「 続・体がやばい 」

 整形外科の待合椅子で、2時間待って、
やっと名前が呼ばれた。
 ここは、市立の総合病院で、
待ち時間がめちゃくちゃ長いことで有名なので、
生後2ヶ月のアカンボは、実家の母に預けてきた。
 一応、産院でもらったミルクの缶と哺乳瓶も預けたが、
哺乳瓶の乳首をくわえると「おえっ」と、えづくタイプで、
今まで何度試しても、一度もちゃんと飲んでくれなかったから、
きっと今日も飲めないだろう。

 整形外科の診察室に入ると、
なんとも可愛らしい20代前半のお嬢さんが座っていた。
 お医者さんだ。

 私の症状を、くりくりの目で一生懸命聞いている。
 そして、先週脳神経外科で撮った首のレントゲンを見て、
「正常の範囲内ですけど、若干骨と骨の間隔が狭いですね。
今まで、激しく転んだことはありませんか?」
と、聞いてきた。

 激しく転んだこと、ないですか? って・・・・・・
 誰に聞いてるの?
 私ゃ、一年に3回は頭を窓枠に強打して脳しんとうを起こし、
5回は、気絶しそうなくらい派手に転び、
かつて何度怪我や事故で救急車に乗っていると思う?

 自慢できることじゃないが、
私は、なぜか、得意な気分になり、
「何度もありますよ!」
と威張ってしまった。

 「転ぶのは、ホント、気をつけてくださいね」

 (だよね〜!)
 私は、深く深く、頷いた。
 目は悪いし、そそっかしいし、
第一、気持ちがそこへ行っちゃうと、
途中の障害物が一切見えなくなって
猪突猛進してしまうんだから、怪我が絶えない。
 
 きっと今まで、体だけでなく、心も、
その手の失敗で怪我しているんだと思う。

 「先生、左手のしびれと小指の関節の痛みなんですが
リウマチではないですか?」

 「いや、それはないでしょう。 リウマチは、左右対称に症状が出て、
それが半年続いて初めて診断されるんです」

 「でも、ごく初期の症状だったら、
半年様子を見ている間に、悪化しちゃうかもしれないですよね」

 「いやあ、でも、見切り発車でリウマチの治療を始めるのは危険ですから。
 それに、今、授乳中ですよね」

 「あ、はい」

 授乳中、と言われてハッとする。

 私は、授乳命のひとだ。
 実際、リウマチだとしても、何か他の病気だとしても、
私は、授乳を断つ必要が生じたら、
素直にその薬を飲むだろうか?
 今すぐ生きるか死ぬかの病なら少し考えるが、
そうでなければ、きっと授乳の方をとるだろう。

 「とりあえず指のレントゲン撮りましょう」

 そう言われて、レントゲンを撮った。
 で、写真を出してからまた1時間以上待ち、
やっと診察の番がきた。

 「やっぱり、骨は何でもないですね。シップでいいでしょう」
 「でも、先生、このまま放っておいていいんでしょうか?」
 「おそらく、私は、栄養の問題が大きいと思います」
 「栄養って・・・・・・(んなベタな・・・・・・)」
 「ともかく、よく栄養をとって様子を見てください」
 「は、は〜い・・・・・・」

 まじめでいいお嬢さんだったが、
イマイチもの足りなかった。
 で、今日一日、わかったことは、
「整形外科的には、異常なし!」
ということだけだ。

 そうそう、その可愛い女医さんは、
こうも言っていた。

 「MRIは、必要ないと思うなあ・・・・・・」

 しかし、これは、自分より先輩の
脳神経外科の医師に逆らうことになるので、
大きな声では言えないようであった。
 彼女は彼女なりに、信念はありながら、
医者の世界の義理や立場というところで
葛藤しているのであった。

 さて、狐につままれたような顔で実家に行き、
アカンボを引き取ると、両親は、
「背中のレントゲン撮ってもらわなかったの?」
と、キョトンとしている。

 そうか、そういうこともあったか?

 しかし、医者が必要ないと言っているんだから、
必要ないんじゃないか?

 どっちにしろ、2〜3日後には、
MRI検査を受けるんだから、何かあったらわかるだろう。

 それにしても、やはり、
アカンボは哺乳瓶をくわえることなく、
腹が減ってビービービービー泣いていた、とのことだった。
 母親も体調がすぐれないというのに、
何時間もずっと抱いていなければならなくて、
非常に申し訳なく思う。
 ああ、生まれたてのアカンボを預けるのは、
預ける方も預かる方も大変だ。

 とっとと、この一連の騒ぎに終止符を打たねば。

 それから2〜3日後、
またもやアカンボを実家に預け、
脳神経外科に行くと、MRI室に通された。
 以前、長男を産んだ後に、
背中が異常に痛んだので、やはりMRIを受けたが、
そのときは「黄色靭帯骨化症」と診断された。
 カチ、カチ、カチ、カチ、と、規則正しい音が鳴り、
むんむんの磁気の中で、45分間、
気持ちよくうたた寝した覚えがある。
 強力磁気に包まれるせいか、
心なしか、頑固な肩こりも治った気がしたものだ。
 さて、今回は、何がでるやら。

 慣れた調子で機械に横たわり、
検査技師の説明もふんふんと軽くうなづいて、
検査が始まった。
 始まって、驚いた。

 こここ、こえ〜〜〜〜〜〜〜!!!

 前は、背中の検査だったせいか、
それとも13年前だから今とは違う方式だったのか、
とっても開放感のある検査だったのだが、
今回は、脳の撮影ということで、
頭は左右から固定され、
顔のすぐ前でカバーがかけられ、
狭い検査の筒の中で、
さらに顔はぎゅうぎゅうに狭く狭く包まれてしまった。

 閉所恐怖症の私には、それこそ地獄であった。
 目を閉じていれば、
狭いということを忘れてしまいそうなのだが、
問題は、音だ。

 数分おきに
「ンガガガガガガガガガガガガガガ」
だの、
「カチゴーン、カチゴーン、カチゴーン、カチゴーン、」 
だの、
「ギョイ〜ン、ギョイ〜ン、ギョイ〜ン」
だのという、必要以上に破壊的でデカイ音が、
耳元で30分以上も鳴り続けるのだった。

 工事現場に頭だけ突っ込んでいるような、大音量!

 しかも、顔が目の前で包まれていて、
少しも身動きするな、と言われている。
 咳払いをするな、と言われると、
なぜか、痰がからまってきて、
どうしても咳払いをしたくなってくるし、
くしゃみするな、と言われると、
鼻がむずむずしてくる。

 じっとしていることがこれほどつらいことだとは!

 目をつぶって、言われれば、
目を開けたくなるのが世の常で、
やっぱり、何度か目を開けてしまったが、
あまりに狭くて息が苦しくなってくる。

 もし今、刃物を持った悪者が、
外から出入り自由の検査室にすいすい入ってきて、
襲ってきたら、逃げ場がないではないか?
 検査技師が襲われてしまったら、
私は、誰かに気づかれるまで、
ずっとずっと、このギュウギュウな中、
猛烈な磁気と破壊音に、
がんじがらめになっていなきゃいけないのか?
 待てよ、今、大きな地震がきたら、
この筒が私の棺おけになるんじゃないのか?

 そんなことを考えていると、
どんどん怖さは倍増していき、
ちょっとしたパニックを起こしそうだった。

 狂おしい30分がやっと終わり、
検査の機械から出されて、
検査技師に聞いてみた。

 「この検査、パニック起こす人いませんか?」

 すると、彼は笑って、
「ええ、いっぱいいますよ。決して気持ちのいい検査ではないですからね」

 そうだろうなあ。
 私は、気持ちのいい検査だと思って受けたので、
その気持ち悪さと言ったら、もう、クロスカウンターだった。

 そんな必死な思いをして撮った脳の写真は、
めちゃくちゃ素晴らしい出来だった。

 脳神経外科の先生が言うことには、
「きれいな脳だなあ〜。血管も、どこも細くなっていないし、詰まってもいない。
この年齢にしては、素晴らしくきれいな脳ですよ」
とのことだった。

 ああ、また、内面をほめられました。

 血は濃くていい血、きれいな血。
 子宮は、強靭、陣痛促進剤も、ものともしない。
 骨は太くて、骨折知らず。
 そして、今回、またほめられました、脳みそを。

 ああ、見えないところが、きれいだね、マイバディ♪

 子供の頃から、何度も何度も何度も何度も、
頭を強打していたので、
軽く血栓くらいはできているかもしれない、
と、覚悟していただけに、
新鮮な白子のごとく「むっちりぷりぷり」な我が脳に、
あきれるほどだった。
 病気どころか、旨そうでさえあったのだ。

 医者は、こう言った。

 「整形の先生もカルテに書いているけど、
やっぱり、ビタミンBの欠乏症なんかも関係していると思うよ。
授乳中だし、疲れも溜まっているだろうから、
栄養に気をつけて、安静にしていると、いずれ治ると思うけどなあ」

 なるへそ。

 そう言われると、心当たりがある。
 私がかつて体の不調を感じていた内容というのは、
「倦怠感」「口内炎」「膣炎」「妊娠悪阻」などで、
それらは、調べてみたら、
みんなビタミンB群の不足からくるものだった。
 それがわかってからは、食べ物にも気をつけている他に、
毎日、サプリメントで補っては、いたのだ。

 それが、今回、授乳でさらに不足した上、
疲れや睡眠不足やストレスで自律神経が失調し、
「手のしびれ」や「関節の痛み」、「下半身の倦怠感」などが、
症状としてあらわれたのだろう。

 ああ、おそるべし、ビタミン欠乏症。
 おそるべし、自律神経失調症。

 大きな病気ほど派手ではないくせに、
また、死ぬほどの苦しみではないくせに、
日常生活に思いっきり差しつかえるヤツラ!

 疲れた現代人に忍び寄るヤツラをやっつけて、
明るく楽しく暮らすためには、
やはり、昭和の暮らしをするしかないではないか!

 家族は、ちゃぶ台を囲んでメシを食い、
「今日は、いいお肉が手に入ったんですのよ」
と、お母さんが新聞紙に包まれた鶏肉を取り出し、
子供たちが「わーい」と言って座敷を駆けずり回り、
お父さんが、「コラ〜!」と言い、わっはっは、と笑う。
 お母さんは、「おほほほほ、まあまあ」と微笑む。

 ああ、こうやって新聞紙から「ビタミン」を取り出し、
ありがたや、ありがたや、と、おいしく楽しく摂取して、
微笑みながら暮らせたら、
みんな神経も荒ぶることはなかろうに。

 こんな普通の暮らしが、今、なぜできぬ?
 お父さんが家に帰れないほどしゃかりきに働いて、
もらったお金で子供は、ゲームを買い、
子供部屋にエアコンを付けてテレビを置く。
 それじゃ、当然、部屋から出てきやしないだろう。
 お母さんが働いたお金で夜遅くまで塾に行って、
ご飯は、子供ひとりでファーストフード?

 昭和は、茶の間にひとつしかないこたつやストーブに、
家族みんなが集まって、肩寄せ合って冬を過ごした。
 一家にひとつしかないテレビに、みんなでかじりついて、
笑ったり、驚いたりしていた。

 かつてあんなに欲しがっていた金が、物が、
家族をバラバラにしていく。
 今まで持っていた大事なものさえも、
金や物と引き換えに、売り払ってしまった。
 そして、私たちが手に入れたものは何だ?
 それは、本当に私たちを幸福にしてくれるものなのか?
 我々は、豊かになったのか?


 体がやばい。
 私だけでなく、今、日本中が、世界中が、
大人も子供も、みんな、
体も心も、やばいのではないか?

 金金金金、自分自分自分自分、の世の中。
 人として本当に大事なことを大事にしないと、
もう人間は、自滅してしまうのではないのか?

 豊かさ、って何だ?
 何度でも何度でも、問いかけよう。
 心も体も、生きる喜びをうたえるような、
豊かな生活、ってどんなんだ?
 田んぼだらけの片田舎に住むおばちゃん(私)の体の芯にまで、
その危機感は迫ってきているんだぞ。

 なんとかせねば、だよ〜〜〜!
 今、我々が、金や物を質に入れても、
取り返さなきゃならないものは、何なんだ〜?



        (了)

(しその草いきれ)2006.1.23.あかじそ作