「 39歳のチャレンジ 11 」

 生まれない!!!!!

 今までの4回の出産のうち、
長男は、破水で38週に、
次男・三男は、陣痛から始まり、39週に、
四男は、破水からで38週に生まれ、
どの子も予定日前に生まれてきた。

 だから、今回も間違いなく
予定日前に生まれれるものだと思い込んでいたのだが、
11月2日の予定日を過ぎても、
まったく痛くも痒くもないのだ。

 10月中旬から「まだかまだか」と気をもんでいて、
私だけでなく、
子供たちも、
実家の両親も、
夫の親兄弟も、
近所の人たちも、
子供の友だちの親御さんたちも、
学校や幼稚園の先生たちも、
みんなみんな、
連日「まだかまだか」と聞いてくる。

 ここにこうして私が普通にいるということは、
「まだだ」ってことでしょうに、
見りゃあわかるのに、聞いてくる。

 まだなんだよ〜〜〜〜〜〜!!!!!

 「今日か明日か」
という緊張も、半月以上続くと、
物凄いストレスになってきており、
待つことが苦手な私は、
もう限界を何度も過ぎているのだった。

 のんびり構えていて、
まったくいつもどおりの生活を営んでいるのは、
夫ただひとりのみなのであった。
 こう考えてみると、
普段は、はた迷惑なほどのマイペースも、
かえって頼もしく感じてきてしまうのは、気のせいだろうか?
 キリキリと連日気をもんでいる私たちを尻目に、
慌てず焦らず急がず騒がず、という、
夫の安定感たるや、尊敬に値してしまうほどだ。

 さて、出産予定日に産院に健診に行くと、
「頭降りてきてないなあ〜」
と、先生も困り顔だ。

 「四人目以上の人は、促進剤使うべきじゃないんだよねえ」
とも言う。

 「あの、先生、私、四人目のとき、
破水して24時間以上経っても産気づかなかったので、
促進剤使ったんですけど、異常に効き過ぎて、
産後48時間のた打ち回ったんです。
 看護婦さんやお医者さんに訴えても、
『いっぱい産んだ人ほど後腹がキツイものよ』
って言われたんですけど、
明らかに後腹なんてもんじゃなかったんです」

 と私が必死に訴えると、

「それは子宮破裂の危険があったんだね」
と、心底同情してくれた。

 「うちは、促進剤は極力使わないように
いろいろ工夫しているんだよ。
 4人目以上の人は、促進剤が効き過ぎちゃって
子宮破裂の危険度が高いから、
普通、使わないんだけどなあ・・・・・・」

 (なにぃ?!)

 やっぱりか!
 やっぱりあの時感じた私のいやな予感は当たっていたし、
あの時「促進剤入れま〜す」と歌うように言い放った若い女医は、
「多産の人は、薬が効き過ぎる」というデータなど
まったく知らなかったのだろう。

 (ぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬ〜う)

 私がたまたまバカみたいに丈夫だったからよかったものの、
ザケンナヨ、前回のヤブ医者め!
 産んだあとから、
「あの病院で産んで、よく無事に帰ってこられたね」
と、大勢の人たちに感心されたのもうなづける。

 ああ、今回は、産院を変えて本当によかった。
 この医者は信用できる。

 「しかし予定日すぎても、こう頭が上にあるんじゃなあ」
 先生も、しばし考え込んだ。

 「じゃあ、内診してみましょう」

 正直、内診すれば、子宮口が少しは開いていたり、
柔らかくなってきているだろうと思っていたが、
内診を終えた先生は、
「うっわ〜〜〜、だめだこりゃあ〜! まだまだ全然だ〜!」
と、素っ頓狂な声を上げた。

 分娩監視装置をつけて調べてみましょう、
ということになり、LDR室で横になり、
腹に端末をバンドでくくりつけて、
40分くらい横になっていたが、
その間機械から出てくる紙に記録されるグラフを
ベテラン助産師が見ながら、
「ん?」
と、長い時間、首をひねっている。
 そして、私の両脇腹を自分の両手で挟んで、
中の人を揺り起こすようにブリンブリンと揺すった。
 しかし、波形は、
彼女の思うようなパターンを描かなかったようで、
再び首をかしげ、
 「あれ〜?」
と言い、困り果てているようであった。

 彼女は、しばらく首をひねっていたが、
「ちょっと先生に聞いてきますから」
と、走って外来まで行ってしまい、
20分くらい帰ってこなかった。

 「おいおいどういうことなんだ?」
と不安になりながらも、
全面ピンクの壁の暖かい部屋で、
すっかり眠くなってしまった私は、
うたたねしてしまった。
 そこへ、助産師が戻ってきて、
「次回の健診は、一週間後ということでしたけど、
先生が、4日後にもう一回診たいそうですから、
予約を取り直してきてもらえますか?」
と言われた。

 胎児の心音は定期的にしっかり刻んでおり、
エコーでも「赤ちゃんは、元気です」と先生も言っていたが、
なぜか、中の人が「ん?」という反応を示しているようなのだった。

 思うに、予定日が迫っているというのに、
まったく緊迫感がなく、
慌てず焦らず急がず騒がず、
どしーん、ぽわーん、ふんがー、と眠りこけている、
その異常なほどの胎児のマイペースに
医者も助産師も困惑しているようだった。

 「夫似だ!」

 ピーンときた。
 ベテランの医者も、
ベテランの助産師も、
ベテランの経産婦も、
みんながみんな困り果てる程のマイペース。
 周りのみんなが着実に準備して、
さあ、さあ、いざ行かん、というときに
「おや、なにか?」
と、まったくまわりに合わせない、
そのはた迷惑なほどのマイペース。

 予定日を2週間も過ぎそうになったら、
3人目までは促進剤も使えるが、
私には、もう使えない。
 おまけに、高年出産で、
粘膜の伸びも若い人ほど良くないはずなのだ。

 とっとと産気づいて、
胎盤の機能が落ちないうちに
アカンボを出さなきゃならないのに、
肝心の中の人は、
「わしゃ、知ら〜ん」
と、ひとごとのように寝てばかりいる。

 (てめえ、このヤロウ・・・・・・)

 あろうことか、母親である私が、
まだこの世に生まれる前のわが子にキレる羽目になるとは。

 そんなところまで、生まれる前から似てやがるのかよ!
 ああ、なんてヤツとツガイになちまったんだ、わたしゃあ!


 毎週のように、「生まれた?」と電話をしてくる義母に
「今トイレに入っていて電話に出られない」
と逃げまくってきたが、そうそう逃げてばかりもいられまい。
 「当分生まれそうもない」ということだけは、
はっきり言っておこう。
 それもこれも、アンタの血筋だもんね。
 自業自得だもんね!

 家に帰ってから、義母にメールを送った。

 「健診で、まだまだ生まれる兆候がないと言われました。
どうか、気長にお待ちください」

 すると、しばらくしてから返信があった。

 「毎日毎日毎日毎日、電話の前に座って、
無事出産の知らせを首を長くして待ちかねております。
 きっと、健康な女の子が生まれるから大丈夫ですよ。
 あなたも、のんびり待ちなさい」

 って!

 毎日毎日毎日毎日、電話の前に座って、
無事出産の知らせを首を長くして待ちかねられたら、
こっちは、のんびりしていられないでしょうに!

 怖いっつーの!

 そんなに怖いテンションで、電話前でスタンバッていられて、
もし、義母の思うような、「健康」な「女の子」じゃなかったら、
私は、どんな仕打ちを受けるというのか!

 こええよ!
 怖すぎるよ!
 義母の「真綿でくるんだプレッシャー」は!

 大体、返信してくるまでの時間が長かったのも、
一文字一文字、
「ま・い・に・ち・、・ま・い・に・ち・、・ま・い・に・ち・、・ま・い・に・ち・、・」
と、4回も「ま・い・に・ち・、」を打ち込んでいるからだろうに。
 その繰り返し入力するテンションが怖いっつーの!

 
 一方、怖い敵は、案外近くにもいたのだった。
 そう、我が父・じじじそだ。

 ここ数日間、いきなりやってきて、
朝8時過ぎから夕方4時まで、
換気扇を付け替えてやる、と言って、
工事をしているのだ。

 初めは、外側の通気口の工事を
外でやっていたからよかったが、
ある朝、突然工具をたんまり持ってきて、
古い換気扇を取り外し、
家の中で強力電ノコで壁を切り始め、
換気扇の穴を広げたのだ。

 それは、あっという間の出来事だった。
 家の中じゅう、灰色の粉塵に包まれたのは。

 喘息の子供たちは、激しく咳き込み、
「助けてくれ〜!」
と、みんな外に飛び出して行った。
 私は、慌てて家じゅうの窓という窓を開け放ったが、
時すでに遅く、台所を中心に、
あっと言う間に灰色の粉塵が積もってしまった。
 被害は、甚大で、
鍋釜類、洗って干してあった大量の食器類、
キッチンツール一式、買い置きした野菜類、
昼に食べようと思ってこねていた最中のパン生地、
パソコン、プリンター、電話にファックス、
タンス、勉強机、教科書、ノート、ランドセル、
テレビ、ちゃぶ台、たたんだ洗濯物、
金魚鉢、縫いかけのパッチワーク、
ベビー服、ベビーベッドなど、
何から何まで、
有害物質(アスベスト入り?)の粉塵にまみれた。

 「な・・・・・・なにすんの・・・・・・・」

 私は、出産間際の大きなお腹で、
半べそでつぶやくことしかできなかった。

 父も良かれと思ってやったことだが、
何の前置きも準備もなく、
いきなり壁を削って
家じゅうを粉塵まみれにしてしまうとは、
何たる仕打ち!

 しかも、もう生まれるか生まれないかの緊急時で、
ゆっくり時間をかけて大掃除などしている暇など無いという時に。

 「わっちゃ〜。まいったな〜!」
 父は、てへへと頭をかいて、また工事を再開した。

 まいったのはこっちだ!!!

 父は、
べそをかきながら這いつくばって掃除する娘に目もくれず、
「この壁硬いな〜!」
「う〜ん、5ミリずれちゃったな〜!」
「お〜い、えんぺつ取ってくれ、えんぺつ!」
と、でっかい声で騒ぎながら工事している。

 「はい、エ・ン・ピ・ツ!」

 私が物凄い上目遣いで歯ぎしりしながらエンピツを手渡すと、
「おう! センキュウ〜!」
と、ご機嫌で、脚立の上からルンルンの瞳で
私と、私の粉塵まみれの部屋を見下ろしているのである。

 粉塵被害は、2階にもおよび、
階段や二段ベッド、布団などにも降り積もっていた。
 ベランダに家族6人分の布団とベビー布団を干し終わり、
お腹がカチンカチンに張った状態で
私が階下に下りてくると、
父は、
「この配線はこうでどうだ?」
「この位置にフードを付けるけど、どうだ?」
「ちょっとこの辺が曲がっちゃうんだけど、どうだ?」
と、いちいち聞いてくる。

 「私、わかんないから、まかせるわ」
 力なく答えたものの、優柔不断の父は、
どうでもいいことをいちいち私に決断させようとする。

 私は、お腹が張っているし、
家じゅうのものを拭いて回ったので、
すっかり疲れてしまい、少し休みたかった。

 「まかせるって!」
と言ったが、それでも父は、
「この木ネジ、どう思う?」
「ドライバーこっちの方がやりやすいかなあ?」
「ちょっとこっち来て見てみてくれよ」
と、常に私に返事を求め続け、
いっときも座らせてくれないのだった。

 そんなことが続いた後、
何とか新しい換気扇が付いた。
 父は、大満足だった。
 キラキラの瞳で、換気扇と私の顔を交互に見ては、
「どうだ? よく吸うようになっただろう?」
と言う。
 そんな無邪気な父を責める気にもなれず、
小さい子に言うように
「ああ、助かったよ、ありがとね〜」
と、言うしかなかった。

 無事換気扇も付いたし、
これで我が家にも静かな日々が戻るのかと思ったら、
それは甘かった。

 次の日も次の日も、父は、定時にやってきて、
「こっちに棚を吊ったらどうか」
「ここに耐震工事をやらないとダメだ」
と、あちこちのチェックを始めた。

 ちなみに、両親の家は、現在、
壁面が一切見えない。
 と、いうのも、日曜大工を趣味とする父が、
定年後、暇をもてあまし、
母が、夜更かしして昼まで寝ているのをいいことに、
勝手に必要以上の棚を吊りまくり、
家じゅうが棚だらけになっているのだ。
 棚をつけるところがなくなると、
今度は、地震対策だ、と、言いだし、
タンスやテレビをはじめ、細々とした小さいものまで、
家じゅうの物という物に金具をつけたり、
ヒモでくくったり、見苦しいまでにゴテゴテに
自己流のデコレーションを施していたのだった。

 いよいよ自分の家でいじるところが無くなったと見るや、
今度は、我が家に目を付け、
ご自慢の棚を吊りまくろうとたくらんでいるのだった。

 しかし、私は、
閉所恐怖症だし先端恐怖症なので、
棚は、目の前に突き出てくる感じで、
怖くてあまり好きではないのだ。
 以前、強引に鍋用の棚をひとつ、吊られてしまったが、
今度も、換気扇交換で気を良くした父は、
我が家の空いた壁を狙って通ってきている。

 現に、換気扇の横に、
何の相談も無く小さい棚を付けられてしまった。

 「そこは火が近いから何も置きたくないんだけど」
と言うと、
「じゃあ、ここは?」
「こっちの壁もあいてる」
「この出窓に付けてやる」
と、ノリノリなのだ。

 「ねえ、じい、
もう、うちは棚は間にあってるし、
窓は塞ぎたくないし、いらないんだよ」
と言っても、うちに来るたびに、
メジャーで壁のあちこちの寸法を測っては、
「あの1.5ミリの合板が使えるな」
などと聞き捨てならない独り言を言っている。

 このままではヤバいと思う。
 このじじいは、私の入院中に、きっと、
私を喜ばせようとして、
大きな棚をきっと吊りやがるにきまってる。

 留守中が、危ない!

 何度も何度も、
私が心底「棚嫌い」だということを力説して、
父に納得させなければ、
きっと、留守中に彼は、
「サプライズ」を起こすにちがいない。
 間違いない。

 そんなことで気を病んでいる間に、
ここのところ来ていた前駆陣痛も、
すっかり止んでしまった。

 心配で、体がお産どころではなくなってしまったのか?

 どうなる?
 第5子出産。

 出産予定日を過ぎても、痛くも痒くも無いまま、
ただ、不安な日々が過ぎていくばかりだ。



 (つづく)

(子だくさん)2005.11.3.あかじそ作