「 私の新学期 」

 子供たちは、今日から新学期だ。
 朝、早起きはつらいけれど、
昼間のいっとき、シンとした時間を持てるのは、
イライラした神経を鎮めるのに非常に有効だ。

 四男が今年幼稚園を卒園し、
やっと連日の「チマチマ弁当作り」と
辛かった送り迎えから解放される。

 朝、居間に居ながらにして、
「みんな行ってらっしゃい」と送り出すだけで、
ボサボサボロボロで、
スッピンを超えたスッピン(怖)の姿を
近所の人や幼稚園の先生にさらさなくて済む。

 思えば、幼稚園バスの送迎は、
便利なようでいて、実に微妙だった。

 月3000円の「交通安全費」という名のバス代を払い、
家の近くまで毎日来てくれるのはありがたいことだった。

 雨の日雪の日も、
下に大勢小さい子を連れて送り迎えをしなくて済むし、
送迎に伴う、お母さん同士のエンドレスな井戸端会議に参加しなくて済む。

 しかし、幼稚園バスの到着時間というものは、
実にまちまちで、猛烈に遅れるときもあれば、
まだ外に出る前に玄関チャイムをピンポンされることもある。

 猛烈に遅れるときは、
寝そうで寝ない、起きそうで起きない、という、
微妙な状態のアカンボを家の中に置いて
家の前のバス停に20分くらい待つこともあり、
アカンボが心配で大いに気をもむ。
 だからと言って、風邪をひいているアカンボを、
豪雨の中で数十分抱いているのも良くない思う。

 アカンボのことは置いておいても、
大幅に遅れたときの、近所の目もうるさい。
 近所でも、知り合いの人とは、
世間話などしながら待っていられるが、
向かいのマンションの住人の、
「誰お前、いつもずっとそこに立ってるけど、気持ち悪いぞ」
という白い目が困る。

 母親の私でさえそういう目で見られているのに、
夫や私の父など、「男」が同じ場所にずっと立っていると、
通報されそうになるのだ。

 一回、ヘビースモーカーの父が、
タバコをぷかぷかふかしながらバスを待っていたら、
マンションのおばちゃんに、マジで通報されかけた。
 で、父に文句を言うのは怖かったらしいおばちゃんは、
私が待っているときに、
「ここでタバコを吸う変態がいるのよね〜!!!」
と、聞こえよがしに叫んできた。

 「変態」って!

 たしかに、父は、まともじゃないけれど、
ギリギリ変態ではないと思うのだが、
リーゼント頭にキャップを被り、
大門軍団のようなサングラスをかけて
異常な速さで煙をふかしまくる父は、
一般市民的には、「変態」の部類に入るのかもしれない。

 そんなこんなで、
非常に気の重かった幼稚園の送迎から解放され、
心底! ああ〜〜あ、心底ホッとしている。

 で、今日の昼ごろ、次々帰ってきた子供たちに、
「何組になった〜?」
とか
「何先生?」
とか、
「札付きの悪は、同じクラスにいなかった?」
とか、
昼食を食べながら、何気なく聞き取り調査をする。

 この、4月の始業式の日の、
帰ってきた子供の顔色によって、
一年間、気をもむか、気楽に見守れるかが決まるのだ。

 幸い、今年は、子供たちは、
仲のいい子と同じクラスになったり、
包容力のある先生に当たったり、
万引きカツアゲ校内暴力常習者、みたいな子と
同じクラスになることは無かったようだ。

 ただ、クラスに慣れてきた頃に、
何らかのトラブルは、必ず起こるものだから、
心してそのときを待つことにしよう。

 「なんじゃそりゃ〜!」という事件にも、
あくまで平静を装いつつ、
うろたえる子供を、「ダイジョブだ!」と、
がっちり受けとめて、子供の味方になってやり、
初めて体験するトラブルに
子供自身が何とか対処するまで、
なるべく手を出さずにバックヤードでフォローしてやる。

 子供が悪さをしたときは、
菓子折り持って、子供と共に頭を下げに行く。
 「自分のせいで頭を下げる親の姿」を、
子供にしっかり見せておく。

 ああ、男児の学校生活。
 やってもやられても経験なんだ。
 親も腹据えて、常時ニュートラルな状態でいよう。

 それにしても、
子供は毎年学年が上がり、
園児から児童に、児童から生徒になっていくけれど、
親の方は、いつまでたってもあまり変わらない。
 厳密に言えば、トラブル処理に練磨してきているのだが、
あくまで見た目は、普通のお母ちゃんのままだ。

 ちょうど新学期で、キリがいいから、
私は、今年は、バージョンアップした「普通の母ちゃん」に
なることにした。

 それは、どういうことかというと、こういうことだ。

 「ことばづかいのきれいなお母さん」!

 今まで、男児4人を猛獣使いのように
乱暴な言葉遣いや、ときにはコブシで育ててきたが、
子供たちも、話せばわかる年になってきたし、
これからは、正しい言葉遣いで、
美しい日本語で話すことにしようじゃないか。

 私の性別は、「女」だが、
実は、心は、完全におっさんなので、
自然と出ることばは、男ことばだった。

 しかし、何の間違いか、女に生まれてきてしまい、
家庭教育を担うお母ちゃんという仕事を任されている以上、
それなりに役作りをしなければならない。

 学生時代は、演劇部で、
あほな子の役もやったし、(そのまんまだった、という噂もあるが)
キレちゃった先生の役もやったし、
なぞのエロ中国人の役もやった。
 (ん? 全部色物じゃないか!)

 いつでも役に入りこんで、なりきって演じていたではないか?

 しかし、今、私は、
「母親」という「マジ」で「重要」な大役をつけてもらったのに、
オヤジなまま舞台に立っているではないか?

 これは、ちょっといかがなものか?
 それが私のキャラで、自然な姿であるにしろ、
乱暴で荒れたことばを使えば、
乱暴で荒れた言霊が子供を包み、
乱暴で荒れた人間になってしまうかもしれない。

 乱暴で荒れているのは、私の父だけで充分なので、
私は、キャラが被らないように、
いっちょ美味しい役をやらせてもらおう。

 きれいなことばづかいのお母さん。
 美しい女ことばを話す、母親。

 素敵だわ。(イカシテル!)

 今、「国民総男ことば」の日本で、
「美しい女ことばのお母さん」は、かなり素敵(イケテル)!

 ついでに、目指したいのは、
正しく美しい敬語をすらすら話せる女性だ。

 敬語は、きちんと知っていても、
いざ話そうと思ったら、ちゃんと使えないことがたびたびあった。
 仕事でお客さんと話すにも、
普段のことばづかいしか使えず、
無理して使ったら、「〜じゃないですかあ?」とか、
「〜的には〜」などという、
普段最も軽蔑していることば使いを、
私のこの口が発してしまうので、驚いた。

 やっぱり、ことばは、使わないと身に付かない。
 いきなり敬語を使おうと思っても、ちゃんと使えない。

 もうすぐ40歳にもなろうとしているのに、
ちゃんと日本語も話せないんじゃ、
本当にカッコ悪いし、みっともない。

 家庭の中にずっと居て、
自分の天下で威張りくさって生きていて、
ろくに敬語も話せない、
ろくに正しい日本語も知らない、
というのは、専業主婦のコケンにも関わる。

 いつもは、ボヘボヘしていても、
ここぞと言うときは、ビッシ〜〜〜、と、
素敵な日本語を使いこなしたい。

 さあ、新学期。
 もうすぐ40歳。

 お母さんも「学年」上がるわよ!
 もっと大人の女に変貌していくんだからね!

 スネちゃま、母は、ヤマトナデシコざ〜まっす!
 (あれ、なんか違う)



      (了)


(しその草いきれ)2006.4.10.あかじそ作