「 39歳のチャレンジ 8 」
 
 
 お盆に夫の田舎の金沢に帰ることになっており、
妊娠8ヶ月にもなろうというのに、
いまだ妊娠を報告していない事実に、
私は、ひとり、過剰にテンパッていた。
 
 三男を産んだ直後、
アカンボを抱きながら義母が言った
「子供は3人までや!」
というキツイ言葉が、
いつまでも私を震え上がらせていたのだった。
 
 四人目を妊娠したことを報告したときの
無言のリアクションや、
四男を初めて見た時の
「ケッ!」
という表情も、ゾッとするほど怖かった。
 
 その四男が、
育つにつれて義母にうりふたつになってきたことで、
可愛さが湧いてきたのか、
ほんの数ヶ月前、
四人の男児が幸せそうに笑う写真を見て、
初めて
「四人もいいかな、と最近思うわ」
と、義母は、言った。
 
 しかし、四人目の存在を認めるのに
5年もかかったのだということがわかり、
逆に、改めてゾッとしたのだった。
 
 何で、そんなに
「子供は3人まで」
ということに執着しているのか、わからない。
 
 義母が夫に言うには、
「私が子供3人でちょうどよかったからや」
ということらしい。
 
 私が思うに、義母は、
「この息子の経済力では、3人までが限界だ」
と思ったのだろう。
 それは、私もそう思う。
 
 今のこの質素な暮らしは、
私が尊敬する父方の祖父母の
「田舎暮らし」をモデルにしていることで成り立っている。
 外食も旅行もしないし、
父も常に仕事で不在だが、
そのかわり毎日母子で
面白いことを見つけては、ゲラゲラ笑い、
笑いをおかずに一品足して食事する毎日。
 子供は、塾も習い事も行っていないが、
母や祖父母が、裁縫や料理や大工仕事を教え、
父が休日にパソコンを教え、
市民プールや公民館に連れて行く日々。
 
 そこには、イマドキの「平成の子育て」は無く、
まるっきり「昭和」な暮らしがあるのだが、
子供らは、見事に時代遅れで素朴な少年たちに育ち、
返って、心は、豊かに育っているようにさえ見える。
 
 これが、のちの彼らの人生に
どう影響するかは、わからないが、
親が、この複雑で混乱した時代を
自分の中でちゃんと整理して、
普遍的で大切な何かを
しっかりと子供たちに伝えていくことができればいいな、
と思っているのだ。
 
 「子供ひとり育てるのに数千万円かかるのだから、
自分の所得では、この人数しか産み育てられない」
と言う人が多い。
 
 「子供ひとりひとりに、人並みの教育を受けさせ、
経済的にも恵まれた社会人にするためには、
子供はひとりかふたりで精一杯だ」
と言う人の気持ちも、痛いほどわかる。
 
 しかし、どうしてもわからないのは、
子供を金に換算し、
子育てを「人生のノルマ」としてとらえ、
人生を何もかも合理的にこなそうとする生き方だ。
 
 確かに無駄や無茶は、
自分を疲弊させるし、リスクも高い。
 でも、「ラクで無駄が無くてスマートな暮らし」は、
私にはとても面白いことだとは思えないのだ。
 
 自分以外の存在、
たとえば子供や夫や親に振り回され、
ヘトヘトに疲れるのは、御免だ、
私は私のやりたいことだけをやり、
生きたいように生きたいのだ、
という気持ちもわかるが、
それは、何だか、
人生のほんの一部分しか味わわないで
ほんの一部分の感情しか知らないで
人生を終わらせてしまうようで、
つまらないなあ、と思うのだ。
 
 しかし、義母という人は、
そういう「合理的人生」の考え「ど真ん中」の人で、
若輩者の私がいくら力説しようが、
ただの「頭でっかちで生意気な嫁」にしか見えないのだろう、
と思う。
 
 そんなこんなで、
私は、5人目の懐妊報告をできぬまま、
いつもどこかおびえた妊婦なのだった。
 
 しかし、8月に入ると、
もう逃げてばかりはいられない、と気付き、
帰省する8月12日の時点で
義母に現実を受け止めていてもらう準備をしてもらわねば、
ということになった。
 
 夫と考えた作戦は、こうだ。 
 
 夫が在宅する日に、
比較的世間話の得意な次男が義母に電話し、
「僕たちが待ち望んでいた赤ちゃんができたよ」
と明るく屈託無く報告し、
次に夫が電話に出て、
「そういうことなんだ、喜んでくれよ」
と言い、何か言い返そうとする義母に対して、
「今度の子は、何と待望の女児なんだよ、よかったなあ」
とゴリゴリ押していく、という段取りだ。
 その間、私は「買い物中で留守」ということにし、
感情的になった義母からの
発作的暴言から避難することにした。
 
 さて、作戦当日、
夫が次男にそのミッションを告げると、
次男は、
「怖いよ〜〜〜」
と言って、思いっきり腰が引けてしまった。
 
 「何でよ、ただ嬉しげに報告するだけでしょうがあ」
と言うと、
「だって、
『僕たちが待ち望んでいた』
っていうセリフは絶対外すな、とか、
『本当に嬉しそうに言え』とか、
なんか、難しいんだも〜〜〜ん!」
と、体をひねる。
 
 「じゃあ、お前言ってくれ」
と長男に話を振ると、
「僕、そういうの、絶対無理〜!」
と、泣きそうになっている。
 
 三男や四男じゃ、
「お父さんとお母さんにこう言えと言われたから言うけど」
みたいなネタバラシを絶対に言うだろうし、
ここは、次男に頼むしかない。
 
 次男は、いやいや受話器を持たされ、
夫によって電話は掛かられた。
 
 しばらくの呼び出し音の後、
義母が電話に出たようだった。
 
 「あ、ぼぼぼ、僕、ジロー。
えっとえっとえっと、おばあちゃん?
 あああ、あのあの、実はビッグニュースがあるんだけどさあ、
僕たちが・・・待ち・・・待ちのぞ・・・まちのぞん・・・で・・・い・・・た・・・
赤ちゃんが・・・できたんだけど・・・ねえ」
 
 しばらくの間、妙な怖い間があり、
次男は、「てへへ」「ははは」などと
ひきつったお愛想笑いをしていたが、やがて、
「え? お母さん?」
と言って私の方を見てきた。
 
 (買い物行ってるって言ってよ! 早くぅ!!)
 
 と、私が激しいジェスチャーで伝えると、
「あ、お母さんは今居ないから、お父さんに替わるね」
と言って、ヒーヒー言いながら受話器を夫に渡した。
 
 夫は、大げさに咳払いしながら受話器を受け取り、
これまた物凄くどもりながら
「まあ、そそそ、そういうことで、
おおお、おめ、おめでたいことにななな、なったんや、
うん・・・うん・・・ああ、あはは、はは・・・
あああ、ありがとう・・・、ははは・・・、うんうん・・・」
と言っている。
 
 とりあえず、義母の口から
「おめでとう」の言葉が出たと思われる。
 しかし、その後、
「え? ああ、今、買い物に行ってて・・・」
と、言いながら、夫は戸惑いながらこちらを見た。
 またもや嫁の私を
電話口まで呼び出そうというアクションがあったようだ。
 
 「どうする?」という
頼りない視線をこちらに向けてくる夫に対し、
私は、巨大な腹をぶるんぶるん震わせながら、
 
 (私は、ここにいない! いない!)
 
と、前衛舞踏のように全身で舞い、踊り、表現してみせた。
 
 「まあ、そういうことで・・・」
と電話を切ろうとする夫に、私は、慌てて、
 
 (女児! 女児だってば! 女児って言っといてよお!)
 
 と、自分の股間を指差して、
股を開いたり閉じたり激しく動かし、
声もなく顔だけで物凄く叫んでいた。
 
 「ああ、そうだった、そうだった!
 今度は、女の子の確率が高いらしいよ」
 
 夫は、やっと言い、電話を切ったが、
さっきから茶の間で
デカイ腹で猛烈にジェスチャーをしていた私は、
もう、ヘロヘロになり、畳の上にぶっ倒れた。
 
 「ああ〜〜〜、やっと言った〜〜〜!!!」
 
 家族全員でちゃぶ台を囲んで放射状にぶっ倒れた。
 
 「ヒヤヒヤしたなあ〜!」
 「おばあちゃん、怒ってなかった?」
 「なんて言ってた?」
 
 と、いう声が飛び交い、
みんなでノタノタ起き上がってきた。
 次男が、「『おめでとう』って、喜んでたよ」と言うと、
「は〜、よかったあ〜」
と、一様にホッとして、またグンニャリした。
 
 「セリフはどうでも、コワイロはどうよ? むっとしてなかった?」
と、私が夫に詰め寄ると、
「まあ、嬉しそうな感じではあったような・・・」
と、あんまりあてにならない報告だった。
 
 まあ、ともかく、言った。
 8月6日に言った。
 直接会って、このデカ腹を見られるのは一週間後だ。
 この一週間の間に、義母には、
「しょうがないわねえ」
「でも女児だからいいわ」
「こうなったら4人も5人も一緒ね」
などと、いろいろ自分の中で反芻してもらって、
12日に会ったときには落ち着いていて、
私に怖いことを言わない状態でいて欲しいのだ。
 
 さて、「やれやれ」と思って気が抜けた
その日の夜9時過ぎに、
その電話は掛かってきた。
 子供たちは寝た後で、
夫は、仕事で不在だった。
 
 電話のナンバーディスプレイには、
[金沢の両親]
という文字がギラギラと表示されている。
 
 今、電話前には、私ひとりしかしない。
 夜9時過ぎに「母は買い物」ってことはないだろう。
 それをしっかり見込んでこの時間に掛けてきたのだ。
 
 (ぬぬぬぬぬぬぬぬぬ〜〜〜う)
 
 私は、電話に向かって両手を広げて
魔術師のように怪しく動かし、
ハンドパワーでベルが止むように念じたが、
何十コール鳴っても、そのベルは鳴り止まなかった。
 
 「て〜〜〜い! どうとでもなれい!」
 
 思い切って電話に出ると、
義母と同居している夫の妹だった。
 
 「あ、リカさん、女の子生まれるそうで、
おめでとうございます〜〜〜!」
 
 (あ、「女の子おめでとう」だって・・・)
 (女の子限定で「おめでとう」かい)
 (でも、とりあえず、「おめでとう」って言ってるぞ)
 
 「あ、ありがと〜う!
 お、お、お、お母さんに聞いたの?」
と聞くと、
 
 「そう! 昼間、仕事中にお母さんからメールで
『おめでたいことがあるのよ!』
って教えてもらったんです〜」
と答えた。
 
 (『おめでたい』ってメールで知らされた?)
 
 一応、義母は喜んでいるのか?
 その反応、怒っている感じではないようだぞ・・・・・・
 
 すると、
「母に替わります」
と、突然の恐ろしい宣告!
 
 「もしもし」
 
 義母が出た。
 
 「リー、おめでとう」
 義母は、穏やかに言った。
 
 「いえいえ、何だか、ご心配掛けてしまってすみません」
 私は、普段に増して自分が早口になっているのに気がついた。
 
 「今、何ヶ月や?」
 
 「あ、8ヶ月になります」
 
 「8ヶ月?」
 
 義母の声の調子が変わった。
 
 「いつわかったんや?!」
 
 声が低い〜〜〜!
 物凄く声が低くなった〜〜〜!
 
 「あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、
あのあのあのあのあのあのあのあのあのあの、
4月の〜〜〜終わり頃〜〜〜かな〜〜〜、
高齢出産なんで、先生に『まだまだ安心できません』って言われてて
やっと最近『まあ大丈夫でしょう』って言われたものですから、
やっとご報告できる運びにあいなりまして、はい〜〜〜」
 
 早!
 私、しゃべるの、早!
 
 妊娠がわかったのは本当は3月初めだったが、
ほんのちょっとでも責めを逃れようと、
反射的にせこいサバをよんでしまった。
 
 「4月? 4月には、もうわかってたんけ?」
 
 まだ声低いし〜〜〜!
 
 「ええ、ええ、ええ、ええ、ええ、えええええええ、
でも順調だとわかったのはつい最近なんで
できましたハイだめでしたというのではちょっとあれなんで
お母さんにご心配お掛けしたくなくて
ついついご報告が遅くなってしまったんですけど
このたび先生のお墨付きをいただいたということで
それならばと言うことで何とか今日言えることになって
本当に遅くなって申し訳なく思っているんですけど
まあ女の子だろうということで
お母さんにぜひご報告したくて
早速お電話差し上げたということで
はい〜〜〜」
 
 一息。
 句読点無し、息継ぎ無しで、一息で返事した。
 
 だって、怖いんだもの!
 怖いんだもの〜〜〜!
 
「とにかく子供たちが赤ちゃんを産んでくれって
何年も何年も言ってきていたもので
『お父さんもお母さんももうとしだから』って言っていたんですけど
なかなかわかってもらえなくて
とにかく子供たちはアカンボが大好きで
スーパー行ってもよその赤ちゃんにウットリしているくらいで
これは産んであげないとなあなんて考えていたんですけど
まあなかなかそうもいかなくて
そうこうしているうちにこんな年になってしまったんですが
なんだか今回は女児ということで
まあうれしいやら戸惑うやら何だかほんとにもう
すみませんねえほんとうに、はい〜〜〜
 
 噛まずによくしゃべるな〜、私!
 「立て板に水」って、このことだな。
 
 「まあ・・・・・・おめでとう・・・、やねえ」
 
 ホッ・・・・・・
 
 とりあえず、ここは素直に受け止めて、
ひたすらお礼だ。
 
 「ありがとうございます、ありがとうございますう。
ご心配かけます、ご迷惑掛けます〜、はい〜〜〜」
 
 電話は切れた。
 
 はあ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜。
 
 こえ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜。
 怖かった〜〜〜〜〜〜〜〜〜。
 
 でも、思ったより怒ってなかったみたいだし、
これで帰省中に怖い思いをしなくて済みそうだ・・・・・・。
 
 はあ〜〜〜〜。
 
 
 さて、8月12日〜14日。
 義母はじめ、金沢の家族には、
一応、おめでとうの言葉をいただき、
無事の出産を励まされて帰ってきた。
 
 それにしても、ここ数ヶ月の
私の異常なまでの怯えは何だったのか?
 
 義母に何を言われようと、
人に何と言われようと、
ちゃんと信念をもって
子供を産み育てようと思っているんだから、
何を怯えることがあるというのだ。
 
 今さらながら、
自分の腹の決まっていないのには、
あきれ果ててしまう。
 
 もう引き返せない道を歩き始めているのだから、
いい加減、グッと腹を決めて
迷わずにドシドシ歩いていくしかないではないか。
 
 こう考えると、
私の目指すカントリーなスローライフというのは、
雑誌に載っているカリスマ奥様が
まねごとでやっているオシャレなお遊びではなく、
自分がズタボロになってでも命がけで子供を守る、
生きるか死ぬかの、
本格的な「生活」なのかもしれない。
 
 「私は、こう生きるんだ!」
という強い意思がないと、
「生活」に負けてしまうような生き方なのかもしれない。
 
 でも、この道を選んだことに悔いはないし、
悔いたところで、もう引き返せないのだから、
これを面白がって生きていくことにしよう。
 
 「あたしゃマジだぜ!」
と、常に目をギラギラ光らせて生きていこう。
 
 そんな時代錯誤な奥さんが
たまにいたっていいじゃないか。 
 
 
 (つづく)
(子だくさん) 2005.8.16. あかじそ作