「 では、どうしたら @ 」

 子供を心身ともに健康に育てるために、
我々大人ができることは、何だ?

 狂ってきた社会を、
安心して暮らせる世の中に変えるために、
私たちができることは、何だ?

 人生を楽しく生きよう、と、いつも言うけれど、
じゃあ、実際、何をどうすりゃいいの?

 ここへきて、自分が、
どの答えも出せていないのに気付く。

 疑問や質問ばかりがわいてくるのに、
答えは、いまだ導きだせていない。

 ここいらで、ちゃんと立ち止まって、
ひとつづつ具体案を出していこうではないか。

 まずは、子育てについて。

 私には、ずっと、悩んでいたことがあった。
 三男との相性の悪さ、である。
 このことを教材にして、
子供の心との付き合い方について考えてみようと思う。


 かつて、あんなにデレデレに可愛がっていた三男に、
私は、いつから、つらく当たり始めてしまったのか、
何でそうなっちゃたのか、と、いつも考えていた。
 いつもニコニコしていたアカンボが、
やがてだんだんと気質や性格がはっきり現れてきて、
「ん? 何か腹立つ」と思い始めてから、
次の子が生まれ、バタバタしているうちに、
やたらと衝突しあう仲となってしまった。

 三男は、3歳過ぎまで、ひどいアトピー性皮膚炎で、
顔や体じゅうが、血まみれだった。
 痒さ、痛さ、眠さ、
そして、原因不明の足の関節痛などのせいか、
1歳を過ぎてから幼稚園に入るまで、
毎晩、狂ったように泣き、暴れていた。
 それを、私や夫が深夜交代で押さえつけ、
疲れて眠るまで羽交い絞めにしていた。

 はじめは、優しくさすったりなでたりしてなだめていたのだが、
ヤツは本気で親を殴ったり蹴ったり
ガラスを割ったりするので、
こちらも力づくで押さえつけるしかなかった。

 そして、散々暴れて朝になると、ケロッと忘れている。
 神経質な子によく見られる、
いわゆる「夜驚症」の一種だと思って
(現に長男もその傾向があり、数ヶ月後に治まったことがある)
眠い眠いと言いながら様子を見ているうちに治ってしまった。

 しかし、今度は、起きている間、
そのかんしゃくが起こるようになった。
 兄弟喧嘩が始まると、「プチッ」といきなりスイッチが入り、
発狂したようになって、わめきながら相手を殴り続ける。
 相手が泣いて謝っても、決して許さずに、
自分の泣き声にどんどん興奮して、
ますます暴れて家のものを壊し、
家族全員で押さえつけても、
その興奮はエスカレートするばかりだった。

 一時は、精神疾患を疑い、
病院に連れて行こうと思った。
 アドレナリンの分泌が異常なのかもしれない、と思ったのだ。

 しかし、それも日々の忙しさで後回しになり、
家のものがことごとくボコボコに破壊されたまま暮らしていた。

 学校に行くようになると、
最初は、「いじめられた」だの「仲間はずれになった」だのと、
被害妄想的な発言が目立ったが、
友達ができて、毎日公園で暗くなるまで思いきり遊ぶようになると、
家で暴れたりいじけたりすることもなくなってきた。

 しかし、そういう連日の格闘が数年続いてからは、
私は、すっかり三男に対して、
投げつけるような話し方しかできなくなっていたし、
基本的に無愛想になっていた。
 自分の中で三男を、どこか、「やっかいなヤツ」
と位置づけて、つらく当たっていたのだと思う。

 四男が生まれるまでは、
あんなに可愛くて、お互いうまくいっていたのに・・・・・・。

 なぜなんだ?
 相性の良し悪しはあるとしても、
それにしても、なんでここまでこじれてしまったのか?

 そして、そのなぞが、昨日の晩、解けたのだ!

 可愛い可愛い、といつもチュッチュしていた四男が、
年がら年中べらべらしゃべっていて、
ちょっと気に食わないとビービービービー泣いているので、
アカンボの世話に疲れ気味の私は、ついつい、
「うるへ〜!」
と般若の形相で怒鳴ってしまった。
 すると、四男は、心底びっくりした顔をし、
そして、そんな叱責を繰り返し受けているうちに、
だんだんと怯えた態度になってきたのだった。

 下の子が生まれる前は、
何をしても、どんなに騒いでも、
「かわいいのう」というリアクションで、
いつもみんなの注目の的だったものが、
下の子にその座が奪われてしまうと、
周りの自分に対する扱いがまったく変わっているのに戸惑い、
情緒不安定になって、余計にビービービービー泣くのである。

 今まで、ずっと笑顔だった母親が、
その自分に向けていた笑顔を、
新しいアカンボに向けている。
 自分は、今までと同じことをしていても、
突然煙たがられて、どうしたらいいのか、混乱しているのだろう。

 私は、三男の情緒不安定の理由が今、はっきりわかった。

 これだったのだ。

 自分が末っ子じゃなくなった途端に、
母親が自分に優しくなくなってしまったからなのだ。

 そういえば、私の気分が乗っているときに、
ニコニコ笑いながら話していると、
たまたま目が合った三男は、ものすごく嬉しそうに笑う。
 いつも、何度言っても言うことを聞かないのに、
その日は、素直に動く。

 三男が一番顕著ではあるが、
この傾向は、他の子にもあてはまる。

 やはり、みんな、怖い母親に怯えているのだ。

 夫が家に居ないことが多いから、
自分ひとりで、しっかりしつけようと必死になるあまり、
私は、子供たちに、厳しくしているが、
厳しいばかりなので、みんな萎縮してしまっている。

 いや、厳しくたっていいのだ。 
 それより、笑顔を忘れてしまっていることが、まずいのだ。

 「厳しい父親」と、「優しい母親」、
両方やろうと思っても、ついつい「口やかましい母親」になってしまい、
「厳しい父親」も「優しい母親」も不在の、
うるさくてめんどくさい家庭になっている。

 子供が部屋にこもるのも、
誰にもじゃまされずにゲームをしたいからだけではなく、
親と一緒に居たくないからなのだろう。

 普通、友達とは笑顔で接する。
 感じよく振舞う。
 しかし、家族には、身内意識から、
無愛想になり、気分次第で接してしまうが、
やはり、家族とて、
感じ悪いヤツとは一緒にいたくないのは当然だろう。
 我が子だから、夫だから、妻だから、親だから、
気を使わなくていいんだ、それが家族だ、
と思うのは、大間違いなのかもしれない。

 無愛想で気分屋で、感じ悪い友達とは、
付き合いたくないのと同様に、
いや、それ以上に、いつも一緒に暮らす家族は、
一緒に居て苦痛なのは嫌だ。

 家庭とは、
家族みんなが気分次第で悪態をつき合って、
ストレスを発散する場ではなく、
笑顔を向け合って、外で傷ついたプライドを
互いに修理しあい、安心しあう場なのだ。


 そういえば、私は、泣き喚くアカンボより、
笑うアカンボを見たいと思う。

 この年になっても、
眉間にしわを寄せて説教してくる両親よりも、
笑っている顔の両親を見たいと思うのだ。

 みんな、笑顔を向けてほしいんだ。
 みんな、自分に笑いかけてもらいたいんだ。
 アカンボだって、大人だって、ジジババだって。
 みんな、笑顔でホッとするんだ。
 トンボだって、カエルだって、アメンボだってさあ!

 いまさらながら気づいたぞ。
 こんな簡単なことが、私は、できていなかった。

 子供の心を安定させて、健全に育てるということは、
難しいことではなくて、笑いかけることでいいんだ。 


 自分のためにしかってくれているんだ、と、頭でわかっていても、
やっぱり、怖い人は、嫌な人だ。

 そして、自分に笑いかけてくれる人は、やっぱり好きになると思う。
 好きな人は、大事に思う。
 好きな人のことばは、大事に受け止める。
 
 だから、何度も何度も怒鳴らなくても、一回で動いてくれる。
 そして、こっちもイライラしなくて済む。

 それでは、まずひとつめの答え。
 具体的な答えは、これだ!

 「家族に笑顔を向ける」

 これだ。まずこれが、一番初めにできることだ。
 あほみたいに「ベタ」だが、これがなかなかできないのだ。
 しかめっ面で、ガミガミ言うのが癖になっていて、
子供や夫に笑顔で接することが、めちゃくちゃ照れくさく感じる。
 しかし、照れずに笑顔。 これから始めよう。

 しかし、いつも笑顔だと、絶対になめられる。
 なめられて、言うことを聞かなくなって、しつけもうまくいかず、
結局、子供は、ダメ大人になってしまう。

 親は、基本笑顔で、子供は、安心。
 ところが、あるとき突然激怒されると、
子供は、びっくりして、
「これは、よほど悪いことをしてしまったのだろう」
と感じるだろう。
 自分を愛してくれる、大好きな人が、表情を曇らせて、
「それはやめて」
と、ひとこと言えば、びっくりし、
嫌われたくないと思って、素直に言うことをきくだろう(と思いたい)。

 しかし、いつも親が般若の形相だったら、
親がどんなに特別な思いで叱っても、子供は、
「今日は母ちゃん、虫の居所が悪いな」
くらいにしか思わず、叱られている内容については、
まったく何も感じないまま過ぎてしまう。

 まあ、とりあえず、自分の顔の表情の基本形を、
「般若ベース」から「笑顔ベース」に
意識して変えてみよう。

 小難しい育児論は、さておき、
「とりあえず笑っとけ戦法」で行こう。
 そして、叱るときは、内容のみを一言でズバリ言う。

 「まったくアンタは、いつもこうなんだから。
 そういうところは、お父さんにそっくりね。
ていうか、お父さんのお母さんに似たのかもね。
 つーか、お父さんてしつけがなってないのよね。
どういう育てられ方したのかしら。
 結局、お父さんの親が悪いんだわ。
 お母さんがこんなに苦労続きなのも、
あんたのお父さんと、その親たちがダメ人間だ、ってことなのよね」

 ・・・・・・などと、個人的な恨みつらみを怒りにまかせて
グジグジグジグジ子供に言ってはいけないのだ。
 現に、いつもそう言っていた私が、
子供のしつけに失敗しかかっているではないか。

 まあ、それはともかく、
お母ちゃんの笑顔によって、
未来を築いていく子供たちの心が安定し、
社会の一番ベースにある家庭が安定すれば、
結果、社会も安定していくだろう。

 猟奇的な犯罪も、利己主義的な風潮も、
正体の見えない「社会」が悪いのではなく、
突き詰めていけば、「家庭」が悪いのだ。

 世直しするなら、家庭からだ。
 現代の水戸黄門は、各家のお母ちゃんなのだ。

 お母ちゃんが笑顔でいるためには、
自分も誰かに笑顔を向けられていなければつらい。
 お母ちゃんも、誰かに微笑まれる必要がある。

 ホントは、配偶者であるお父ちゃんが、その役目なのだろうが、
そのお父ちゃん自身が、
誰にも笑顔を向けられずに暮らしていたとしたら、
それも無理だろう。

 まず、家庭を開拓する意味でも、
お母ちゃんは、お父ちゃんに笑顔を発射しよう。
 心の中で(このハゲオヤジめが!)と思っていても、
嘘でも演技でもいいから、
とりあえず、「世のため人のために微笑む自分」のために、
ハゲオヤジ(おっと、失敬)「愛する夫」に微笑んでおこう。
 微笑返しをゲットするために。

 その、オヤジの
(何ですか、何か目的があるんですか?その笑顔)
という疑い混じりの微笑返しを原料にして、
お母ちゃんは、自分の笑顔を生成しよう。

 オヤジがダメなら、子供でやろう。

 子供がダメなら、
友達でも、親でも、韓流スターでもいいから、
自分の笑顔を作る原料を仕入れよう。

 明るい家庭と明るい社会、
明るい未来を作る具体策は、
とりあえず、こういうことで。


 次回、「では、どうしたら A」では、
「では、どうしたら、楽しく、リラックスした人生を送れるか?」
を考えます。
 みなさま、ごきげんよう。

 って、教育テレビか?!


     (了)

(しその草いきれ)2006.1.27.あかじそ作