「 スタイル 」

 自分のスタイルが決まれば、自分らしく生きられる。
 自分らしく生きられれば、魂がいつもいい感じに躍動し、
多少のストレスや逆境をも、跳ね除けられる気概ができる。

 そんな風に思えるようになったのだが、
それじゃあ、どうすれば、
自分のスタイルというものを発見できるのだろう?

 いつもいつもマイペースな家族に振りまわされ、
勤めに出れば、その場のムードに完全に飲み込まれ、 
自分のペースを完全に見失っている私は、
どうしたらいいのか?

 子供の頃から、優柔不断で、
いつも「どうしようどうしよう」が口癖の私に、
「こうしよう、これっきゃねえぜ!」
と、言わしめる、「私のスタイル」とは何ぞや?

 そうだ!
 「どうしよう、どうしよう」をやめればいいんじゃないか? 
 いっそ、「どうしようもない」状況になっちまえばいいんじゃないか?

 「こっちとこっち、さあ、どっち?」
という状況が、私を必要以上に迷わせ、
ストレスになっているんじゃないか?

 私には、「選択の自由」があるはずなのに、
その自由自体が、私を悩ませているんじゃないだろうか?

 「どっち? どっち? さあさあさあさあ!」
という、強迫観念こそが、ストレスの原因だとしたら、
いっそ、「これしかない」と、道が決められている方が、
腹が決まるというものだ。

 大体、私のようなアナログな人間にとって、
今の時代は、刺激が多すぎる。
 選択肢が多すぎるんだ。

 「さあ、あなたは自由です、選び放題です、
選択肢は、次の100000000個です。
 さあ、どれでも好きな道をお行きなさい」

って言われたって、その100000000個を一個一個見るのに
時間と労力を費やしてしまって、見ているうちに人生が終わってしまう。
 要領が悪いものだから、一個一個、ちゃんと見ようとして、
一個か二個見ただけで、人生の時間切れになってしまう。

 自由自体は、とてもいいことだ。
 この自由を勝ち取るために、何万人の血が流れたか知れない。
 しかし、この自由の使い方を知っている者が、
果たしてどれだけいるのだろう?

 たいていの人が、わけわかんなくなっちゃっているんじゃないか?
 輸入物の「自由というブランド」を、
ただ身につけるだけで「セレブ」になった気になっているんじゃないか?

 使い方を知って、初めて、我々は、自由になれるんだ。
 私は、目の前に何千何百という選択肢を並べられながら、
そのひとつも選べずに混乱している一人だ。

 私のスタイルを見つけて、それを確立したい、
 そして、周りに流されずに楽しんで生きたい、と思うのなら、
狭い世界で凝り固まっていては、きっとダメだ。
 新聞を読み、本を読み、いろいろな種類の人と会い、
いろいろな場所に出向き、いろいろやってみなければだめだ。

 「ここ」しか知らない、
「この中から選べ」という頭しかないのでは、ダメだ。

 「ここ」からはみ出して、「その他」を探し回り、
思いっきり、決められた枠の外にはみ出さなければ、無理だ。

 今、自分のスタイルが見つけられないのは、
まだ、自分にドンピシャなものと出会っていないからなのかもしれない。

 80年生きたとして、79年11ヶ月、
自分のスタイルを見つけられなかったとしても、
最後の1ヶ月で、それを見つけられたら、
それは幸福な人生だ。

 今の状況にあきらめないで、
一生をかけて、自分のスタイルを探し続け、
確立して行こうではないか?

 それにしても、我が父、じじじそ・・・・・・

 生まれながらに自分のスタイルを確立している、
ハッピーじじい、じじじそよ!

 お前は、幸福なじじいだ!
 周囲の人間の自由をエサにして、
どんどん充実したマイスタイルを築く男、じじじそ!
 
 うらやましいぞ、バカヤロー!


     (了)

(しその草いきれ)2006.2.13.あかじそ作