「 知らんうち 」

 妻は、ときどき、目の前の夫に対して、

「誰だこいつは」

と、びっくりしてしまうことがある。

 毎日、家事育児仕事、と、
忙しく暮らしていて、
一緒の世帯を運営している相手に向かって、
「こいつ誰なんだ!」
と、ギョッとすることがあるのだ。

 両親や弟ではなく、
また、自分の産んだ子供でもない、
あかの他人が、
今、こうして同じ屋根の下に暮らしている。
 で、無意識に「家族」としてくらしているけれど、
急に気付いて意識して相手を見たとき、
「誰?!」
と、純粋に違和感を覚えてしまうのだった。

 こいつ、本当に誰なんだろう。
 何でこいつと一緒にいるんだ?

 妻は、「その男」とのなれそめを思い返してみた。


 妻は、大学時代、あるサークルでその男と出会った。
 大学に入ってからひとりかふたり、男と付き合ってみたが、
どの男も何だか「女子」と付き合いたがっているが、
どうしても自分じゃないとダメ、という風でもなかったので、
何だかむなしくなって別れた。

 しかし、同じサークルの4年も先輩が、
なぜか卒業できずに部室に住み着いているのが目に付き、
日がな一日茶をすすったり、
パンの耳をうまそうに食していたりしている姿に、
「生物的な興味」をそそられた。

 彼は、みんなに「先輩先輩」と言われながらも、
ちっとも先輩の風格がなく、
ただただみんなと一緒にギターで歌を歌ったり、世間話をしては、
部室に常備してある「タダのお茶」をすすっていた。

 聞けば、住んでいるアパートはあるが、金が無く、
友達はいるが、仕事が無いらしい。

 ろくなものを食べていないらしく、
えらくやせているので、
時々学食のチケットを買って渡したり、
弁当を作ってあげたりしていた。

 妻は、子供の頃からおせっかいで、
困った人がいると放っておけないタイプだった。
 「その男」は、いつもいつも可哀想な捨て犬のような空気を放ち、
おせっかいな妻がエサを与えては、飼いならしていた。

 ある日、本当に嫌なことが続いて、
妻の周りに味方が誰もいなくなってしまった。
 サークル内では、誰が振りまいたか、
嫌な噂をたてられ、いづらくなっているし、
弟は家出してしまうし、
母親は仕事で家に居ないし、
父親は、そのことでイラついて、
二十歳を過ぎた自分を連日殴る蹴る、という日々だ。

 妻は、もう、何もかも信じられなくなり、
たったひとりで、どうしようもない思いをもてあましていた。
 誰もいない部室で、ひとりで部日誌を読んでいた。

 そこには、いつものように静かにお茶をすする男がいた。
 誰もいないと思っていたが、
気配もなく、その男は、部屋の隅で茶を服していた。
 そのうち、部屋の隅に転がっていたギターを弾いて、
中島みゆきを歌いだした。

 「うらみ〜ます〜♪」
だの、
「ひと〜り上手と呼ばない〜で〜♪」
だのと、
ひと通り暗い曲を弾き語っていたので、
妻もついつられて、一緒に
「別〜れは〜いつもついてくる〜♪」
と声を揃えて歌ってしまった。

 誰もいないと思っていた部屋には、実は、その男がいて、
知らぬ間に、一緒に歌を歌っていた。

 で、知らぬ間に、一緒に暮らし、
知らぬ間に、たくさんの子供を育てている。

 「で、コイツ、一体誰なんだ?!」

 妻は、思う。

 こうして知らぬ間に添い遂げ、
知らぬ間にメオトとして一生を終えるんじゃないか?

 へ〜〜〜〜〜〜〜んなの!!!

 惚れた覚えもないし、恋に燃えた覚えもない。
 ただ、知らんうち一緒にいる。

 こんなんでいいんか?

 妻は、首をかしげてみたが、
日々の忙しさに、そんな疑問もまたどこかへ追いやられてしまった。

 ああ、知らんうち、こうして日々は、過ぎていく。


    (つづく)
(夫婦百態)2006.3.6 あかじそ作