「 39歳のチャレンジ 15 」

 第5子出産から7週が過ぎた。
 やっと最近、体調も精神状態も、
元の調子を取り戻しつつある。

 昼夜を問わず、
授乳後にユルユルウンチを排泄していたアカンボも、
生後1ヶ月を過ぎた頃から、
眠っている間は、ウンチをしなくなり、
夜中のオムツ換えから解放された。

 2、3時間おきにおっぱいを欲しがるが、
添い寝しながらペロッと乳を出し、吸わせるだけなので、
体を起こさない分、体に負担も少ない。
 そこは5人目の経験で、
絶対にアカンボの鼻と口をふさがないように
寝ながら授乳できるテクニックを身に着けている。
 というか、過去4人を完全母乳で育てた乳は、
昔のおばあちゃんのおっぱいのように、
あるいは、のしいかのように、
長く長く垂れ下がっており、
私の胴体がばっちり横になっていても、
ホースのようにアカンボの口に伸びてゆくのだった。

 第1子、第2子が生まれた頃の夜中は、
熟睡する夫を横目に、
私は、暗闇の中何度も起き上がり、
泣きながら授乳やオムツ換えをしていた。
 眠くて、疲れて、心底孤独だった。

 しかし、今は、違う。
 相変わらず夜は暗く寂しくて、
アカンボには、何度も起こされるのだが、
私は、幸せな気分で目を覚まし、
アカンボの顔をなで、
横になったまま乳を吸わせる。

 窓の外の満月をめでながら
私とアカンボは、犬の親子のように寄り添い、
互いにリラックスしながらエネルギー交換をする。

 ああ、つくづく寝るということは大切だと思う。
 ここ数日、体調が持ち直してきたのも、
私に充分眠りが足りているからだ。

 そして、夫が睡眠時間を削って
朝の子供の世話を一手に引き受け、
山のような洗濯を済ませてから出勤してくれるからこそ、
この回復は実現したのだ。

 第5子誕生にして、
やっと彼は、私とともに
保護者側の立場に立ってくれるようになった。
 こうなるまでが、実に長かった。

 過去4回の出産において、
夫は、ずっと子供と一緒になって
私の世話のもとに、生活していた。
 しかし、母親に甘やかされて育ち、
保護を受けるばかりだった甘ったれ男が、
何とか仕事に就き、仕事を続け、
ニョウボ子供を養うようになっただけでなく、
相手を思いやって家事育児までするようになるとは。
 長くかかったが、ようやっと彼は、
名実ともに父親に成長しつつあるようだ。

 「子供がひとりふたりいるのに、夫がまったく協力的でない」
ということを、嘆く必要はない。
 きっと、彼にはまだ経験が足りないだけなのだ。

 男も女も、親になるためには、
何度何度も失敗し、経験を積むことが必要なのだろう。
 ひとり子供を育てるだけで、
立派な親になれる利口な人もいれば、
私たち夫婦みたいに、
5人目でやっと人並に親らしくなれる人もいる。

 だから、「親としてだめな人」なんていないのだと思う。
 自分の学習能力に見合った経験を、
もうしているか、まだしていないか、ということだけだと思う。

 私たち夫婦に、5人も子が授かったのも、
そういう器だったからではなく、
ひととしてこれから生きていくために、
それだけの経験や訓練が必要な
未熟なふたりだったからなのではないか?

 そうだとしたら、
この子供たちは、なんとありがたい存在なのだろう。
 半端でなくわがままな私と、
半端でなく甘えた夫を、
一人前の大人に育ててくれるのだから。

 今、すやすやと眠る女のアカンボを見て思う。
 コヤツは、菩薩だと。

 今までも子供たちの寝顔を見て、
何度も「かわいいな」と思っていたが、
こんなに拝みたくなるほど有り難いご尊顔は初めてだ。

 自分に似ているからかわいいのではない。
 今まで自分を愛したくても愛せなかった分、
自分に向けるべき愛情までもが、
この自分似のアカンボに注がれてしまう。

 私は、生まれてこの方、
自分を嫌い、自分を信じなかった。
 しかし、この子には、
どうしても幸せになってもらいたい。
 適度に苦労をして、適度に経験を積み、
分相応の暮らしを得て、
幸福な女性になって欲しい。
 若い頃、つらい葛藤があったとしても、
最後は、自分を愛せる人になって欲しい。

 そこまで考えて、ハタと気づいた。

 今、私は、自分を愛し始めているのではないだろうか、と。

 「子を愛する」という形をとって、
自分を愛する練習をしているのではないか。

 この子にどう生きて欲しいか、と考えたとき、
私は、自分の生きてきた道のりを
そう悪くない例だと思った。

 確かに私は、
子供の頃から常に愛情に飢えていたが、
実際は、愛情がまわりに満ち満ちていた。
 ずっとそのことに気づかなかったが、
今は、気づいている。
 過去には、心も病んで、
人間関係も苦労したけれど、
今は、その経験をふまえて、
幸せや感謝の気持ちを抱きながら暮らしている。

 私は、この私似の娘が、
そういう生き方をして40歳を迎えたとしたら、
母として、
「よかったね。幸せな人生だね」
と言うと思う。

 そう、私は、自分が幸せであることに
この子に気づかせてもらえたのだ。

 この子に抱く母としての愛情が、
娘である私自身を抱きしめてくれている。

 長い間、たった1ピース足りないだけで
完成させられなかったジグソーパズル。
 その最後の1ピースを握りながら
この子は生まれてきたのだ。

 一時は、
「私に苦労をかけるばかりだ」
と思えた夫や4人の男の子供たちは、
実は、私を守ってくれていたのかもしれない。
 砂の城のように、形ばかり立派だけれど、
波に崩れていってしまうような、もろい私の心を、
水を掛けたり、シャベルでペチペチ叩いて、
固めていってくれたのだ。

 砂浜で、素足を波で洗われながら、
生まれたての女のアカンボを抱いて、
ゆっくりと周りを見回せば、 
砂まみれになって私を守る
5人の男たちが立っている。
 ひとりのおっさんと、4人の少年たちが、
キラキラした目で私を見ている。

 39歳のチャレンジ、
実は、これは、40歳を前に神様からもらった、
グリコのおまけだったのか。

 何が出るのかわからないのに、
チャレンジして開いてみたら、
結構いいおまけだったな。

 これで幸せな40歳になれるぜ!
 ハッピーなオババになっていくんだぜ!

   (了)

(子だくさん)2005.12.26.あかじそ作