。
 三男の登場だ。

 私が長男にすっかり気を取られているのを
本能で察してか、
ここのところ、いつもに増して激しく弟をいじめる。
 仲良くしていたかと思うと、すぐに殴っている。
 他の兄弟にも、必要以上に喧嘩を吹っかける。
 まるで自分もかまって欲しいと言わんばかりに
物凄くわかりやすく情緒不安定になっている。

 以前、大学の心理学の授業で習ったことがある。
「神経質な人間というのは、
その場にひとりでも情緒不安定な人がいると、
誰よりも情緒不安定になってしまう」

 おそらく家族一神経質な三男は、
まさにこれに陥っていて、
私が病的な一喜一憂をしているのを感じて、
わけもわからずキーキーしてしまうのだろう。

 そんな三男を慰めようと、一緒に買い物に行けば、
プイと勝手に店を出てひとりで帰っていってしまうし、
思いついたら衝動的に好きなところへ行ってしまうし、
そのたび、心配性の私は必死で探しまくり、
いい加減神経が擦り減ってボロボロになっていった。
 三男には、前からひどい多動性を感じてはいたが、
ここのところの多動に関しては、
三男本人も、コントロールしかねているようだった。

 お母さんがイライラしている・・・・・・
 僕もイライラしてきた・・・・・・
 何だか、じっとしていられない・・・・・・
 勝手にどこかへ行きたくなって・・・・・・
 体が動いてしまう・・・・・・

 そういう私も、
三男に振り回されて気が変になりそうだった。
 長男は、相変わらず
「パソコン部に入ればよかった」
などと一日おきにぼやいているし、
(そのくせ一日おきに部活が楽しいらしい)
来客があるというのに、部屋は、
片付けても片付けても子供にめっちゃくちゃにされるし、
夫は、家族の現状を見て見ぬふりだし、
四男は、連日、ビービービービー泣いてばかりいるし、
もう、限界だった。

 キ〜〜〜〜〜〜〜〜ッ!!!!!

 キレた。

 もう、理屈じゃない。
 病的にイッた。

 いつまで経っても子供たちが
古い漫画雑誌を片付けないので、
次男に紐を掛けるように言いつけると、
「紐がうまく切れない〜〜〜」
と、小5にもなってヒーヒー泣いているのを見て、
前触れもなく急にキレた。

 「こんぐらいのことで泣くんじゃねえっ!」
 「このハサミが切れなかったら、キレるハサミで切ればいいだろが!」
 「そういうのが知能低いっつんじゃ!」

 すると、次男は、余計にパニクッて大泣きする。
 朝っぱらから、窓の前で馬鹿みたいに大声で
「びえ〜〜〜〜〜〜」
と泣いている。

 「泣くな!」
 と言っても、余計泣く。

 「黙れ!」
 叫んだときには、もう手が出てしまった。
 次男の口元にパンチしてしまった。
 そして、「パチン」といい音がして、硬い感触があった。

 「痛いよ〜〜〜!」

 ますます大泣きする次男を横目に、
私は、メラメラと炎を立てて
雑誌を何束もくくりつけていた。

 コイツ、口切ったな・・・・・・

 人を傷つけた嫌な感触で、ハッと我に返った。

 思えば、次男は、ここのところ頑張っていた。
 お母さん疲れたでしょ、と皿を洗ってくれた。
 洗濯物も取り込んでくれているし、掃除機もかけてくれる。
 揺れ動く長男の相談相手にもなっていた。
 暴れる三男を、体で押しとどめていたし、
泣き喚く四男の頭をなでてもいた。
 学校でデブと言われ、毎日家に帰ってきてから
縄跳びを1時間以上やり、
今までできなかった二重飛びが
何度もできるようになった、と嬉しそうに笑っていた。

 それを、私は、気分次第で殴って、怪我をさせたのだ。

 泣きながらランドセルを背負って家を出る次男の肩を、
かばうように三男が抱いている。
 後味の悪い朝の登校シーンだった。

 このまま交通事故かなんかで
アイツが帰らぬ人になってしまったら、
私は、これからどう生きればいいのだろう。
 無事帰ってきたとしても、
きっとヤツは、ケロッとして
「お母さんただいま!」
とニコニコ笑い、
そしてその笑顔によってさらに、私を反省させるだろう。

 自分に腹が立ってきた。
 またイライラしてきた。
 こんなにヒーヒー神経が擦り減っているのに、
ノンベンダラリと我関せずで
後からへらへら起きてくる夫に、
思わず怒鳴らずにはいられなかった。

 「おめ〜がバカなんだよ!」

 鳩が豆鉄砲食らったような顔をして、
夫がこちらをハッと見る。
 目はまん丸、口はタコチュー。

 自分が何を叱られているのかわかっていない。
 わかろうはずもない。
 単なる八つ当たりだ。

 「とっとと仕事行けよ、見苦しいジジイめ!」

 夫は、背中を丸めてこそこそと支度をし、
こそこそと出勤していった。

 長男、三男によって
いらだった私の神経が、
優しく不器用な次男を傷付け、
次男を傷付けた自分の行為に
傷付いた私の神経が、
最終的に夫をなじる。 
 なじるだけなじって、私は気づく。
 「あんなになじられて可哀想に」と。

 ああ、水は低い方へと流れる――――――

 夫よ、君は、低い。

 夫の元に降りていった、張り詰めた何かは、
やがて果てしなく弛緩し、
広い海へと解き放たれて行く。

 「神経質」という魚の放流・・・・・
 それが家庭内における夫の最たる仕事・・・・・・

 な〜む〜。

 (了)
(子だくさん) 2005.5.24. あかじそ作