「カラホー(colorfull)」
  テーマ★あの夏の日


ある夏の晩、京浜東北線・王子駅で、私は、青い珊瑚礁を見た。
それは、真夜中の改札口付近に広がり、冷たい蛍光燈に反射して、
キラキラと輝いていた。
その10分前、電車の中で私は、こみあげてくる何かをこらえながら、
ある一点を見詰めていた。
出口ドア付近の手すりの下・・・・・・。
そこには、まるで直径30センチのスポットライトが当たっているように見えた。

<ナイス・嘔吐・スポット>

かなり飲んでいた。
ギラギラに暑い夏の日だった。
12時間近く働いて、もう、飲まずにゃ帰れないほど疲れていた。
職場の仲間と居酒屋で、冷酒をがぶ飲みした。
もずくをつまみに。
あまりに旨そうに、もずくをすする私に、同僚たちは、「もずく一気」をコールした。
「も!ず!く! も!ず!く!」
「そら、もう一杯! そら、もう一杯!」

・・・・・・馬鹿だった。
16杯食べた。
ハラペコで、もずく16杯で、冷酒がぶ飲みである。
胃の中に、神秘の深海がゆらめいていた。

何とか車内嘔吐は免れた。
が、ふらつきながら歩く私には、幾つものミニ・スポットライトが見える。
階段の端、ごみ箱の中・・・・・・。

――ダメだ。

私は、当時同棲中の夫に、改札横の公衆電話で連絡しようとした。

「はいっ! もしもしっ!」

深夜になっても勤めから帰らぬ彼女を心配する、若い男の声。
私は、すぐに
「迎えに来て」
と、言おうとしたが、声が出ない。
喉元で、声の上に酸っぱい何かが乗っかっていて、塞がっている。

「うんむっ、うんむっ、うんむっ」
「おいっ、今どこ?!」
「うんむっ、うんむっ」(重くて声が出ない!)
「大丈夫か?! どこにいるのっ?!」
「うんむっ、うんむっ」(声出してやるぅ!)
「何かあったのかっ?!」
「うんむっ、うんむむむむむむむむむ〜〜〜〜〜」(何か乗っかってるけど、それごと出す!)
「どうしたっ?!」

「うんむっ、うんむっ、うんぼえ゛え゛え゛え゛え゛え゛え゛え゛え゛え゛え゛〜」

「おい、どした!」

「キレイ・・・・・・」
「何が!」
「青いよ」
「何が!」
「青い珊瑚礁が・・・・・・青いよ・・・・・・」
「何言ってんのぉ?!」
「透き通っていて、どこまでもつづく、海の青、空の青」
「どこ?!」
「王子駅」
「そこで待ってろ! 動くなよっ!!」

いつまでも眺めていたい美しさだった。
胸につかえていたモヤモヤを、一気に解消したすがすがしさ。
王子が沖縄になった。

「なるほどね・・・・・・」
いつの間にか、彼が私の横にいた。
「もずくと、ポン酒だな。そりゃ青いわ」
「イエス、アイ、ドゥ〜」
「ドゥ〜、じゃねえよ! ほら、背中に乗れ!」
「お〜う、ドン・エングルゥイ〜」
「ダミだ!」

彼は、私を強引に背負うと、家路についた。


そして、10年の月日が過ぎた――。


市の無料胃がん検診を終え、バリウムを出すための下剤を飲んでから、
私は、買い物に出掛けた。
黒糖蒸しパンと、カレールー、焼き海苔をカゴに入れていくうちに、
突如、胃から腸にかけて、私とは別の生命体が宿った。
暴れるその<ブラウン・スネーク・カモン>は、私の顔の南半球を、
サブイボで埋めつくした。

生まれる!

その陣痛は、産気付いたと思ったら、即1分間隔だった。

帰る!

さっさと会計を済まし、家へと走った。
大通りを、取り憑かれたように、無表情で駆け抜けた。
家のトイレに飛びこむと、秒速30メートルで、ヤツが出て行った。

・・・・・・危なかった。
便器を覗くと、バリウム混じりの、綺麗なミルクティー状のものがあった。
さながらそれは、春のイングリッシュ・ガーデン、午後3時、というタタズマイであった。

危うく、「ミルクティー・オン・ザ・ロード」であった。

私の体からは、カラフルな汁が出る・・・・・・。

青いものを出した、あの夏の日から、10年。
今日は、ミルクティー色だった。
そして、明日は、一体、何色?


(おわり)