「 淡々 」

 昨年の正月に帰省したとき、
夫の父が、トイレと自室の布団から出られなくなっていた。
 私たちが帰った後、どうにも苦しくて病院に行ったら
直腸ガンだとわかったらしい。
 もう一年以上ひどい下痢が続いているのに、
家族の強いすすめを無視し続け、
医者に行かなかったため、ずいぶんひどくなってしまったらしい。

 即手術して、患部を切り取った。
 70歳前にしては丈夫で、経過がよかったため、
傷口も癒着せず、人工肛門にしなくても済んだ。

 その後、定期的に検査していたら、
肝臓に転移していることがわかった。
 ある日、夫の妹からの電話で、
夫の父が入院し、患部を取る手術をしたことを
間接的に知った。

 その後、また肝臓にがん細胞が残っていることがわかり、
入院し、手術したが、
全部取りきれそうもないとのことで、
体力的なこともあり、取らずにお腹を閉じた。

 抗がん剤で様子を見てみることにしたのだが、
またあるときの定期健診で肺に転移が見つかった。

 もう、年だし、開腹手術が難しいということで、
強めの抗がん剤を試してみたが、
これまた副作用がほとんど出なかった、ということで、
自宅で生活することになった。

 一週間に一度、抗がん剤の点滴を受け、
それを4週間続ける。
 ひどい貧血症状が出るので、いったん2週間休んで、
また週イチの抗がん剤点滴を4週間受ける、
というのを繰り返すらしい。

 これらは、みな、夫の妹や弟から聞いた。
 いつもいつも間接的な情報で、
それを聞いた夫が慌てて父親に電話すると、

「そうや」

と、軽〜く返事するのだ、と言う。

 元々まるっきり無口な人で、
普段ほとんど感情をあらわにしない人だとは思っていたが、
ここまで淡々とされていると、
深刻な状況でも
「ま、ダイジョブね」
と、こちらも非常に冷静に受け止められるから不思議だ。

 ところが、よく考えてみると、夫の父は、昔から、
「だま〜〜〜って溜め込んでドカ〜〜〜ンとキレる」タイプの人なのだった。
 淡々どころか、人一倍喜怒哀楽が激しいタイプなのだ。

 それが、
ひとりで病院に行き、
ひとりで告知され、
ひとりで治療方針を決め、
ひとりで入院し、治療し、
ひとりで退院して
ひとりで寝込んだりしているのかと思うと、
ちょっと気の毒なような悲しいような気になってしまう。

 夫の父と母は、家庭内別居しているため、
病気の経過は、ほとんど夫の母や子供たちのところには、
情報として入ってこないらしい。
 心配して聞いても
「ダイジョブや」
としか言わないから、手術も入院も
家族にはすべて事後報告らしい。
 だから見舞いにも行けないし、
気がついたらまた退院して自宅で暮らしているのだという。

 淡々にもほどがある。

 しかし、表には淡々としか表れないだけで、
本人の心中は嵐なのかもしれない。

 周りがどんなに心配しても、
「ダイジョブや」
しか言わない。

 彼のことだ。
 きっと死んでも
「ダイジョブや」
と言いそうだ。

 ちなみに夫は、そういう父親に似ている。
 夫も、家族に何にも言わない。

 夫の父が、うちの父みたいに
ちょっとのことで大騒ぎして、大暴れする人だったら、
ガンになったことで
どれだけ家族はひどい八つ当たりを受けただろう。
 または、逆に、病的に落ち込んで、
どれだけ家族は必死に気を使わなければならないだろう。

 しかし、夫の父は、静かだ。
 淡々としている。

 ひとつの事実が、人のリアクションによって
ここまで違うことのように感じられてしまうものか。

 父本人が「ダイジョブや」と言い、
静かに淡々としてくれていることで、
家族はどれだけ助かっているか。

 激しく、苦しい治療を
黙って静かにひとりで受けていることや、
家族が聞いたら血の気が引くほど憂鬱になるような
怖い転移の経過を、
いちいち報告されないことで、
どれだけ心穏やかにすごせているか。

 いや、案外、一緒に暮らす家族は、
経過を何も知らされずに、
いつもいつも大丈夫じゃないのに「ダイジョブや」と報告され、
突然亡くなられることに怯えているのではないか?

 私が夫の父と同じ病状だったら、
私はどうなってしまうのだろう。
 少なくとも、こんなに淡々とはしていられないと思う。
 大騒ぎして、大暴れして、心を病んでいるだろう。

 今日も淡々と過ごす夫の父は、
孫であるうちの子たちを本当に可愛がり、
心からこのお腹の子の誕生を待ち望んでいる。

 さあ、私も、
淡々と出産をこなそうではないか。
 サクッとやっつけちゃおうではないか。

 静かなる感動を
淡々とした心に
そっと捧げよう。


   (了)

(しその草いきれ)2005.9.13.あかじそ作