「 39歳のチャレンジ 13 」

 そこはまるでホテルのような産院だった。
 完全個室で、ひと部屋ひと部屋に
すばらしいシャワー室付き洗面所が完備してあり、
部屋の入り口には、暗証番号入力式のキーが付いている。
 安らかなオルゴールの曲が流れる
ロビーや吹き抜けの階段、廊下やエレベーター、
どこもかしこも、完全にホテルそのものだった。

 洗面所には、ピンク尽くしの洗面グッズが
「プレゼント」として置かれており、
産後、部屋で横になっていると、
次々と産院からのプレゼントが運ばれてきたのだった。

 まずは、よくあるミルクの缶詰や、
ベビーグッズの試供品セット、
そして、真っ白なファーストシューズ、
ガラスのフォトスタンド、可愛いアルバム、
タオル地のおくるみなどが入った紙袋が渡された。
 そして、その後、
「お好きな雑誌をプレゼントします」
と言われ、数分後、
リクエストした雑誌をプレゼントしてもらえた。

 部屋には、ナースコールではなく、
ナースステーションにもつながる電話が
枕元においてある。
 最新式薄型テレビには、スカパーも映り、
11チャンネルでは、24時間、
新生児室のアカンボの様子が見られるようになっている。

 産んだ翌日から、母子同室も可能だし、
夜中は、母親がゆっくり眠れるように
新生児室で預かってもくれる。

 バスタオルも、フェイスタオルも、
寝巻きも、洗面道具も、何もかも用意されていて、
何も自分で用意しなくてもいいようになっていた。

 食事も、個人病院ながら、
心づくしのフルコースが出てくる。
 フルコースと言っても、
フランス料理のような感じではなく、
運んでくるおばちゃんの手作り感がある、
毎度毎度、心温まるような内容だった。
 あるときはふぐづくし、またあるときは、寿司ご膳、
そして、必ず毎食、
自分では絶対買えないような高級フルーツも付く。
 毎日午後3時には、
プリンや甘さ抑え目のケーキなど、
素朴でおいしい手作りのオヤツが出てくる。
 しゃれたティーセットにレモンティーだったり、
渋いコーヒー茶碗に旨いコーヒーが注がれていたり、
とにかく、もう、衣食住すべてが、
ゆったりとゆとりのあるセレブ状態なのであった。

 また、すばらしいのは、設備や食事だけではなく、
医療面でも最善のサービスを受けられた。

 「後腹が痛くないですか?」
「痛ければ薬の量を調整しましょう」
と声をかけてもらえるし、
「痔になってるみたいだから、この薬を使ってください」
と、こちらが訴える前に薬を処方してくれるし、
「赤ちゃんがよく吐くので、一応保育器に入れて様子を見ますね」
と細かく観察し、看護してくれる。
 医師も、看護師も、みんな親切で、
親身になって心を尽くしてくれた。

 毎日毎日、息子たちの世話に追われて、
自分のことなどかまっていられない毎日を過ごしていた私は、
本当に久しぶりに、大勢の人たちに心からもてなされた。
 大切に扱われた。

 静かな病室で、ひとり、
窓の外の秋の紅葉が揺れるのを見ながら、
「大切にされる経験って、大事だな」
「優しくされると、ひとに優しくしたくなるな」
としみじみ思っていた。

 今まで、私は、「これが愛情だ」と思って、
子供たちに敢えて厳しく接してきたような気がするが、
必要以上に辛く当たってしまっていたかもしれない。
 子供たちがみんな、
イマイチ自信のない子に育ってしまっているのは、 
この「大事にされた経験」が
足りないからなのかもしれない。

 私自身、今まで、
夫や両親に大事にされているのだろうが、
その自覚が持てなかった。
 夫や両親のぶっきらぼうにな愛情に対して、
優しさをイマイチ感じ取れないでいた。
 笑顔ではなく、
不機嫌な表情や厳しい態度で、
私を心配し、愛してくれていることに対して、
理屈ではありがたく思っているが、
心から安心できるような気持ちにはなれなかったのだ。

 だから、私は、自分にいつも自信が無く、
気持ちに余裕も無く、
子供に対しては、愛情と称して
ガミガミケンケンしてばかりいるのだ。

 うちに帰ったら、
子供たちにもっとわかりやすい愛情を示そう。
 笑顔で、優しい言葉で、
子供を包もう。

 今までの生活は、「仕事」だった。
 今までの育児は、「飼育」だった。
 「人生」イコール「ノルマ」だった。

 生活を営むということは、
「毎日を楽しまなくちゃ」
と、理屈に脅迫されるのではなく、
「お茶を飲むこと」
「皿を洗うこと」
「オムツを替えること」
「子供と話すこと」
そういう具体的なひとつひとつのこと、すべてを、
具体的に楽しむことなんだ。
 気持ちに余裕を持ってやる、ということなんだ。

 ただ食べるだけなら、それは、「エサ」だ。
 ただ生きるだけなら、それは、「義務」だ。

 何も、家族ぐるみで友人一家とキャンプに行ったり、
おしゃれなホームパーティーを催したりすることが
「生活を楽しむ」ということじゃなく、
気に入った食器で食事をとることや、
笑いながら会話を楽しむこと、
そういう小さいことひとつひとつを楽しむことが、
「ちゃんと生きる」ということなんじゃないかしら?

 病室での静かな午後に、ひとり、そう思った。

 授乳時間になったので、
支度をして、部屋を出ようとして驚いた。
 壁の大きな鏡に映る自分の姿に。

 顔、シミだらけ。
 そして、髪になんと、シラガを2本発見。
 黒々とした髪が自慢だったが、
ついにシラガが出たか?
 あるいは、あまりにお産が猛烈で、
一瞬にしてシラガになったか?
 「あしたのジョー」に出てくるホセ・メンドーサのように。

 ああ、完全におばちゃんだ。
 今、新生児を抱いているのは、
おばちゃんになった私だ。

 確か、この間まで私は、「お姉さん」だった。
 その少し前までは、「小5」だった。

 親の愛を求める子供のまま、
私は、白髪おばちゃんママになってしまったようだ。

 ショックというより、
「へ〜〜〜〜〜〜〜〜〜」
という感じだった。
 子供も年をとれば、
シラガの生えたおばちゃんになるんだ、
愛して愛して、と乞うばかりだった人間も、
ひとを愛せるようになるんだ、
と、感心してしまった。

 みんなが子供をひとりかふたり産んで
気付くようなことを、
ドン臭い私は、5人産んでやっと学習した。

 大人になる、ということを。

 愛している者には、愛している、という態度をとろう。
 子供に対して、親が反抗期のような態度を取るのは、
間違っている。
 子供の反抗を、笑って「はいはい」と受け止める、
それが大人ってやつだ。
 大人が子供に受け止めていただいてどうするのだ。

 授乳が終わり、アカンボも眠ったので、
私は、部屋のシャワーを浴びることにした。
 最新式のシャワールーム。



 私は、裸になり、蛇口を回した。

 「ウギャ〜〜〜〜〜〜〜〜!!!」


冷水が上から 横から、
斜めから、
産後の私に振り注いだ。

 「イヤ〜〜〜〜〜〜〜〜!!!」

 蛇口をどうやっても、
冷水は止まらず、シャワー室から出ようにも、
鮮血が太ももをつたい、足元にだらだらと流れ落ち、
物凄い惨状となって、まったく動きがとれなかった。

 産後!
 高年!
 冷水!
 鮮血!

 ギャ〜〜〜!
 助けティ〜〜〜!

 いや、助けないで〜!
 この状況を、誰も見ないで〜!

 どこをどういじったのかわからないが、
何とか水が止まり、
私は、命からがら着替えを済ませた。

 何だったの! これ!
 死ぬかと思ったわ!

 愛について語り、夕日にたそがれた哀愁も、
一瞬で吹き飛び、
また私は、いつものパニック母ちゃんに戻ってしまった。

 子だくさん母ちゃんにとって、
シリアスは、いつも虹の向こう、
オーバー・ザ・レインボーなのね・・・・・・


    (つづく)

(子だくさん)2005.11.24.あかじそ作